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  • 池田信夫 blog : 人類は「集団主義」で生き残った

    2018年10月16日11:44 カテゴリ 人類は「集団主義」で生き残った 近代社会では個人主義が当たり前で、「集団主義」というのは悪い意味に使われるが、人類の歴史の大部分だった狩猟採集社会では、先祖は数十人の集団で移動しながら生きてきた。集団が滅びると個体も滅びるので、脳には集団主義の感情が遺伝的に組み込まれている。 霊長類が進化で生き残った原因は、大きな集団をつくる脳が発達したことだが、中でも最大の集団をつくるのが人類だ。集団の自然な大きさは脳の新皮質の大きさで決まり、人類の場合は150人だ、というのが「ダンバー数」という著者の説である。これは狩猟採集社会の話なので、現代社会にはもっと大きく複雑な集団があるが、個人が顔を覚えられるのは150人ぐらいが限界だという。 人類の大きな脳は敵と味方を識別し、集団をつくって身を守るために発達したと考えられている。類人猿は「毛づくろい」で集団をつ

    池田信夫 blog : 人類は「集団主義」で生き残った
    tmsbb
    tmsbb 2018/10/16
    “人類は言葉で集団をつくる。だから猿がしょっちゅう毛づくろいをするように、人間はいつも無意味な噂話をしている。その目的は話の中身ではなく、互いが仲間だと確認することなのだ。”
  • 日本人の「土地生産性」は世界一 : 池田信夫 blog

    2017年05月01日17:03 カテゴリ経済 日人の「土地生産性」は世界一 日人の労働生産性が低いとか、一人当りGDPが世界22位になったとか言われると、日人には納得できないのではなかろうか。近所のコンビニでは店員が24時間働き、超効率的に棚を管理している。それは一部の都市だけではない。日のGDPを平地の面積で割ると、図のように世界一なのだ(香港やシンガポールなどの都市国家を除く)。 可住地面積あたり名目GDP(万ドル/km2) これは歴史的にも重要で、労働集約的な農業で土地を節約する勤勉革命が、江戸時代に生産性の高まった原因だった。明治以降の工業化でも、日は労働集約的な工業化を選んだ。繊維産業などでは日の賃金が圧倒的に安かったので輸出もできたが、資蓄積が進まなかったので1920年代に行き詰まった。そういう「過剰人口」を消化するために朝鮮や満州に植民したが、投資を回収しない

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    tmsbb 2017/05/02
  • 「大連立」という道もある : 池田信夫 blog

    2016年08月10日20:35 カテゴリ 「大連立」という道もある 民進党が蓮舫代表になるようでは政権交代は望めないが、今の衆参で150前後という民進党の議席は55年体制の社会党とほぼ同じで、自民党を監視する抵抗型野党としてはちょうどいいサイズなのかもしれない。蓮舫氏も、国会で政府を追及するだけなら絵になるだろう。 そもそも何のために政権交代するのだろうか。かつてのように与党が資主義で野党が社会主義なら、そういう「革命的変化」も必要だが、今はそういう大きな違いはない。日には英米のような階級対立もないので、「穏健な多党制」が望ましいという意見もある。かつての自民党は、一党支配のもとで派閥による擬似政権交代をしていた。 もともと小選挙区制は、自民党が両院の2/3をとるために何度も国会に出したが、野党の抵抗で実現しなかった。それを90年代に「政権交代を可能にする」という理由で実現したのだ

    「大連立」という道もある : 池田信夫 blog
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    tmsbb 2016/08/08
    “英米のような政権交代型野党は、むしろ少数派だ。日本のように同じ党が一貫してが圧倒的多数という国も少ないが、ヨーロッパの多くの国はその中間”
  • 政治家とマスコミは同じムラの仲間 : 池田信夫 blog

    2016年02月21日17:39 カテゴリ 政治家とマスコミは同じムラの仲間 このごろ「安倍政権の言論弾圧」がよく話題になる。三浦瑠璃氏は、その原因はマスコミという「ムラ社会」が自律性を失ったためだというが、これは逆である。昔から政治家とマスコミは同じムラの中で、あるときは脅し、あるときは癒着して共存してきたのだ。 書は大平正芳の側近が、田中角栄の失脚後の政争を個人名を出して赤裸々に描いたものだが、目立つのは新聞記者が派閥間のメッセンジャーとして活躍することだ。 特に大平に次ぐ派閥ナンバーツーと自認していたのがNHKの島桂次で、いわゆる椎名裁定で田中の後任に三木武夫が指名されたとき、大平派の幹部が深夜に集まり、大平の擁立を主張したのに対して、島は「兵を引け。明日の朝刊は大勢が三木総裁へとなっている」と反対した。翌朝の報道は各社とも「三木総裁へ」という見出しになり、大平派は撤退した。 こ

