他者との関係性の中に自己がある日本人 本の中で、日本語は主語・主体が曖昧なため、聞く相手にも理解するための配慮を求める言語であると説明されていたのがとても腑に落ちました。古くは源氏物語などでも主語が明示されていないことがとても多く、「どこそこにおはして、何々をし給ひき」など尊敬表現の度合いなどによって、いったいこの主語が誰なのかを読み手が伺い知る必要があります。それが日本語の原型ですから。 榎本:「私は」とか何とか言わなくてもお互い理解し合えるだろうというのを前提としているわけですね。場の状況を汲み取りながら、誰が誰のことを言っているんだなとか。 こういう言語構造は、相手の気持ちや要求を常に汲み取ってそれに応えようとする姿勢を生み出します。元来、日本人が自己主張をあまりしなかったのは、「個」よりも他者との関係性の中で生きてきたという風土があるからです。個としての自己を生きるというのではなく