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ブックマーク / number.bunshun.jp (23)

  • 中学2年、川崎がイチローを知った日。「大体おかしいじゃん、カタカナだし」(川崎宗則)

    川崎宗則が昨年の7月11日にヒーローインタビューで発した「See you tomorrow」という言葉は、あまりにキュートだと世界中にファンを生んだ。 「メジャーで最も愛される日人選手」こと、川崎宗則選手。 苦労は表に出さず、苦しい時こそ前にでる。 そんな、野球小僧の人生論がになりました。 3月26日発売の『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』より、 Number Webでは特別に、イチロー選手との出会いの項を公開します。 小学生から中学2年まで、おれは右バッターだった。 右利きだったし、右で打つのが当たり前だと思ってたからね。小学生のときは、ランニングホームランも打ったし、ヒットもけっこう打ててたと思う。 それが中学に入ったら、先輩たちより打球が遠くへ飛ばないことに気づいた。みんな体が大きいのに、おれは細くて、背もそんなに高くなかったから。中学1年のときは、バットが重くて、振れ

    中学2年、川崎がイチローを知った日。「大体おかしいじゃん、カタカナだし」(川崎宗則)
  • <イチロー 青春の挫折> 甲子園で流した 「たった一度の涙」(城島充)

    2度の出場はいずれも初戦敗退。鈴木一朗の聖地での戦績だ。 しかし挫折とも取れる現実を前に、彼は決して研鑽を止めなかった。 大器の片鱗が煌めいた高校時代の逸話を、関係者の証言でひもとく。 「甲子園が目標ではありません。プロになれる選手に育ててほしい」 愛工大名電の監督を務めた中村豪は、豊山中の3年生だったイチローと父親の宣之氏からそう言われたことをよく覚えている。 「任せてください」と返答したが、目の前にいる痩せぎすの中学生がどれだけの可能性を秘めているのか。工藤公康や山崎武司をはじめ、同校に赴任して11年間で10人の教え子をプロの世界に送り出していた名将も、このときはまだわからなかった。 中村の姿勢がぐっと前のめりになるのは、実際にプレーを見たときだ。 「ボールを芯でとらえる感覚がずば抜けていました。入学前の練習試合で起用したら、いきなり活躍したので度胸もあるな、と」 2年生の捕手だった日

    <イチロー 青春の挫折> 甲子園で流した 「たった一度の涙」(城島充)
  • <長嶋巨人、松井秀喜攻略法を語る> 野村克也 「絶対に負けたくない敵だった」(阿部珠樹)

    '90年代、松井を主軸に据えた長嶋巨人軍に、大きな壁として 立ちふさがったのが、「ID野球」の野村ヤクルトだった。 稀代の知将が感じた2人の凄み、そしてその攻略法とは――。 長嶋茂雄と松井秀喜がそろって国民栄誉賞を受賞した。 野球界では王貞治、衣笠祥雄につづく受賞である。ジャイアンツという人気チームでつねにファンとマスコミの大きな注目を集め、それに応えるプレーを見せてきた長嶋。その長嶋に手塩にかけて育てられ、メジャーリーグでも名門ヤンキースの中心として活躍した松井。国民栄誉賞がどんな基準で与えられるのかは、私などにはわからないが、ふたりの受賞は多くの人が納得するものだろう。 人づてに聞いたのだが、ふたりの受賞が決まったとき、「残した数字でいうなら野村にも賞を与えてよいのではないか」という声があったそうだ。私自身はとても賞に値するなどとは思っていないが、こうした声をいただけたのは名誉なことだ

    <長嶋巨人、松井秀喜攻略法を語る> 野村克也 「絶対に負けたくない敵だった」(阿部珠樹)
  • 中継ぎ投手・上原浩治が絶好調!数字が証明するMLB屈指の凄さとは?(菊地慶剛)

