ビールとポップコーンと映画 ラストマイルを見た。良い映画だった。 映画館でべそべそ泣いて、鼻を啜りながら車で帰った。感想はこのブログでは書かない。みんな映画館に行って感じてみてほしい。 帰ってからツイッターで感想を漁り、うんうん、わかるわかる、そうだよね、とまた映画を思い出して…
11/25 水曜日、産経新聞の「オピニオン」という記事で、曽野綾子氏がとんでもないことを発言しています。 文章全体が、あまりに非論理的で、つっこみどころが満載なのですが、 曽野綾子氏、ノック事件から10年、全く認識が変わっていないようです。 ノック事件のときは、被害者の女性が 「すぐにその場で」「キャーッと大声で」「叫ばなかった」ことを平然と非難し中傷していました。 共感能力もなく、そういった経験のない女性にはわからないのでしょう。 実際には声も出ないほど驚愕し恐怖を感じるということが。 この記事、読めば読むほど、非論理的です。 一瞬、認知症の前兆なのだろうかと本気で考えたくらいです。 問題の記事はこちら→http://livedoor.blogimg.jp/teranews/imgs/f/2/f20c16eb.jpg 産経新聞 オピニオン 「用心するということ」 曽野綾子の透明な歳月の光
⇒http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069 ⇒はてなブックマーク - 強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記 ⇒http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091128/1259427578 「なんどめだナウシカ」「曽野先生なので仕方ない」のコンボで個人的に処理(=スルー)するつもりだったが、hokusyuさんが言われる通り、一部のブコメがひどかったので書くことにする。 「強姦するのが男の性」であることは、物理的に去勢しようがしまいが同じこと。「男の性」という言説が、現実の犯罪をもってして説かれることが意味する暴力の問題なので。「男の性」という一般論を偽装する言説が、現実の犯罪をもってして説かれることが、どのような暴力であるか。 「強姦するのが男の性」とは、「男の性
産経新聞に掲載された曾野綾子の「用心するということ」というエッセイが、この数日、ネット上でえらい顰蹙を買っている。産経新聞に謝罪を求める抗議運動まで起こっているようだ。批判記事には多くの反応が集まっている(その一つ、強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記にエッセイ全文が掲載されているので、未読の方はどうぞ)。 去年の2月、沖縄駐留米軍海兵隊員による女子中学生暴行事件の際、産経新聞客員論説委員の花岡信昭が被害者について「基本的な「しつけ」が徹底していなかった」とネットで発言し、散々叩かれたことがあった。「またかよ」感が拭えない人も多いと思う。 曾野綾子と言えば、最近では作家としての話題や評価より、石原慎太郎や中曽根康弘と仲良しで、靖国に参拝し日の丸・君が代を賞賛し、かつて日本船舶振興会の会長を務めたり日本郵政取締役に就任していたりする、ガチガチのタカ派とし
マタイ福音書とルカ福音書におけるイエスの誕生物語は史的事実でもなければ、子供向けのおとぎばなしでもありません。それは信仰の立場からの創作です。その物語をとおしてイエスとは誰であるのか、そして神はどのように現れ、どこに見出されるのかということが伝えられます。 この話しをきれいごとにしてしまうと、マリアの妊娠は奇跡的な出来事であるかのように扱われ、イエスの誕生は例外的なことのように描かれてしまいます。しかし、イエスの誕生は例外的であったというよりも、むしろすべての誕生において起こる不思議な謎はイエスの誕生に照らして解き明かされると言ったほうが適切な読み方のように思われます。 というのは、どの子でも親から生まれると同時に、聖なる息吹によって生まれるといえるからです。 マタイ福音書に現れているように、ヨセフはイエスの遺伝の親ではありませんが、マリアの結婚についての歴史的事実まで私たちが遡ることがで
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