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2022年6月12日のブックマーク (2件)

  • 人を「叱る」ときに脳は快感を感じている 『〈叱る依存〉がとまらない』 - HONZ

    あなたのまわりに「叱る」人はいるだろうか。「怒る」ではなく「叱る」人だ。 叱るには「親や上司など指導する立場の人が、未熟な人を注意する」というニュアンスがあることを、きっと多くの人が賛同するだろう。「叱る」という言葉には=人を育てるというような意味を含んでいる。 「叱る」と「怒る」のふたつの言葉にあるこの差は大きい。「叱る」の持つ意味には、叱る人は悪くなく、叱られる人が悪いという響きがある。「わかっている人」が「わかっていない人」に教えるものだという雰囲気がある。 それに気づいたら、ちょっと怖い単語だと思わないだろうか。叱ることは、前提として優位な立場の人間が自分より下の人間に行う、歪な関係を前提にする言葉だからだ。 臨床心理士の著者は、このの中で、「叱る」ことを以下のように定義している。 言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の

    人を「叱る」ときに脳は快感を感じている 『〈叱る依存〉がとまらない』 - HONZ
    tinsep19
    tinsep19 2022/06/12
  • CSS設計における、すべてがコンポーネントであるという誤謬

    後日追記: WEB+DB PRESS Vol.133でさらに詳しく書いた。 BEMによってもたらされた、コンポーネントベースのアプローチでは、「ページはコンポーネントの集合によって表現されるべきであり、ページに含まれるのはすべてがコンポーネントである」と考える。しかしこれまでCSSを書いてきた経験から、これではデザイン意図をまともに表現することができないと感じ始めた。なぜなら、普通デザイナーはページのすべてがコンポーネントであるとは考えないからだ。 もちろんページの構成要素のなかには、明らかにそれが「コンポーネント」であると意識して作られたものもある。ただしそれは一部であり、全部ではない。「コンポーネントもあれば、コンポーネントではないものもある」という感覚のほうが普通なのだ。 典型的なUIライブラリにある、「ザ・コンポーネント」みたいなものだけではページは完成しない。例として、一貫してB

    CSS設計における、すべてがコンポーネントであるという誤謬
    tinsep19
    tinsep19 2022/06/12
    ページ内ではもちろんコンポーネントだけど、違うページ感では共有しにくいって話かな?perspective(見方)が違うのであれば、違うコンポーネントでしょ。そういうものだと思うわ