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  • 路地に立つ傘を持った男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    薄暗い路地に入っていくと、男が立っているのが見えた。小雨が降っていたので、男は傘を差している。男の頭上には漢字で書かれた看板が掛けられていた。 この辺りは歓楽街だったので、平日の昼間は長閑な雰囲気に包まれていた。歩いている人も殆どいない。それでも、客引きのおばちゃんがところどころに立っていて、歩いていると声を掛けてくる。昼間に来る客は少ないのだろう。客引きのおばちゃんは暇そうだった。この静かな路地も夜は別の顔を見せるのだろう。

    路地に立つ傘を持った男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 忠烈祠で向かい合う中華民国儀仗兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    白いヘルメットをかぶった儀仗兵が台北にある忠烈祠の前で向い合って立っていた。もちろん微動だにしない。じっと見ていても、動くのは瞼ぐらいで、まるで銅像のようだった。見ているとスタチューを演じる大道芸人を思い起こしてしまう。 じっとしている儀仗兵とスタチューを演じる大道芸人はかなり似ている。国家のために行うのか、エンターテイメントとして行うかの違いがあるものの、どちらもピクリとも動かない。そう考えると儀仗兵は仕事を辞めても、すぐに優秀な大道芸人になれるに違いない。ただ儀仗兵には側に世話係がついて、動かなくともハンカチで汗を拭いたりしてくれたりするのに対し、道端で行うスタチューの場合には全てを自分で行う必要があるかもしれないけれど。

    忠烈祠で向かい合う中華民国儀仗兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 銃の影 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    堂の入り口には衛兵が立っていた。正確には中華民国儀隊というらしい。僕が近づいてカメラを向けたぐらいでは衛兵はピクリとも動かない。まるで僕なんて視界に映っていないかのようだ。これだけ動けないと、もし蝿が顔の近くにまとわりついたらどうするのだろうと心配になってしまう。もし、そうだとしても衛兵は決して動かないのだろう。衛兵の任務は大変なのだ。僕には到底できそうにない。 衛兵は銃剣を携えて立っていた。銃剣の影がくっきりと柱に落ちていた。

    銃の影 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 腕を前に上げる衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    中正紀念堂と同じようにここ忠烈祠にも衛兵が立っている。ということは定期的に衛兵交代が行われるのだった。 広々とした参道を歩いていると、ちょうどその時間がやって来たようだった。どこからともなく衛兵が現れてた。腕を上下に激しく動かしながら行進をしている。視線は真正面を見据えて動かない。まるで何かに取り憑かれたかのような視線だ。傍らで一眼レフを構えている僕になんて一瞥もくれることはない。かれら衛兵にとっては、僕なんて存在しないも同然なのだろう。

    腕を前に上げる衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 風車が回っていた | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    増上寺の歴史は古く、徳川家康が江戸に入府する前からあるのだ。創建は1393年。境内には6人の将軍の霊廟がある。残念ながら、それらは非公開で見ることが出来ない。時の権力者の墓所はさぞかし荘厳なのだろう。その代わりと言っては何だけれど、増上寺を訪れた際には必ず地蔵たちを眺めてしまう。 地蔵たちが立ち並んでいる区画は、いつ訪れてもあまり人がいない。この日も地蔵たちを眺めているのは僕だけだった。眺めていると、どこからともなく風が吹いてきて、風車が回りだした。

    風車が回っていた | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 目を閉じた衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    台北にある忠烈祠の門前にはヘルメットをかぶった衛兵が立っていた。ここも中正紀念堂と同じように軍事施設でもないのに衛兵が立っているのだ。実際に具体的な敵から守っているというよりも、守っているという形式が大切なのだろう。 職務上、衛兵は動くことは許されない。じっとしたまま形式を保つのがその仕事だ。そのため、たとえどんなに暑くても額を流れる汗を拭うことさえ許されない。 そんな衛兵にレンズを向けても、やはり微動だにすることはなかった。衛兵が自分の意志で動かして良いのは瞼くらいなのではないだろうか。しかし、写真の中の衛兵は目を閉じていた。何かを考え込んでいるかのように目を瞑っていたのだ。このままだと、いざという時に動けないのではなかろうかと、要らぬ心配をしてしまった。