    政治家とマスコミは同じムラの仲間 : 池田信夫 blog
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    tmsbb 2016/02/22
  • 「翼賛体制」をつくった知識人たち : 池田信夫 blog

    2015年03月31日10:43 カテゴリ 「翼賛体制」をつくった知識人たち 「翼賛体制構築に抗する声」と称するウェブサイトができているが、テロリストを支持してマスコミからお呼びがかからなくなった集団らしい。彼らは知らないだろうが、戦前の「翼賛体制」をつくったのは、こういう自称知識人だったのだ。 丸山眞男は、ファシズムに協力した人々を「亜インテリ」と呼んたが、実は翼賛体制の中心になった人々には、彼のいう物のインテリも含まれていた。東大教授の蝋山政道、朝日新聞論説委員の笠信太郎、哲学者の三木清が中心になって1933年につくった昭和研究会が近衛文麿のブレーントラストだったのだ。 彼らの問題意識は、ハイデガーやカール・シュミットと似ていた。大恐慌後の1930年代の混乱に対して、政党政治がなすすべがない現状を憂えて、政党を超えた「協同体国家」の建設を提唱したのだ。その理論的中心になったのは、三

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  • 憲法を超える「国民感情」 : 池田信夫 blog

    2015年02月28日17:54 カテゴリ法/政治 憲法を超える「国民感情」 今週のVlogの補足。憲法改正はできればやったほうがいいが、現状では不可能だ。安倍首相は見果てぬ夢に政治的資源を費やすより、もっと効率的な資源配分を考えるべきだ。戦前の「国体明徴」をめぐる下らない論争を同時代に経験した丸山眞男は、こう書いている。大日帝国憲法というと、今日の人々は教育勅語と並んで、戦前の天皇制イデオロギーの根幹をなしていたというイメージをいだくのが一般である。が、それは半ば真実であり、半ば真実ではない。戦前において天皇制の思想的支柱をなしたのは右の二つのうち教育勅語の方であって、憲法ではなかった。(「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」、強調は引用者)これは意外な感じがするが、戦前の学校教育で教えられたのは教育勅語の儒教思想であり、明治憲法の立憲主義ではなかったという。戦後に美濃部達吉が名誉回復され

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  • 社会秩序とコミュニケーション : 池田信夫 blog

    2015年02月19日11:29 カテゴリ 社会秩序とコミュニケーション 書は最近のゲーム理論(と実験)のサーベイだが、もうナッシュ均衡の概念はほとんど出てこない。それは第一近似としては意味があったが、多人数のゲームでナッシュ均衡(不動点)を計算することは不可能であり、現実に人々はそんな計算をしていないからだ。 囚人のジレンマもほとんど出てこない。それはジレンマではなく支配戦略の一つに決まったゲームであり、人々はそういう答のわかりきったゲームをしていないからだ。「社会的動学」のモデルはもっと一般的な共通利益ゲームであり、答は複数あって決まらない。 では社会秩序はどうやって維持されているのか。著者の答は、コミュニケーションである。人々は「最適反応」を合理的に計算しているのではなく、ひたすら他人と話し、その行動を学習して模倣しているのだ。そして十分多くのコミュニケーションがあれば、学習によ

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  • カルトを合理的に理解する : 池田信夫 blog

    2015年01月24日15:24 カテゴリ科学/文化 カルトを合理的に理解する イスラーム国のような狂気のカルトを合理的に理解することは常識的には不可能だが、まったくナンセンスな組織があれだけの規模になるはずがない。そこには彼らなりの合理性があるはずだ(この合理性は「論理的に矛盾していない」という意味で、望ましいという意味はない)。 書は、ローマ帝国に弾圧されたカルトだったキリスト教が、逆に国教になるまでに成長した原因を、合理的に理解しようと試みる。もちろん史料が限られているので、多くは推測の域を出ないが、マクニールも指摘しているのは、疫病の影響である。彼はこの時期に人口の1/4から1/3が疫病で死んだと推定している。 疫病は、死の危険という点では戦争と同じだが、その原因をコントロールできない。予防も治療も(当時の医療技術では)不可能なので、残された救済の方法は来世で幸福になれると信じる

