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「海を渡ったオキュパイド・ジャパン」という、ちょっと興味深い展覧会が開かれている(於:六本木ヒルズ森タワー49階/アカデミーヒルズ入口の展示スペース)。 オキュパイド・ジャパン(Occupied Japan)とは、第2次大戦後の「占領下日本」のこと。民間貿易が再開された1947年から、サンフランシスコ講和条約が発効した52年まで、日本からの輸出品には「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の刻印を付けるようGHQ(連合国最高司令官総司令部)から命じられていた。 北米を中心に輸出された品々は、陶器やおもちゃ、布製品、カメラなどさまざま。「OCCUPIED JAPAN」の文字が付いた5年間だけの期間限定アイテム(「OJ」と呼ばれる)は希少価値を持ち、コレクターたちによる収集の対象になっている。 今回の展覧会はカリフォルニア州在住のコレクター、田中荘子さんの収集品1万点の中から代表的なも
昨年暮れ、ニューヨーク支局に赴任した編集部の小暮さんから最近、メールをもらった。大まかに言うと、「ニューヨークで発行されているフリーペーパーを読んでいたら、現地在住ジャーナリストの武藤芳治氏が書いたコラムが目に留まった。 これを読んで、長岡さんが震災報道でのメディアのスタンスについて何度か書かれていたことを思い出した。この間長岡さんがアルジェリアの実名報道について書いた記事を読んだとき、『実名報道が必ずしもいいわけではない』と書かれているように読めたので、アルジェリアについては実名報道はいらなかったのかな?と少し混乱した。今後の指針として長岡さんがこのコラムについてどう思うか聞きたい」――という内容だった。 「アルジェリアの実名報道についての記事」とは、2月5日号で筆者が書いた「被害者の名前は公表されるべきか」はという短い記事のことを指している。この中で、筆者はアルジェリアの人質事件で問題
大きな火種 香港の活動家たちを乗せ、尖閣諸島を目指す漁船 Japan Coast Guard-Handout-Reuters 夏の沖縄の青い海で、さびれた中国漁船と日本の海保の艦艇がぶつかりあう。「同胞」の逮捕に怒った中国人が大陸の都市で反日デモに繰り出し、日本車や日本料理店を襲う――。 まるで2年前の再現映像を見ているようだ。8月中旬、日中が領有権を争う尖閣諸島(中国名・釣魚島)に漁船で接近し、上陸した香港人の活動家を海上保安庁が逮捕・強制送還すると、中国の20都市以上で日本に対する抗議するデモが発生。深圳市では日本製だということで警察車両までがひっくり返され、日本料理店の玄関ホールが破壊された。 横断幕に並んだフレーズも「日本製品ボイコット」「日本は釣魚島から出ていけ」と、2年前と同じお決まりの内容。ただ前回は3日連続した逮捕直後のデモが今回は1日だけで終わった(散発的なデモは先週末も
今から20年前、全国紙の神戸支局で記者1年生として取材を始めたころ、最初のデスクにこう教えられた。「記者は役人のオフレコ発言を許すな。もし『オフレコで』などと言われたら、席を蹴ってその場を退出せよ」 こんなことを思い出したのは、防衛省沖縄防衛局長の「不適切発言」をめぐるいわゆる「オフレコ懇談」問題がきっかけだった。この問題について、東京新聞・中日新聞の長谷川幸洋・論説副主幹が興味深いコラムを執筆している。 琉球新報によるオフレコ破りを「支持する」という長谷川氏は、このコラムで「官僚や政治家が記者に話すのは、政策や政局を自分の都合がいいように誘導するため。オフレコ(匿名)を求めるのは不都合な事態が起きても、自分の責任を問われずに済むから」と書いている。 うなずける部分もある。だが、首をかしげる部分もある。 支局デスクの言葉は、中央官庁や政局とはあまり縁のない、それこそ地べたを這うようにネタを
日本人の間ではあまり関心が高まっていないが、ラグビーの第7回ワールドカップが始まっている。それまでは孤高のアマチュアリズムを貫いてきた15人制ラグビーだが、今から24年前の87年にワールドカップが始まり、16年前の第3回大会からプロ選手が容認されると一気に商業化が進み、W杯は今やオリンピック、サッカーW杯に次ぐ世界的なスポーツイベントに成長した。 日本でラグビーW杯が注目されない原因は、実はW杯そのものにある。80年代から90年代初めにかけて、日本の国内ラグビー人気はサッカーなど言うに及ばず、野球や相撲に匹敵するほど高かった。早慶明と関西の同志社を軸にした大学ラグビーと、80年代は「北の鉄人」新日鉄釜石が、90年代は神戸製鋼が引っ張った社会人ラグビーの好カードで、最大収容人数5万人の国立競技場は満杯になった。 ところが、95年の第3回大会で日本代表がニュージーランド代表オールブラックスに大
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