認知障害のある84歳の母を85歳の父と一緒に介護している。母は「ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、自分が何をしているのか」がわからない。見当識が無いというのだそうだ。半年前に在宅介護を始めてから、毎日毎日「私、どうしちゃったの? どうなってるの? なんで誰もいないの?」と聞く。最初のうちは「病気なんだから」と辛抱強く答えていた父は、すっかりうんざりしてしまい、母がいつもの質問を始めると無視するようになった。私が代わりに答えると母は「なんでパパに聞いてるのに、あんたが答えるの?」と言うので「同じ質問を千回繰り返しているから、もう答えるのがめんどくさいんだよ」となだめている。 一昨日の夜、10時に就寝し、父は寝室に引き取り、私と母は病室としてしつらえた部屋で休んだ。11時ごろ、母がむくっと起き上がった。「何?」と聞いたら「パパに聞きたいことがある」とベッドから下りて、父の寝室のほうへ行こう
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、 家が流されたんだよ? と、福島の兄に電話したら、言われました。 おまえ、ちゃんと分かってるの? 超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、 あの帰る家がね、全部流されたんだよ。 俺、もう、家ないの。 明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。 今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、 全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。 おまえ、家ないのに頑張れる? 服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。 よし、頑張ろう!って思える? すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。 ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。 いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。 仕事もあるじゃんって。 おれ、船、なく
この2年間、私はベトナムで自分なりの「ビジネス」を立ち上げようと努力してきた。だがベトナムでのビジネスはあきらめた。 ベトナムが好きだ。ベトナム人が好きだ。ベトナムでの生活も好きだ。ベトナム料理も好きだ。ベトナムの文化や言語も深く学んだ。 ただ、最初から難点はこの国の政府だろうと思っていた。共産党一党支配。言論統制。汚職腐敗。悪い噂は最初から聞いていた。実際行ってみたら、想像以上にひどかった。 それでも私はベトナム政府をなるべく好意的に捉えようと努力してきた。だが、今年の初め、会社を設立しようとしたとき、当然のように賄賂が必要だとコンサルに言われたのには愕然とした。私は悩んだが、結局、会社を作るのはやめることにした。会社を設立しても、納税のたびに税務署に「付け届け」が必要だという話も聞いた。とにかく、当局の実際の姿勢は、法律からは推し量れず、不透明だった。 ベトナムの名誉のため言っておくと
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