    もはやレッドソックスのベンチ内での名物と言ってもいい、上原浩治投手のハイタッチ。笑顔でベンチ内のムードを盛り上げる。 メジャーリーグの開幕から3週間。今シーズンは開幕から日人投手たちの活躍が目立っている。その中でここまでのMVPを選ぶとするならば、今年からレッドソックスに移籍した上原浩治投手を挙げたい。 もちろん読者の中には異論もあるだろう。 例えば、勝利数、防御率ともにア・リーグのトップ争いをしているレンジャーズのダルビッシュ有投手はもちろん、ここまで抜群の安定感を誇るマリナーズの岩隈久志投手の存在も捨てがたいのは事実だ。ただチームに及ぼす影響力という面では、現在、激戦区のア・リーグ東地区で首位を走るチームへの上原の貢献度は計り知れないものがあることを忘れてはならない。 岩隈やダルビッシュのような先発投手ではなく、またセーブ機会に登板する抑え投手でもない、“中継ぎ”の上原が、日で大き

    中継ぎ投手・上原浩治が絶好調!数字が証明するMLB屈指の凄さとは?(菊地慶剛)
  • 足で勝って、足で負けた侍ジャパン。あの8回裏の重盗シーン、全真相。(鷲田康)

    「連覇してくれた選手の方々もいらっしゃいましたし……そういうものを全部、自分が止めたような気がして申し訳ないです」と責任を全部ひとりで背負うようなコメントを残した内川。 その瞬間に三塁側の日ベンチはもちろん、スタンドの日応援団、そして記者席も一瞬声を失ったような沈黙が流れた。 準決勝のプエルトリコ戦の土壇場に起こった痛恨のミス。1-3と2点差としてなお1死一、二塁で一塁走者の内川聖一が飛び出してアウトになったプレーは、ある意味、今回の日本代表の強さと脆さを象徴するようなものであったように思う。 苦戦した1次ラウンドのブラジル戦、2次ラウンドの台湾戦と、この8回から試合が動いて、日に逆転への道は広がっていた。 もう一度、問題の場面を整理してみよう。 3点を追う8回。 当然、ファンだけではなく日ベンチも再びの逆転劇を意識してこの回を迎えたはずだった。 そして1死から鳥谷敬が右中間に三塁

    足で勝って、足で負けた侍ジャパン。あの8回裏の重盗シーン、全真相。(鷲田康)
  • イチローの美学とメジャーの現実。衝撃トレードの真相を完全レポート!(菊地慶剛)

    ニューヨーク・ヤンキースへ移籍早々の7月23日の対シアトル・マリナーズ戦(セーフコ・フィールド)では、4打数1安打1盗塁の成績となったイチロー。この試合で先発した黒田博樹投手は10勝目を飾った。 7月23日に正式発表されたイチロー選手のトレードは、まさに米国中に“衝撃”をもたらした。特にマリナーズに近い人間ほど、そのショックは大きかったようだ。 「3時頃球場の記者席にいた自分に電話がかかってきた。自分の後方に座っているニューヨークの記者の1人だった。そして『イチローが投手2人と交換でヤンキースにトレードされたぞ!』と切り出した。自分はジョークだろうと笑い飛ばし、また自分の仕事に戻った。しかしその直後に『YES(ヤンキース戦中継を担当するTV局)』のジャック・カリー氏が『イチローがトレードされた』とツイートしたのを確認し、さらにイチローのトレードを認める電話が入ってきた。自分の記者人生の中で

    イチローの美学とメジャーの現実。衝撃トレードの真相を完全レポート!(菊地慶剛)
  • <メジャー登板徹底解説> 桑田真澄が見たダルビッシュ有の果てなき可能性。(石田雄太)

    いまだ慣れぬ環境、完璧とはいえない状態にあって、 何故この若き天才は、結果を出し続けられるのか。 自身もメジャーのマウンドを知る桑田真澄氏が、 初登板から7戦目までのダルビッシュを解説する。 僕は今まで、メジャーで50年、100年後にも大きく取り扱われる日人選手はイチロー君だけだと言ってきました。でも、今のダルビッシュ君にもその可能性を感じます。身体能力と技術の両方がピカイチで、精神力も年々強くなってる。持って生まれた長身に加え、身体能力があり、トレーニング方法や事の勉強、野球のこともよく考えてるし、心配なのは私生活くらい(笑)。 僕は、彼のことを天才だと思ってるんです。なぜかというと、すごいボールを投げるピッチャーは過去にもたくさんいましたけど、とんでもなく速い豪速球を投げられて、しかも七色の変化球を操れた人は一人もいない。僕が天才だというのはそこなんです。彼は、まっすぐの他に、あら

