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Lifeとhistoryに関するtetzlのブックマーク (5)

  • バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事

    例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。 俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。 俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。 長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。 話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。 もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出され

    バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事
    tetzl
    tetzl 2023/08/01
    平和を希求する憲法が12条で「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」って定めているのある意味冷酷だけど、見たくないものから意義を理解した増田は公民としてきちんと立派な大人だと思った
  • トイレットペーパーはなぜ消えた? | NHK | WEB特集

    第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。 その発端とされているのは大阪のあるスーパーだった。 なぜトイレットペーパーは消えたのか。 あれから50年。店が閉店するのを前に、当時を知る人たちを訪ねると意外な理由が見えてきた。 「当日出勤したら、午前10時の開店前に200人ぐらいの大行列ができていた。もうびっくり仰天。これはえらいことやと。」 1973年10月31日。 大阪・千里ニュータウンのスーパー「大丸ピーコック 千里中央店」の従業員、清水暉人さんは目を疑った。 突然、主婦たちが押しかけ、トイレットペーパーを次々に買い求めていく。 これまで、トイレットペーパーを買うための行列なんて見たことがなかった。 訳が分からない。 行列騒ぎは連日起き、新聞やテレビを通じて全国へ伝えられた。 1973年11月2日 毎日新聞朝刊 『買いだめ騒ぎ』広がる 「一日、

    トイレットペーパーはなぜ消えた? | NHK | WEB特集
  • 冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行

    東京メトロの広告や人気テレビシリーズ『孤独のグルメ』にも登場するシャン民族料理の有名店「ノングインレイ(NONG INLAY)」(東京・高田馬場)。 だが、現在72歳のオーナー、ハンウォンチャイ・スティップさんが日で暮らすことになった理由までよく知る人は多くないかもしれない――。それは、冷戦下に大国間の代理戦争の現場ともなった「ラオス内戦」だった。 ベトナム戦争の影に隠れてあまり知られていないが、ラオスは「史上最も空爆された国」とも言われ、当時の米軍によって2億6000万発もの爆弾が投下されたという。ラオス内戦はベトナム戦争と同じ1975年に終結し、左派のパテート・ラオが勝利、アメリカが支援した王政側の敗北に終わった。 そんなラオス内戦にスティップさんはどう関わっていたか。実は、米軍やCIAの通訳として従事していたのだ。それは彼にとって「内戦の終結(敗北)」が自らの「命の危機」であったこ

    冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行
    tetzl
    tetzl 2020/09/01
    難民支援協会さんのメルマガで写真に惹かれて読んだけどぐいぐい引き込まれた。|「少数民族の言葉を学ぶことが禁止されている」ちょうど最近『マルモイ』見たところ。
  • アポロ計画に参加してた97歳だけど何か質問ある? | AMAの世界

    『私はアポロ計画に1号から14号まで参加していた97歳です。2人の大統領と、大統領になる前からの知り合いでした。』 ハーイ!これが私のおじいさんです。えっと、そう、これは昔の写真。今のおじいさんはこちらです。これもおじいさん。 彼はとても華やかな人生を送って来ました。スレッドのタイトルは、そのほんの一部。他にはこんなこともありました。 アポロ8号とアポロ11号の時は、ラジオ・テレビ関係部署の代理部長を務めていました(来は副部長だったのですが、その2つのミッションの時は部長が病気だったので)。 彼と奥さんが二度目に顔を合わせたのは、二人の結婚式の日でした。 第二次大戦と朝鮮戦争に従軍していました(いい話がたくさんあります)。 アメリカで当時最年少のイーグルスカウト(訳注: ボーイスカウトの最高位)でした。 バージニア大学に16歳で入学し、18歳で一度退学しましたが、20歳で同級生と一緒に卒

    tetzl
    tetzl 2013/04/06
    「結婚は長くは続かなかった。――たったの、58年と、7ヵ月と、14日間しか」これだから天文屋とか地学屋は!このこの!!
  • あの日の贈り物 - みつどん曇天日記

    明け方まで降っていた雨も、まだまだ強烈な残暑の日差しの前に涼を呼ぶにはほど遠く。 あの日は、蒸し暑かった。 窓から手を伸ばせばお隣の窓掃除ができてしまう密集した住宅地。風通しには定評のある我が家は室外機がフル稼働しているただ中にあって、夏場は外より暑く、冬は冬で当然のようにすきま風が寒いステキな住環境だった。わざわざ転居してきたネズミ君達にはまた別の意見もあるのだろうが、少なくともホモサピエンスには堪らない。 堪らない、と言いつつ滴り落ちる汗をタオルでぬぐいながら、でも僕はタオルケットを敷いた座布団にずっと鎮座しつづけていた。別に何があったわけじゃない。ただ単に、当時の僕には時間に価値が無かっただけだ。 短期深夜バイトでドカッと稼ぎ、その蓄えが無くなるまで何もしないで過ごす、それが当時のライフサイクルだった。時間とはいつぶすモノ。 1週間ほど誰ともしゃべっていない。生産的な事といったら麦

    あの日の贈り物 - みつどん曇天日記
    tetzl
    tetzl 2011/09/11
    おめでとうございます。私は、明日生まれた人です。。あの日はよりによってビリー・ワイルダーの映画を見ていました。しみじみしながらテレビに切り替えた時の驚きといったら…
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