    目を閉じた衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 基隆河の畔にそびえる圓山大飯店 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    台北北部を流れる基隆河のほとりに巨大な建造物が建っている。中華文化を連想させる外観を持つ圓山大飯店という名のホテルだ。一説によるとこのホテルは世界有数の大きさを誇る中国建築なのだそうだ。確かにとてもエキゾチックな外観をしている。 このホテルが開業したのは1952年。それまでこの場所には台湾神宮という神社が建っていた。日統治時代の台湾には多くの神社が建立されたようだけれど、結局信仰が根付くことはなく、日統治の終焉とともにほとんどが取り壊されてしまっている。もちろん台湾神宮もあっけなく破壊され、跡地が巨大なホテルに転用されたのだ。

    基隆河の畔にそびえる圓山大飯店 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 鮮やかな青いワンピースの女の子がシアルダー駅の構内に立っていた | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    駅構内に露店が出ていた。中には雑誌を売るキオスクのようなお店もあった。沢山の種類の雑誌が床にを地面に並べられている。ここはコルカタにあるインド東方面鉄道のターミナルであるシアルダー駅だ。長距離移動のお供に雑誌を買って列車に乗り込む人がまだまだ多いのだろう。 雑誌の後ろに立つ柱に目を向けると、横に鮮やかな青のワンピースを着た女の子が立っていた。雑誌を売っている男性の娘のようだ。おそらく手伝いをしているのだろう。時とともにお父さんが床に並べている雑誌がポツポツと売れていく。ふとした瞬間に女の子はこちらに凛々しい顔を向けてくれた。

    鮮やかな青いワンピースの女の子がシアルダー駅の構内に立っていた | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 九份の人混み | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    路地にはお土産物屋や堂が立ち並んでいる。混んでいるのはこの路地だではない。町全体に観光客が溢れているのだった。ここは台北の町から気軽に訪れることのできる人気の観光地なのだ。 建物に挟まれた細い路地は日差しが降り注がなくて薄暗い。そして、人びとが犇めき合っている。まるで牛舎のようだ。これだけ混雑していると、古い町並みを静かに堪能するのは難しい。人気の行楽地だから仕方がない。地元の人たちはホクホク顔になるのだろうけれど。

    九份の人混み | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 九份の階段 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    九份は山間にある小さな集落だ。古い町並みが残っているこの町は、今では立派な観光地になっている。山肌に細い路地が巡らされていて、散策するにはもってこいだ。ただし、空いていればだけれど。台北から日帰りで訪れることのできる九份は僕のような観光客で混んでいるのだった。 町中には急な階段があった。女性がその急な階段を下りている。1段1段慎重に下っている。ヒールのあるなので階段を歩くのは難儀そうだった。ふと、階段の上に目をやると、そこには幾つもの看板が掛かっていた。

    九份の階段 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 黄色のタクシー | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    ホテルの窓から顔を出して、往来を眺めていた。道路脇に黄色のタクシーが停まっていた。窓が開いていて、客待ちをしている運転手の姿が見える。客待ちをしながら横に立っている男とおしゃべりをしているようだった。 この国では地域ごとにタクシーの色が決まっているようだ。西ベンガル州の色は黄色だった。でも、地元の人たちはそれほどタクシーを利用しているようには見えない。地元の人にとってタクシーはちょっと高い乗り物なのだろう。最も利用されているのは今でも人力で動くリクシャーだ。

    黄色のタクシー | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 保安宮で祈る女性 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    境内の薄暗い通路には祭壇が並んでいた。保安宮は媽祖や観世音菩薩など道教、仏教の様々な神が祀られているという日人からすると不思議な寺院だった。もう宗派も関係ないようだ。 通路に足を踏み入れると、若い女性がいるのが見えた。沢山ある祭壇の中のひとつで跪いてお祈りしている。様々な神様が祀られているこの場所で、一体どの神様に祈りを捧げていたのだろう。いずれにしても、女性の顔は真剣だ。この人の願い事が届くといいなと思った。

    保安宮で祈る女性 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 三人の少女 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    三人の女の子がおっかな吃驚で近寄ってきた。興味もあるのだけれど、同時に見知らぬ外国人が怖くもあるようだ。男の子や大人の男が近づいてくるのは珍しくないけれど、女の子もカメラに惹きつけられて僕のところにやって来るのだった。雨宿りをしていると、大勢の地元の人が僕を一目見にやって来る。一体何人の写真をここで撮ったのか分からないくらいだ。 でも、大人の女性はあまり来ない。大人の女性は必要以上に近づいて来ないような気がした。宗教が関係しているのかもしれない。