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  • 世界政府という見果てぬ夢 : 池田信夫 blog

    2015年01月02日16:37 カテゴリ 世界政府という見果てぬ夢 むずかしい話のついでにメモ(ほとんどの人には読む意味がない)。デリダが主権の批判者として評価するのはシュミットだが、彼はその先駆者としてマルクスをあげている。 カントの「世界政府」は主権国家の集合体であり、国家を統治する国家をもたない、と嘲笑したのはヘーゲルだが、彼の『法哲学』でもすべての特殊性を止揚した普遍が、なぜかプロイセン国家だった。これを御用哲学と批判したマルクスはインターナショナルを創設し、完全な自由貿易を提唱した。 シュミットは書で、このインターナショナルこそ近代国家を乗り超える形態だという。国際連盟は中途半端な主権国家の寄せ集めにすぎないが、「第三インターナショナルのように国家の境界を超え、その壁を突き破って国家の領土的閉鎖性を否定する運動こそ、戦争を最終的に終わらせる可能性をもつ」と彼は評価した。 こ

    世界政府という見果てぬ夢 : 池田信夫 blog
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    tmsbb 2015/01/03
    “暴力革命が先進国で不可能~政治が改善されたからではなく、国家の軍事・警察力と市民の武力の不均衡がきわめて大きくなったから~中東で戦争が続くのは~テロリストを鎮圧する国家の武力が不十分だから”
  • 慰安婦と原発の確証バイアス : 池田信夫 blog

    2014年08月07日01:18 カテゴリメディア 慰安婦と原発の確証バイアス 江川紹子氏のインタビューした大沼保昭氏に典型的にあらわれているように、慰安婦問題には原発とよく似たバイアスがある。第1の共通点は、騒ぐのは事件が起こってから参加した人だということだ。私のように朝日新聞が騒ぐ前に慰安婦を取材した者は、強制連行という問題が存在しないことを知ったが、大沼氏のように事件の発生後に参加した人は「何か問題があったはずだ」という前提から入る。朝日の報道を知っている「元慰安婦」は、それに合わせて話をつくるので、確証バイアスが補強される。 原発も同じだ。田原総一朗氏や私のように、3・11の前から原発とつきあっていると、問題が複雑だということを知っているが、事故が起こってから参加した人は「原発はとてつもなく危険なものだ」という第一印象を刷り込まれるので、その印象にあう情報だけを集め、それ以外の情報

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  • 国家は自由のためにある : 池田信夫 blog

    2014年07月27日00:35 カテゴリ 国家は自由のためにある きのうの記事の補足。「原子力村は悪だから、彼らの話は嘘だ」というように善悪によって真偽を決める呪術的思考は、人類の圧倒的多数派である。むしろ「価値判断と事実は独立だ」という思想が、西洋近代以降の新しいものだ。 これを「科学者がキリスト教会と闘って実証主義を確立した」と思っている人が多いが、それは歴史的には間違いである。近代の自由主義の起源は、宗教戦争を収拾するために宗派間の妥協として生まれた寛容の思想としての信教の自由にある。 ジョン・ロックとともにその元祖になったのが、スピノザである(当時はほとんど知られなかったが)。彼は書で「哲学は信仰と切り離すべきだ」とくり返し主張している。人々には自由に考え発言する自然権があるからだ。これは今では自明の話だが、17世紀のオランダでは危険思想とみなされ、彼は教会から破門された。

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    tmsbb 2014/07/27
    ”認識はすべて「理論負荷的」であり”
  • 清水幾太郎の覇権と忘却 : 池田信夫 blog

    2014年07月20日13:18 カテゴリ 清水幾太郎の覇権と忘却 集団的自衛権をめぐる騒動は、60年安保に似ている。当時も安保条約なんてほとんどの人は知らず、新聞が「アメリカ戦争に巻き込まれる」という不安をあおって騒ぎを作り出したのだ。最初は一部の学生・知識人にとどまっていた運動が、1960年6月の国会通過の数ヶ月前から、急に盛り上がった。そのきっかけが、全学連主流派(ブント)の国会突入だった。 清水幾太郎は、60年安保の主人公だった。今では忘れられた人物だが、当時は「いまこそ国会へ」というアジテーションを発表し、全学連を支援する声明を出した(丸山眞男は署名しなかった)。このときの騒動をのちに振り返って、清水は「何をやりたかったのか自分でもわからない」といっている。 書は「二流の知識人」だった清水の生涯をあとづけ、「一流」だった丸山と対比して「進歩的知識人」の心理を意地悪く描いてい