    <メジャー登板徹底解説> 桑田真澄が見たダルビッシュ有の果てなき可能性。(石田雄太)
  • 「逆シングルは邪道」の嘘(李啓充)

    今季のプレーオフの成績が、チームの守備力・投手力に相関したことは11月7日付の欄『勝利の方程式』で論じたが、守備力・投手力の重要さを象徴した試合が、ホワイトソックスが88年ぶりの優勝を決めたワールドシリーズ第4戦だった。 1対0でホワイトソックスが勝ったこの試合、随所に守備の好プレーが続出したが、特に、私が舌を巻いたのが、ホワイトソックスの遊撃手、フアン・ユリベの守備だった。8回表にホワイトソックスが待望の先取点を上げた後、最後のアウト6つのうち、4つをユリベが取ったのだが、とりわけ、最後のアウト2つは圧巻だった。一つめは9回裏1死二塁、一打同点の場面で、ファウルフライをスタンドに飛び込んで捕球、二つめ(そして最後のアウト)は、バウンドして投手の頭を越えたゴロを、素早い送球で間一髪一塁アウトにしたのだった。 この2つのアウト、最初のファウルフライは「グラブが届いたのが不思議」という超ファ

    「逆シングルは邪道」の嘘(李啓充)
  • <クローザー魂を継ぐ者> 浅尾拓也 「“伝説”を超えてゆけ」(鈴木忠平)

    目指す地平は限りなく遠いのかもしれない。だが、今季は何度も 可能性を見せた――。守護神の正統後継者として期待される男の、 優しげな瞳からは窺い知れない激情に触れる。 最高峰の戦いにおいても、その存在感は際立っていた。日シリーズ第1戦、1-1で迎えた9回裏、落合監督が球審に告げたのは浅尾拓也だった。チームの命綱とも言える右腕は同点の場面を託され、勝ち越した直後の延長10回も続投。岩瀬仁紀にマウンドを譲ったのは2死を奪ってからだった。 セットアッパーとストッパーの序列を超え、守護神とその後継者との差は限りなく縮まっている。それは浅尾が長い戦いの中で積み上げてきた信頼の証といえる。その事実を最も象徴していたのが、球団史上初のリーグ連覇を成し遂げたあの夜のワンシーンだった。 「代わると思いました」 浅尾は、さも当然とばかりに言う。 10月18日、横浜スタジアム。3-3で延長10回に入り、時間はす

    <クローザー魂を継ぐ者> 浅尾拓也 「“伝説”を超えてゆけ」(鈴木忠平)
  • 松井秀喜は日本球界に帰らない……。命懸けでメジャーに行った男の覚悟。(中村計)

    2月下旬の渡米後、ニューヨーク州内の施設でひとり黙々と練習に励む松井秀喜。メジャーでの10年間のプレーで満額収得できる年金制度や、キャンプインから遅れて入団する場合の就労ビザなど……様々な問題と思惑が松井の周囲では飛び交っている状態だ。 依然として、松井秀喜の契約がまとまらない。 そんな中、日球界復帰説がまことしやかに流れているが、その可能性は極めて低いと思う。 「いつ辞めてもいいと思ってますよ」 2010年2月、エンゼルス1年目のスプリングキャンプでのことだ。松井はロッカールームで、いつもの甲高い口調でそう語っていたものだ。 軽い言い方だったが、その瞬間、松井はメジャーで野球人生を終えるつもりなんだろうなと直感した。 引き際がやってきたら、そこまで現役に執着はしない。もっと言えば、日に戻ってまでやろうとは思っていない、そう表明しているのだと解釈した。 「命をかけて」海を渡った松井秀喜

