第1話 「レコードに代わるものはこれだ」 そうこうしているある日、当時副社長の大賀はオランダの電機メーカー、フィリップスの幹部オッテンス氏からテレックスを受け取った。ヨーロッパに来ることがあればぜひ立ち寄ってほしいという内容である。フィリップスのオッテンス氏といえば、1960年代半ば、オーディオの「コンパクトカセット」の世界規格化をともに進めた時からの付き合いだ。以来ソニーの大賀、フィリップスのデッカー氏、オッテンス氏など、両社の幹部の間には確かな信頼関係が生まれていた。(第2部第5章第1話を参照) 1978年6月、大賀がオランダのアイントホーフェンにあるフィリップス本社を訪れると、オッテンス氏はあるものを見せてくれた。それは、中島や土井たちが開発を進めているものと同様の、オーディオ専用の光ディスクだった。「オーディオ・ロング・プレイ」(ALP)と彼らは呼んでいた。彼らは、70年代にレーザ
いろんな説がありますが、私の知っているのを一つ挙げます。 CDが出てくるちょっと前の話です。 デジタル音楽(PCM)というものが世の中に出始めたのは'70年代ですが この時、サンプリング周波数をいくつにすべきなのかは、 人の聴覚的な感覚に左右されるので、工学的や数学的には決められませんでした。 欧州ではサウンドマイスターなどがブラインドテストなどを通じて32kHzを主張していました。 そしてとりあえずこの値を叩き台としました。 さて、実際にアナログ音をA/Dコンバータにかけデジタルデータを作成したとして 何に記録したらよいでしょう。 当時それほどの高密度データ記録を行え、かつ容易に入手可能な機械の代表は ヘリカルスキャンを採用したビデオデッキでした(高価でしたが) そこでソニーは自社製のUマチックに記録する事にしたのです。 Uマチックとは'70年頃に登場したソニーのビデオテープレコーダです
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く