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  • 原田泰氏は「転向リフレ派」 : 池田信夫 blog

    2014年07月19日01:09 カテゴリ経済 原田泰氏は「転向リフレ派」 アベノミクスが始まったころはリフレ派は勢いがよかったが、政権発足から1年半たっても、株式市場以外の実体経済には何も結果が出ていない。これをどう見るかが書のテーマだ。リフレ派と反リフレ派の論争という形になっているが、論争の体をなしていない。リフレ派が総崩れだからである。 第2章の片岡剛士「金融政策で物価をコントロールできる」は、このタイトルを何も証明していない。彼が「デフレは賃下げのせいではない」とかいろいろ言い訳した末に出すのは、おなじみの次のような図だ。 マネタリーベース(赤)とマネーストック(青)の前年比(日銀調べ) このようにマネタリーベースとマネーストックの相関がゼロ金利では切れたことを認めた上で、彼は「物価に影響を及ぼす有効な手段がないために金融政策は物価をコントロールできないという議論は誤りと言えるの

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  • 池田信夫 blog : 産業革命というオリエンタリズム

    2014年05月01日23:21 カテゴリ 産業革命というオリエンタリズム 最近の歴史の教科書は昔ほど「自虐的」ではないが、いまだに「オリエンタリズム」は強い。たとえばイギリスの「産業革命」は綿工業で発展し、その原料としてインドを植民地支配して綿花を輸入したという話は、いまだにどんな教科書にも出ているが、書が詳細に論証しているように、事実はその逆である。イギリスはインドから綿織物を輸入していたのだ。 インド産の綿布(キャリコ)は世界市場で最大のシェアを占め、品質がよく安価だったため、イギリスでもブームになった。次の表でもわかるように、産業革命初期に西アフリカで売られていた綿織物はインド産のほうがはるかに多く、イギリスは18世紀末になっても追いついていない。 しかしイギリスには、インドの綿織物は輸入されなくなった。キャリコに押されて毛織物が売れなくなった毛織物業者が政府に圧力をかけ、17

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  • 「消えゆく手」とカリスマ的支配 : 池田信夫 blog

    2014年02月26日19:16 カテゴリ 「消えゆく手」とカリスマ的支配 独裁と民主制のトレードオフは、企業理論にも当てはまる。20世紀前半までは資主義が組織化され、チャンドラーのいうように「見えざる手」から「見える手」に移行する時代だった。そのまま企業は果てしなく巨大化するかと思われたが、1980年代以降に逆転し始めた。これを著者は消えゆく手と呼ぶ。 この原因は、コース以来の取引費用理論によれば最適規模の縮小である。企業は大きくなると規模の経済は大きくなるが、官僚制の「合理的支配」によってイノベーションが困難になる。これに対して、ウェーバーのいうカリスマ的支配で独裁にすれば「革命」が可能になる。取引費用が小さくなると、コア事業以外をアウトソースする水平分業が可能になる。こういう個人資主義は、一見18世紀の初期資主義に似ているが、実態は逆である。産業革命期には輸送コストが大きく、

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  • 「15年戦争」を生んだ現場主義 : 池田信夫 blog

    2014年02月13日12:03 カテゴリ 「15年戦争」を生んだ現場主義 アゴラこども版で解説したように、「南京大虐殺はあったか」という論争には意味がない。南京陥落の際に民間人の殺傷事件があったことは事実で、それが他国の領土だったことも明らかなのだから、これが侵略であることは争えない。中国のいう「30万人」が大げさだとしても、何もなかったことにはできない。 しかし日軍の中国侵略が何を目的にして行なわれたのかは、いまだにはっきりしない。これまでの歴史学の主流では、陸軍の一貫した膨張主義によって「15年戦争」が計画的に行なわれたことになっているが、書は一次史料にもとづいてこれを否定する。この15年間(実際は14年)、陸軍に一貫した方針はなかった。軍の首脳部は、中国に戦線を拡大することには反対していた。 15年戦争の発端になったのは1931年の満州事変だが、その来の目的は来るべき対ソ戦

