ネットも現実の一部だという言葉をよく聞くのに、何故趣味がインターネットだと言うとダメっぽい感じがするのか。自虐的なニュアンスで使われることこそあれ、あまり言ってる人を見たことないよなあ。 時間の浪費感が強いからか。じゃあ何故浪費感が強いのかという話だ。得るものがないとかいうことなら大抵の趣味は得るものがない。「いや俺は草野球が趣味だが体が鍛えられる。どうだ、得るものがあるではないか」といった反論は当然あろうが、体を鍛えたいなら野球よりも有効な手段がたくさんある。いかなる趣味も「得るための行動」にはかなわないことになってしまうではないか。趣味を利益という面だけで語ると面倒なことになるのだ。 じゃあ情報量だな。やはり現実における趣味は五感をフル活用するので情報量が多く密度も濃い。短時間で多くの情報に触れるのは充実感があるだろう。しかしこれを言い出したら趣味が読書だの音楽だの映画だのといった人間