    松井秀喜は日本球界に帰らない……。命懸けでメジャーに行った男の覚悟。(中村計)
  • ダルビッシュとメジャーを熟知する男、木田優夫が語る「約束された成功」。(菊地慶剛)

    アリゾナ州サプライズで行なわれるレンジャーズのキャンプインは2月23日を予定している。メジャーのマウンドで投げるその日を、現地のファンも心待ちにしている このオフ、メジャー球界で最も注目を集めたダルビッシュ有投手の移籍がついに決まった。レンジャーズ入団決定後も次々と彼の今後を予想する報道、論評が続いているが、このコラムでも2つの観点からダルビッシュについて考察してみたいと思う。 まずは専門家から見たダルビッシュについて論じてみたい。1月にLAに自主トレに来ていた日ハムの木田優夫投手にいろいろ話を聞いてみた。 今さら説明する必要もないと思うが、今年9月で44歳となる木田は、プロ26年目の最年長右腕としてここまで生き長らえた投球技術、コンディショニング理論を持っている。そして自身もタイガース、ドジャース、マリナーズと5年弱もの間、メジャー球界に在籍していた。さらに2009年から日ハムに所属

    ダルビッシュとメジャーを熟知する男、木田優夫が語る「約束された成功」。(菊地慶剛)
  • <野球部の長い一日> 日大三高 「涙の冬合宿密着記」(中村計)

    夏の甲子園を圧倒的な打力で制した西東京代表、日大三高。 新チームで挑んだ秋季大会では、予選で敗れ選抜出場の夢は絶たれた。 そして迎えた冬。 この野球部には、小倉全由監督が就任した'97年以来続く伝統の合宿がある。 まだ日も昇らぬ時間から、辺りが暗闇に包まれるまで。 三高野球が作られる舞台裏に迫った。 すでに唇が不格好に歪んでいた。 昨年12月19日。日大三高野球部の冬合宿、6日目のことだ。 昼過ぎ、1年生の太田和輝が軽く右足を引きずりながら、監督の小倉全由(まさよし)の元にやってきた。フィールディング練習の際、太もも裏の肉離れを起こしたのだ。 目に涙をためながらケガの状況を説明する太田に、小倉はこう声をかけた。 「どうした? 悔しいのか」 太田は、黙ってうなずいた。もはや歪みは顔全体に広がっている。 「大丈夫だよ。走れるよ。足引きずりながら、やりゃいいんだから」 また、太田が無言のまま首を

    <野球部の長い一日> 日大三高 「涙の冬合宿密着記」(中村計)
  • センバツ出場校の見所を徹底解説。2012年、遂に“白河の関越え”なるか!?(小関順二)

    センバツ出場を決めて歓喜する花巻東の選手たち。エースの大谷翔平は「自分たちの代は岩手出身者だけ。岩手のために力を発揮して、日一というカタチで岩手の方々に届けられれば」と野球による復興支援を誓った 3月21日からスタートする春の風物詩、選抜大会の出場校が発表された。 北海道=北照 東北=光星学院(青森)、聖光学院(福島)、花巻東(岩手) 関東=浦和学院(埼玉)、作新学院(栃木)、健大高崎(群馬)、高崎(群馬)、横浜(神奈川) 東京=関東一 東海=愛工大名電(愛知)、三重(三重) 北信越=敦賀気比(福井)、地球環境(長野) 近畿=智弁学園(奈良)、天理(奈良)、近江(滋賀)、鳥羽(京都)、大阪桐蔭(大阪)、履正社(大阪中国=鳥取城北(鳥取)、倉敷商(岡山)、早鞆(山口) 四国=鳴門(徳島)、高知(高知) 九州=神村学園(鹿児島)、九州学院(熊)、別府青山(大分)、宮崎西(宮崎) 21世

    センバツ出場校の見所を徹底解説。2012年、遂に“白河の関越え”なるか!?(小関順二)
  • <横浜DeNAベイスターズGM> 高田繁 「最下位脱出のための再生プランを語ろう」(生島淳)

