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mediaに関するtito_3Gのブックマーク (7)

  • 「新聞が信じられない座談会」で - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    去年暮れに、新聞を含むメディア不信や経営悪化の件での座談会に呼ばれたはいいけど、なんか上がってきたゲラが大変偏っていたので… どうも気になるわけですよ。仔細は述べないが、Aであり同時にBであるからCであるかもしれない、みたいなことは確かに言ったけど、なんかBだからAみたいな発言をしたことになってるし。ちゃんとテープを起こしたりしてないのかな。さすがにマズいと思ったので山ほど赤を入れて返送したけど、どうなることやら。 自著でも一部論じたけれども、いくつかここでも書いておこうかな。 佐々木俊尚さんがどこぞの記事で「毎日新聞はいまだにネットに対してアレルギーがある」的な内容を書かれていたけれども、たぶんそれは事実で。そのうえで、座談会では「通信社も新聞社もみんなネットが嫌い」で、かつ「広告代理店もテレビ局もネットが嫌いになりつつある」状況じゃないかという話に。 理由は儲からないから。 新聞が嫌い

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  • 小寺信良:正直、テレビはもうダメかもしれん (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

    の映像産業は、テレビへの依存度、正確には地上波放送への依存度が高い。総務省の調査によれば、国内で制作される映像コンテンツのうち、時間にして約92%が放送によって消費されている。 ところがこのうち、DVDやネットなどで二次利用されるのは、わずか8%にしか過ぎない。多くの番組が、一次流通である放送で終わってしまっているわけである。ここまで二次利用が進まないのは、権利処理が複雑だから、という意見がある。 主にこの意見を主張しているのは、放送局だ。著作権は局が持っているにしても、出演者など実演家の権利、音楽使用料など、さまざまな処理が必要になる。処理とは言うが、要するに誰にいくら払うかという話である。 音楽使用料に関しては比較的話が早い。JASRACがネットでの二次利用の音楽使用料ガイドラインを提示しているからだ。何かの批判の多いJASRACだが、どんぶり勘定でもとりあえず金さえ払えば文句を言

    小寺信良:正直、テレビはもうダメかもしれん (1/3) - ITmedia +D LifeStyle
  • ネットレイティングスが「新's」の視聴動向発表--アクセス規模は「手放しで喜べない数値」:マーケティング - CNET Japan

    ネットレイティングスは、2月1日にオープンした日経済新聞、朝日新聞、読売新聞3紙合同のニュースサイト「新's(あらたにす)」の視聴動向を発表した。同サイトは、3紙が発信するニュースや社説などの「読みくらべ」が可能なサイト。 主なニュースサイトの週次のアクセス規模の比較では、msn産経ニュースの利用者数が215万2000人、総利用時間は1151万4000分、毎日jpは同192万1000人、672万3000分、asahi.comは同162万9000人、1832万8000分、YOMIURI ONLINEは同122万2000人、731万1000分、NIKKEI NETは同105万1000人、872万3000分となっている。一方「新's」は33万2000人、230万1000分であった。 このデータは1月28日週のものであり、「新's」は2月1日から3日までの3日間のデータとなっている。「新's」は

    ネットレイティングスが「新's」の視聴動向発表--アクセス規模は「手放しで喜べない数値」:マーケティング - CNET Japan
  • ムーアの法則の歴史的帰結 - 池田信夫 blog

    私の新著は、まだ屋には並んでいないが、アマゾンで先行発売されたようだ。さっそくDankogai氏からTBがついているので、少し補足しておこう。 ムーアの法則による「コスト低下のスピードが遅くなっている」という実感は、彼のようにサイバースペースのど真ん中で仕事をしている人には当然だろう。問題はむしろ、「こちら側」ですらなく、情報産業の「外側」にいる大多数の人々に及ぼす影響だ。拙著(p.93〜)でも書いたように、コンピュータは電力のような汎用技術なので、それを利用した応用技術が発達しないと、真のインパクトは見えてこない。アメリカで最初の発電所ができたのは1870年代だが、電力使用量が蒸気機関を上回ったのはその50年後である。 コンピュータの場合、集積回路の発明された1960年から数えても50年たっておらず、すべてのの情報のうちデジタル化されたのは5%にすぎない。狭義の情報産業を超えた影

  • ブームか変容かを見抜けなければ語れない - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    「お前が言うな」と言われるのを覚悟&禁止したうえで、感想だけ書こう。長くなると感情論になりそうなので何だが。 ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 http://d.hatena.ne.jp/aerodynamik/20071108/p1 確かに、既存のブンガクからケータイ小説を読むと「はぁ?」という話になるようだが、ひとつの市場としてケータイ小説が若い男女に流行して、それ専用の商売が成立しているという現象は認める。 一方で、ケータイ小説を理解できないと老害であり、変化に対応できていないクズ野郎であっていますぐ泉下の人となるべき生きた化石かというと「まだ分からない」。 ぶっちゃけ、フラフープが流行して、あれこそ老若男女こぞってやりまくって「21世紀はフラフープの時代」とか「ちょっとした娯楽としてフラフープを一人一常備」というような流れになったかと言われると結

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  • 続・日本社会はフルボッコ先を求めている - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    情報カスケードという言葉があって、まあ一般的には「情報不足の状態から積み重なる判断が、最終的に真実とは程遠いまったく違った結論に至り、それが信用される過程」って意味合いで使われるかな、と。 で、まず亀田問題を例に取るけど。フルボッコ先の対象としてのクオリティは非常に高い。日人はたいていああいうのが好きではないが、目新しさを感じているときは持ち上げられて注目される傾向にある。日人でなくてもそうだ、日社会以外でも存在する、という議論もあるけど、まあその辺は広告業界に詳しい人がそのうちはっきり否定するだろうし、そう思っている人はその他大勢だろうからまあいいや。 私の思うところ、社会問題としての亀田問題というのは、放送法で公的に保護されている業界であるテレビ局が、反社会勢力と結びついて興行を行っている亀田ジムを持ち上げ、その過程で、公共の電波に暴力団が一同に介している映像を国民に流した、とい

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    tito_3G
    tito_3G 2007/10/19
    この現象はこれから先も繰り返されるわけで、疲れそうな世の中だなぁ
  • 「メディア利用の変化さえも認識できない消費者」の重要性(前編)

    書籍「次世代広告テクノロジー」(ソフトバンク クリエイティブ)の中で、湯川鶴章時事通信編集委員が興味深いことを言っています。「日という1つの社会の中に、メディア消費の変化をまったく感じていない層と、変化を認識している層、別のパラダイムに突入したため変化さえも認識できない層が混在している」と。 ここで言う「メディア消費の変化」とは、例えば、消費者は10年前は新聞やテレビを頻繁に見ていましたが、最近は、それに加え、一部ウェブでニュースを見たり、YouTubeのような次々に出現するウェブサイトでもメディア消費を行うようになったというその広がりと変化のことを言います。 今回私が注目しているのは上記の中で「別のパラダイムに突入したため変化さえも認識できない層」、つまりその「メディア消費の変化」とまったく違う世界に存在し、パソコンや携帯電話を中心に、あたかもそれらを使うことが生活の一部になっている層

    「メディア利用の変化さえも認識できない消費者」の重要性(前編)
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