    三人の少女 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 五人の子供たち | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    道端で出会った好奇心旺盛な子どもたち。男の子も女の子もみな写真を撮られるのに興味津々だ。カメラを構えると、子どもたちはカメラの前に集まって楽しそうに笑ってくれた。 この辺りにいる大人の女性の中には写真を撮られるのを嫌がる人もいるけれど、この女の子たちにはそんな雰囲気は微塵も感じられない。女の子は溢れ出でてくる好奇心に素直に従うのかもしれない。そして、家に帰ったら家族に話すのだろう。今日、外国人に写真を撮ってもらったよ、と。

    五人の子供たち | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 飛行機と龍 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    この寺院は航空経路の真下にあるようだ。上空をひっきりなしに飛行機が飛んで行く。しかも空港はここから近いので、境内から見える機影は思いの外大きい。孔子様も頭上を飛行機が忙しく行き来することになるなんて、予想していなかっただろう。 境内の中庭に立っていると、また1台の飛行機がやって来た。プロペラ機だ。龍の像の遥か上を飛んでいく。残念ながら、龍は飛行機のように大空へと羽ばたくことは出来ない。大きく口を開けて、飛行機を見送ることしか出来ないのだった。

    飛行機と龍 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 将棋の駒と指 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    JRの改札を出ると、SL広場の端の方に人集りが出来ているのが見えた。こういう光景を見つけると、近くに寄って何があるのか、何が行われているのかを確認しなければならない気になってしまう。そこで行われていたのは路上将棋大会だった。大きな将棋の盤が幾つも並んでいて、おじさんたちが将棋に興じている。盤が大きいから、もちろん駒も大きい。 何人ものおじさんたちが集っていても、この場はとても静かだった。皆黙々と指しているのだ。これがおばさんたちの集団だったらこうはいかないだろう。見ていると、ちょうどひとりのおじさんが駒を動かした。

    将棋の駒と指 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 銀座の物陰には弓矢を持って獲物を物色している天使がいる | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    背中に羽の生えた天使が銀座の物陰に立っていた。ハートの付いた矢と弓を持って獲物を物色しているようだ。じっと見つめる視線の先には買い物袋を持った女性が歩いていた。その女性に狙いを定めているようだ。でも、女性は狙われていることに全く気がついていない。 なぜゆえに天使がこの女性に狙いを定めているのかは分からないものの、天使はその女性をじっと見つめたまま。何かしら理由があるのだろう。にもかかわらず、天使はいつまで経っても矢を放たない。じっと見つめているくせに最後の決心がつかないのかもしれない。

    銀座の物陰には弓矢を持って獲物を物色している天使がいる | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 三つ編みの女の子の穏やかな視線 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    細い路地を散策していて行き会った三人の女の子。三人は路地の片隅にあるテーブルの上でたむろしていた。 ひとりは宿題をしていた。ペンを片手に紙に何かを書き込んでいる。ブレスレットを幾つもしている女の子は、机の上に腰を下ろして書き込んでいる女の子ことをじっと見ている。 もうひとりの女の子は顔を机に上に載せながら、穏やかな視線を僕に投げかけていた。どうやら、カメラに興味があるのは、この三つ編みをした女の子だけのようだ。シャッターを切ると、その女の子ははにかんでくれた。

    三つ編みの女の子の穏やかな視線 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • アパートの壁面に国旗 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    団地の中を歩いていた。建っているのは高層マンションばかりだった。台北の中心部には戸建の家はあまり見掛けない。ここでは土地を有効活用するためにマンションに居を構えるのが一般的なのかもしれない。 建ち並ぶマンションのひとつを見上げると、窓辺に旗が掛かっているのが見えた。台湾の国旗だ。台湾は、見方によって国家だったりそうでなかったりと複雑な問題を抱えている。そんな状況の中にあって、この国旗は台湾という国家の存在をこっしりと主張しているような気がした。

    アパートの壁面に国旗 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 行天宮ではおそろいの制服に身を包んだ信徒たちが読経していた | 写真とエッセイ by awazo.com

    行天宮の中庭を囲むようにして机が置かれていた。机の上には書見台が置いてある。ここは読経するための場所のようで、お揃いの制服に身を包んだ信徒たちが経典を読んでいた。勉強部屋のような雰囲気が醸し出されていたものの、勉強部屋ではないので先生や師匠に相当する人の姿は見当たらない。みな単独で読んでいるようだった。よく分からない箇所に行き当たったら誰に聞けば良いのだろう。 柱を見てみると、経典からの抜き出したと思われる文章が書かれていた。もちろん中国語だったので、何が書かれているのかは分からない。たぶん、ありがたいお言葉なのだろう。

    行天宮ではおそろいの制服に身を包んだ信徒たちが読経していた | 写真とエッセイ by awazo.com