薄暗い路地に入っていくと、男が立っているのが見えた。小雨が降っていたので、男は傘を差している。男の頭上には漢字で書かれた看板が掛けられていた。 この辺りは歓楽街だったので、平日の昼間は長閑な雰囲気に包まれていた。歩いている人も殆どいない。それでも、客引きのおばちゃんがところどころに立っていて、歩いていると声を掛けてくる。昼間に来る客は少ないのだろう。客引きのおばちゃんは暇そうだった。この静かな路地も夜は別の顔を見せるのだろう。
白いヘルメットをかぶった儀仗兵が台北にある忠烈祠の前で向い合って立っていた。もちろん微動だにしない。じっと見ていても、動くのは瞼ぐらいで、まるで銅像のようだった。見ているとスタチューを演じる大道芸人を思い起こしてしまう。 じっとしている儀仗兵とスタチューを演じる大道芸人はかなり似ている。国家のために行うのか、エンターテイメントとして行うかの違いがあるものの、どちらもピクリとも動かない。そう考えると儀仗兵は仕事を辞めても、すぐに優秀な大道芸人になれるに違いない。ただ儀仗兵には側に世話係がついて、動かなくともハンカチで汗を拭いたりしてくれたりするのに対し、道端で行うスタチューの場合には全てを自分で行う必要があるかもしれないけれど。
増上寺の歴史は古く、徳川家康が江戸に入府する前からあるのだ。創建は1393年。境内には6人の将軍の霊廟がある。残念ながら、それらは非公開で見ることが出来ない。時の権力者の墓所はさぞかし荘厳なのだろう。その代わりと言っては何だけれど、増上寺を訪れた際には必ず地蔵たちを眺めてしまう。 地蔵たちが立ち並んでいる区画は、いつ訪れてもあまり人がいない。この日も地蔵たちを眺めているのは僕だけだった。眺めていると、どこからともなく風が吹いてきて、風車が回りだした。
台北にある忠烈祠の門前にはヘルメットをかぶった衛兵が立っていた。ここも中正紀念堂と同じように軍事施設でもないのに衛兵が立っているのだ。実際に具体的な敵から守っているというよりも、守っているという形式が大切なのだろう。 職務上、衛兵は動くことは許されない。じっとしたまま形式を保つのがその仕事だ。そのため、たとえどんなに暑くても額を流れる汗を拭うことさえ許されない。 そんな衛兵にレンズを向けても、やはり微動だにすることはなかった。衛兵が自分の意志で動かして良いのは瞼くらいなのではないだろうか。しかし、写真の中の衛兵は目を閉じていた。何かを考え込んでいるかのように目を瞑っていたのだ。このままだと、いざという時に動けないのではなかろうかと、要らぬ心配をしてしまった。
駅構内に露店が出ていた。中には雑誌を売るキオスクのようなお店もあった。沢山の種類の雑誌が床にを地面に並べられている。ここはコルカタにあるインド東方面鉄道のターミナルであるシアルダー駅だ。長距離移動のお供に雑誌を買って列車に乗り込む人がまだまだ多いのだろう。 雑誌の後ろに立つ柱に目を向けると、横に鮮やかな青のワンピースを着た女の子が立っていた。雑誌を売っている男性の娘のようだ。おそらく手伝いをしているのだろう。時とともにお父さんが床に並べている雑誌がポツポツと売れていく。ふとした瞬間に女の子はこちらに凛々しい顔を向けてくれた。
路地にはお土産物屋や食堂が立ち並んでいる。混んでいるのはこの路地だではない。町全体に観光客が溢れているのだった。ここは台北の町から気軽に訪れることのできる人気の観光地なのだ。 建物に挟まれた細い路地は日差しが降り注がなくて薄暗い。そして、人びとが犇めき合っている。まるで牛舎のようだ。これだけ混雑していると、古い町並みを静かに堪能するのは難しい。人気の行楽地だから仕方がない。地元の人たちはホクホク顔になるのだろうけれど。
九份は山間にある小さな集落だ。古い町並みが残っているこの町は、今では立派な観光地になっている。山肌に細い路地が巡らされていて、散策するにはもってこいだ。ただし、空いていればだけれど。台北から日帰りで訪れることのできる九份は僕のような観光客で混んでいるのだった。 町中には急な階段があった。女性がその急な階段を下りている。1段1段慎重に下っている。ヒールのある靴なので階段を歩くのは難儀そうだった。ふと、階段の上に目をやると、そこには幾つもの看板が掛かっていた。
境内の薄暗い通路には祭壇が並んでいた。保安宮は媽祖や観世音菩薩など道教、仏教の様々な神が祀られているという日本人からすると不思議な寺院だった。もう宗派も関係ないようだ。 通路に足を踏み入れると、若い女性がいるのが見えた。沢山ある祭壇の中のひとつで跪いてお祈りしている。様々な神様が祀られているこの場所で、一体どの神様に祈りを捧げていたのだろう。いずれにしても、女性の顔は真剣だ。この人の願い事が届くといいなと思った。
行天宮の中庭を囲むようにして机が置かれていた。机の上には書見台が置いてある。ここは読経するための場所のようで、お揃いの制服に身を包んだ信徒たちが経典を読んでいた。勉強部屋のような雰囲気が醸し出されていたものの、勉強部屋ではないので先生や師匠に相当する人の姿は見当たらない。みな単独で読んでいるようだった。よく分からない箇所に行き当たったら誰に聞けば良いのだろう。 柱を見てみると、経典からの抜き出したと思われる文章が書かれていた。もちろん中国語だったので、何が書かれているのかは分からない。たぶん、ありがたいお言葉なのだろう。
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