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    tmsbb 2014/02/13
    "15年戦争は一貫した侵略戦争ではなく、そのつど短期決戦で勝負がつくと考えては失敗し、別の人物が同じことを試みては失敗する繰り返しだった。"
  • 主権国家のトリレンマ : 池田信夫 blog

    2014年02月03日12:59 カテゴリ経済 主権国家のトリレンマ 今週のメルマガでラフに書いたが、ちゃんと説明したほうがいいので補足しておく。経済学で、国際金融のトリレンマとしてよく知られている話がある。これは 1.自由な資移動 2.固定為替相場 3.金融政策の独立性 の3つのうち2つしか同時に満たせないという問題で、1930年代には1と2を維持したために3が失われ、アメリカの大恐慌が世界中に伝染した。1970年代にも外為市場が動揺したため、2をやめて変動為替相場制にして1と3を維持している。 ユーロ圏では、竹森俊平氏のいうように、1と2を維持しているために南部から北部への大規模な資逃避が起き、ECB(実質的にはドイツ)が金融政策でその赤字を補填している。同じようなトリレンマが主権国家にもあり、次の3つのうち2つしか同時に満たせない。 1.自由な人口移動 2.共通の通貨 3.各地方

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  • ケネディ駐日大使の自民族中心主義 : 池田信夫 blog

    2014年01月19日11:55 カテゴリその他 ケネディ駐日大使の自民族中心主義 きのうケネディ駐日大使が公式ツイッターで、上のような意見を表明した。英語では"Deeply concerned by inhumaneness of drive hunt dolphin killing. USG opposes drive hunt fisheries."と書かれている。これは大使館ではなく彼女の個人的な見解のようだが、「米国政府がイルカの追い込み漁に反対する」という根拠がはっきりしない。 ネットで調べた限りでは、アメリカの海産哺乳動物保護法で「残虐な漁法による捕獲」を禁じているようだが、この法律は適用された例がないという。これはアメリカの国内法だから、大使が日のイルカ漁に干渉する権限はない。東京都知事が「原発再稼動は許さない」というような笑い話だ。 「追い込み漁」とは残虐な漁法ではなく

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    tmsbb 2014/01/19
  • 開かれた共同体と閉じた共同体 : 池田信夫 blog

    2014年01月03日16:53 カテゴリ科学/文化 開かれた共同体と閉じた共同体 キリスト教と資主義をつなぐのは、結社である。しかしこれは丸山眞男が理想化したような「自立した個人の自発的なゲゼルシャフト」ではない。そんな上品なものでは、ローマ帝国の激しい弾圧には耐えられなかっただろう。丸山が指導した日の左翼が挫折したのも、それが日的キリスト教会のようなサロンだったからだ。 初期のキリスト教団の特徴は、その共同体的結合の強さだが、通常のゲマインシャフトとは違ってそれは開かれた共同体だった。「背教者」と呼ばれた4世紀の皇帝ユリアヌスの手紙は、止めようとしても止められない無神論者(キリスト教徒)の強さを次のように記している。無神論者をこの上もなく発達させた理由は、他者に対する人間愛、死者の埋葬に関する丁寧さ、よく鍛錬された生き方のまじめさである。[…]それぞれの町に歓待する場所を多く設置

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  • 統帥権はなぜ独立したのか : 池田信夫 blog

    2013年12月29日00:23 カテゴリ法/政治 統帥権はなぜ独立したのか 靖国参拝に対する反応は、最初から立場が決まっている人が多い。「私はリベラルだから反対だ」という人がいる一方、「私は保守派だから賛成しなければならない」と思い込んでいる人も多い。そういう人は「国の誇り」とやらを振り回す前に、書を読んでほしい。 保守派の論客だった山七平は日軍の狂気を詳細に分析し、その根底に明治憲法の致命的な欠陥があることをきびしく批判した。書の308~10ページから引用しておこう(一部略)。なぜこの民権派・人権派が統帥権の独立──いわば兵権と政権を分離し、政府に兵権をもたせず、これを天皇の直轄とせよ──と主張したのか。言うまでもなくそれを主張した前提は、明治の新政府が、軍事政権とはいえないまでも、軍事力で反対勢力を圧服して全国を統一した新政府、いわば軍事的政権であったという事実に基づく。 こ

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