いや~…もうちょっと遅く産まれたかった! おそらく、今後100年の間に、世の中の常識が激変するんじゃないか?って気がするんですよね。 思いっきり勝手な憶測ですが。 私自身は、どう頑張ってもあと数十年で死んじゃいますから、残念ながら自分の目で「新しい世界」を確認することはできません…。 悔しさを紛らわすために、100年後の未来を勝手に妄想してみたいと思います! まずね、個人が利用できるコンピューター(パソコンとかスマホ)の登場は、人類の歴史を見ても、大、大、大革命なんじゃないかと思うわけですよ。個人的には。 この先、人類が何百年、何千年、生存し続けるのか分かりませんけどね、おそらく…。 おそらくですよ、数百年後の未来の人が人類の営みを振り返った時に、 「パソコンとかスマホの登場は、あれはヤバかったね…!」 みたいな話になると思うんですよね。 原始人が、最初に「火」を扱えるようになったのと同じ
今朝も早くに起きて、瞑想音楽聴きながらコーヒー飲んでキットカット食べつつ軽く瞑想、ほんとこれ最高ですよ!なバンミ子です、こんにちは♪ よく、「みんな見てるよ、恥ずかしい」とか「恥ずかしいから一緒に居たくない」とか「恥ずかしいよ、やめなよ」とか聞きますけど、この『恥ずかしい』って一体なんなんでしょうね?それどこ出身?笑 辞書でも見てみましょう。 www.weblio.jp 恥ずかしいという感情、つまり羞恥心。 Wikipediaで羞恥心を見てみましょう。 羞恥心 - Wikipedia 恥じらい、あるいは羞恥心というのは、恥ずかしいと感じる気持ちのことである。つまり恥を感じている気持ちのことである。 羞恥心とは、自我や自尊心の延長にある概念である[要出典][誰?]。「恥となる行動をしてしまった」と感じる感情である。この感情は、社会規範への適応といった行動を促すが、その一方で過度に感じる場合に
自分も根っからの 日本人だと自覚があるので、 これは自分へのメッセージでもあります。 NOが言えない、 言いにくいことについて考えてみます。 そもそもなぜ日本人はNOが言えない? それは日本が島国で、 狭い村社会の中で 生きなければならなかった、 ということが大きいと思います。 狭い世界の中でNOといって、 いづらい雰囲気になったら、 自分の身が危うい。 そういったことが原因なのかな、 と思います。 その点海外、たとえばアメリカなどでは よくも悪くも?個人主義なので、 別に誰かに頼る必要も、 狭い世界の中で生きる必要もありません。 逆にいえばそれはそれで 厳しい世界なのですが、 そういった世界の中で 生きてきているので、 コミュニティの中の調和などは 気にしすぎず、NOが言える。 というか、個人主義の場合は、 自分にとって 不利だったり、危険な場合、 きちんとNOを言わないことのほうが、
1人の 人間が 生きられる時間って 限られてるじゃん? 無限に時間は 使えないじゃん? 普段、 時間の有限性を 意識してないじゃん? (ΦωΦ) _人人人人人人人人人_ >時間は有限なんです<  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄— アサクママサル (@M_Asakuma) 2017年9月17日 時間って 適当に潰しちゃうじゃないですか。 あれもこれも したいって なっちゃうじゃないですか。 でも、 時間は無限にないじゃないですか。 あなたは、 ☆☆☆何に時間を使ってますか?☆☆☆— アサクママサル (@M_Asakuma) 2017年9月17日 【時間は】やらないことリストを作ろう【有限】 けい@ひきこもリーマンさんの記事。 hikikomoriiman.me やらないことリストを作ろう。 時間は限られてるってことを、 普段から意識して過ごさないですよね。 なんとなく時間を潰したり、 適
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