    ハムでの手腕を買われ、チームの再建を託された。 最重要課題は“編成哲学”のスタンダードを構築すること。 知略を武器にして、新生ベイスターズの挑戦が始まる。 筆者がはじめてGMと話をしたのは、ドジャースのプレスボックスでのことだ。 相手はポール・デポデスタ。そう、映画『マネーボール』でジョナ・ヒル演じる太っちょのGM補佐のモデルとなった人物だ。 「これまでとは違う発想でチームを強くしたいんだ」と語るデポデスタは、当時31歳。その言葉には自信があふれ、自分よりも年下のGMがとても眩しく見えた。 ちなみに実際のデポデスタはとても痩せていて、映画版では太り過ぎにデフォルメされており、というよりもあまりにもオタクっぽい設定だったので、自分の名前が使われるのを拒否した。 それから何人かのGMと話をした。ビリー・ビーン(アスレチックス)にジャック・ズーレンシック(マリナーズ)。いずれも語り口に独特の

    <横浜DeNAベイスターズGM> 高田繁 「最下位脱出のための再生プランを語ろう」(生島淳)
  • ダルビッシュ流出はNPBの危機!?MLBスカウトが語る日本球界の病巣。(氏原英明)

    1997年にはテキサス・レンジャーズのテストに合格し、2Aで実際に投手として活躍したこともある小島圭市氏。巨人、レンジャーズ、中日、興農ブルズ(台湾)とプレーしており、日球界と海外の野球界の両方を知る、数少ない識者である 「日のスター選手たちが次々にアメリカに行ったら、日の野球がつまらなくなる」 松坂大輔がメジャーに行った後に涌井秀章が出てきたように、国内から一人のスターが巣立てば、またその選手を目標にして新たなスターが生まれてくるものだと思うのだが、彼らはそのことをイメージしないようである。日球界にとって不幸なのは、現状を嘆くばかりで、日球界の更なる進化を語る人物が少ないことである。 常々、思うのだ。今、目を向けるべきは、ダルビッシュなどスター選手が国外へ流出していく危機ではなく、次なるスター選手をいかに生み出していくかという育成環境の刷新なのではないか、と。 ドジャース駐日ス

    ダルビッシュ流出はNPBの危機!?MLBスカウトが語る日本球界の病巣。(氏原英明)
  • 来年こそもっとプロアマ交流を!日本球界が一気に活性化する新提案。(氏原英明)

    8月4日のプロアマ交流戦。ロッテベンチからプロ選手が見つめるなか、見事な投球を披露した東洋大・藤岡貴裕投手。10月ドラフトでは、藤岡を巡って3球団が競合した末、見事ロッテが1位指名で藤岡投手を引き当て、後に入団も決定している 今年の野球界の関心事の一つに、大学生とプロの単独チームによる練習試合が解禁されたことが挙げられる。 学生はプロと同じ土俵に上げてはいけないという古い体質から、共に交流していこうという新しい体質へと改められたのである。3月1日に行われた巨人vs.中大を皮切りに、阪神は地元大阪の近畿大など数校と対決、ソフトバンクは九州共立大と対戦するなど、全国各地で大学生とプロの交流が実現した。歴史的な1年になったことは間違いない。 近年のプロとアマの関係は、改善の道筋をたどっている。例えば、2003年からは現役のプロ野球選手たちが、高校生を指導するシンポジウム「夢の向こうに」を開催。各

    来年こそもっとプロアマ交流を!日本球界が一気に活性化する新提案。(氏原英明)
  • 本当に努力は才能を凌駕できるのか?“偉大なる凡人”小笠原道大という謎。(中村計)

