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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (5)

  • 書籍「ゲームの歴史」について(5) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当のの引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで文と若干ずれ

    theta
    theta 2023/02/28
  • 書籍「ゲームの歴史」について(1) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史の両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 また、これは史観なのだから実際の歴史から離れていてもいいという主張もあるかもしれないが、それは前書きの段階で無理があると言わざるを得ない。 書は、ゲーム歴史について書いた

  • どうしてハドソンはROMカートリッジを自社生産しなかったか? | Colorful Pieces of Game

    『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ

    theta
    theta 2021/02/17
  • イースⅠ・Ⅱ通史(9):『ファザナドゥ』開発物語(2/終) | Colorful Pieces of Game

    ただ、奥野さんは開発は2~3月にスタートしたと記憶しているのだけど、これには少し記憶違いが入っている可能性が高い。 というのも、ウィンドウシステムを書いているヘクターさんは、この時、『ヘクター87』を作っている。だから『ファザナドゥ』に入れたはずもない。 まだ雪が残っていたとき『ヘクター87』の企画会議があって、ヘクター(小山さん)大変だなあと思っていたという話が複数あるのに加えて、『ヘクター87』チームのメンバーがゴールデンウィーク明けにマスター休みを取ったと証言している。 つまり『ヘクター87』のマスターはゴールデンウィークあたりなのは間違いない。 言い換えれば、それより前にヘクターさんが入れたはずがない。 だから2~3月頃に「作れ」と言われて、夏発売予定でスタートしたのはいいけれど、ゲームはプログラマ1人でなんとかなるサイズではなくなりつつある時代で、間に合わず、夏は無理で秋に延期さ

    theta
    theta 2019/04/20
    そういえばX68k版のイース、移植請け負ってた人が資料請求しても遅いか来なかったかして、仲間内で既存のやつからぶっこぬいて移植したとか聞いた。90年代前半でもこうだからなあ
  • イースⅠ・Ⅱ通史(8):『ファザナドゥ』開発物語(1) | Colorful Pieces of Game

    これはイース通史の中で、イースとは直接的には関わりのないエピソードなのだけど、ハドソンが『イースⅠ・Ⅱ』の許諾を取る上では、大きな問題になった…と思われる『ファザナドゥ』のエピソードだ。 まず『ファザナドゥ』という作品について、簡単に説明しておきたい。 『ファザナドゥ』はファルコムの大傑作ソフト『ザナドゥ』を、ハドソンがファミコン用に移植したゲーム、ということになっている。 「ということになっている」というのは、発売されたゲームが、まるで別物だから。 ここで名誉のために書いておくと『ファザナドゥ』は、まあまあ出来がいいRPG要素の入ったアクションゲームだ(RPG要素の入ったと書いているのは経験値による成長サイクルがないのでCRPGとは呼び難いから)。 ただアイテム名やモンスタ―名、それとも称号に共通しているものがある以外は、何一つ『ザナドゥ』と共通点がなく、「どうして『ザナドゥ』の名前がつ

    theta
    theta 2019/04/18
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