    ここ10年間、ほとんど3割30塁打を記録している小笠原。どの打順に入ってもバントが少ないことでも有名 わからない選手だ。 巨人の小笠原道大のことである。 私事だが、私は小笠原と同い年だ。小笠原も私も千葉県出身。しかも同時期に県内の高校で野球部に所属していた。 だが私も含め、私の周りの野球仲間も当時の小笠原を記憶している人に遭遇したことがない。 小笠原の母校である暁星国際は、ちょうど小笠原の年代から野球に力を入れ始め、彼らが2年生のとき、全国高校野球選手権大会の千葉大会で準優勝を果たしている。ちょっとした番狂わせだった。 だが、のちに日産自動車を経由してヤクルトに入団したエースの北川哲也以外の記憶は、まったくといっていいほどない。 日ハムに入団した時も薄かった存在感。 そのころの県内では、東京学館浦安の石井一久(西武)が知名度では群を抜いていた。石井は前評判通り、高校卒業と同時にドラフト

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  • <想いを交わすバッテリー> 谷繁元信&中日投手陣 「18.44mの以心伝心」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    マウンドの18.44m先で、捕手は投手と対峙する。 1球ごとにサインを送り、身振り手振りで指示を出す。 バッテリー間の声なきコミュニケーションは、いかにして 成立するのか。昨季、安定した投手力でセ・リーグを制した ドラゴンズの女房役に聞いた。 18.44mも離れている。 にもかかわらず、会話は成立してきた。 野球マンガ『巨人の星』で星飛雄馬と伴宙太が、『侍ジャイアンツ』では番場蛮と八幡太郎平が、そして『ドカベン』で里中智と山田太郎が、試合中、マウンドとホームの間で会話を交わしてきた。 そんなことが、現実には可能なのか。 ドラゴンズの谷繁元信は、こう言った。 「できる相手もいるし、できない相手もいるかな。ウチの吉見とは、そういう感覚で会話するようになってきましたね。もう、サインの中だけで(会話が)できますよ。アイツが、なぜ僕がこのサインを出しているのか、その理由までもお互いの呼吸の中で感じ取

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  • 「右投げ左打ち」の本塁打が激減。統一球が変えたプロ野球のトレンド。(小関順二)

    今季ダントツの塁打数を叩きだした西武の4番、中村剛也。統一球の導入によって、その天性の長打力が際立つ結果となった 今シーズン、塁打を10以上記録したパ・リーグ16人、セ・リーグ19人の顔ぶれを見て気づくことがある。右投げ右打ち、左投げ左打ちの選手が多いこと、すなわちこれまで球界を席巻してきた「右投げ左打ち」が少ない。パは16人中1人、セはパより多いが19人中わずか5人しかいない。この現象を引き起こした最大の要因は、今季から導入された統一球にある。 従来の公認球にくらべ縫い目の幅が1ミリ広く、縫い目の高さが0.2ミリ低くなることによって、机上の計算では飛距離が1メートル短くなるはずだった。しかし、2010年の総塁打数1605にくらべ、今季は939と激減、飛距離1m減どころではなかったのである。そして、その最大の被害者は右投げ左打ちの打者だった。 実は昨年も右投げ左打ちの塁打は少

    「右投げ左打ち」の本塁打が激減。統一球が変えたプロ野球のトレンド。(小関順二)
  • なぜソフトボールからプロ野球へ?日本ハムのルーキー大嶋匠の世界。(永田遼太郎)

    ソフトボールの選手がプロ野球の選手へ。 現時点でそれはファンタジーの世界の話だといわざるをえない。過去の記録を辿ってみても他競技からのプロ球界入りは大成した例がない。 100m走、槍投げ、レスリング……。 そのうち1軍公式戦に出場したのは1968年に100m走から転向した飯島秀雄(元東京オリオンズ)とレスリングから転向した桂和夫のふたりだけだ。飯島はプロ3年間で通算117試合の出場を果たすも打席に立った経験は一度もなく、完全な代走要員として起用され3年後には球界を去った。桂もプロ4年間で出場したのはわずか9試合。プロ初安打をあげた1958年のシーズンにはなぜかレスリングに復帰し東京アジア大会で優勝を収めている。これを成功と呼べるかどうか……。 今年のドラフト会議で北海道ハムがソフトボール出身の大嶋匠を指名した際も、「またか……」という思いが先に来た。 ドラフト下位指名での話題稼ぎ、

    なぜソフトボールからプロ野球へ?日本ハムのルーキー大嶋匠の世界。(永田遼太郎)