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ブックマーク / www.axis-cafe.net (6)

  • 憲法使いの弟子 - おおやにき

    「だまれ俺は芦部信喜教授の孫弟子の同期だぞ」ってのはどうか(挨拶)。憲法問題だから「ノモス主権論尾高朝雄教授四世の孫弟子」の方がいいかな。しかしその、尾高宮澤論争以来の敵対派閥(笑)だからというのではないが、天賦人権説というのもそうスジのいい議論ではないので切り札的にそれは天賦人権説否定ですねドヤアみたいなのもどうかと思ってちょっと書く。 というのは自民党の憲法改正案にまつわる問題で、それを進めている人々がtwitterでうかつなことを言っているのに対して怒っている人々がいるという話であり、いや個人的にも先般提案された改正案はろくでもないものになっていると思っているわけではあるがおそらく私が問題にしている箇所は人々が怒っているのとは違うし、いま問題にされているような論じ方が利口だとも思えない。というので少し書いて放っておいたら政治のほうが動き出したりしてどうしたものかと思っているわけだが、

  • 続・天下り? - おおやにき

    前のエントリの内容について、あとからひとこと。 味村氏の事例を結論的にどう考えるかということについては、いろいろな意見があろうかと思う。私が述べたような事実関係であれば問題ないと思う人もいれば「李下に冠を正さず」だと言う人もいるだろうし、それでも問題だと思う人もいるだろう。あるいは、味村氏の事例は納得したが他に問題のあるケースがあるのではと思う人もいよう。それは第一義的には価値判断の問題なので、それで構わないと思う。問題はしかし、多様な価値基準を持った人々がいるにもかかわらず・正確な事実関係の判断を欠く情報が提供されたら結論が歪んでしまうという点にある。 実際、たとえば「ある被告人の無罪判決を書いた裁判官がその直後に退官し、当該被告人の経営する会社の取締役に迎えられた」のであれば当該判決が正当なものか不当だという疑いのあるものかという点はおいておいても大問題だと思う人がいたとして(私自身は

    tobiaki
    tobiaki 2011/06/04
    天下りについての考察。おもしろい。
  • 続々・更新 2011年3月20日 - おおやにき

    なんかまったくインターネット接続環境が改善できないのでもういいかなと諦めかけている(この話の詳しい内容はまた書く)。さて地震・津波から1週間がたち、こちらで確認できる状況でも死者・行方不明者の規模が1万5千人を越えている。前エントリで私が書いたことは呑気もいいところだったことがはっきりしたわけで、不明を恥じるしかない。書いた通り揺れを体感しているわけでもなく、BBCのニュース映像は見たがスケールがわからないのでどこか数箇所では津波で車が流されるとか、倉庫が潰されるとかいう被害が出たのだろうなあと思っており、さらに後の報道で被害エリアの地図などを見てようやく映像のような被害が例外的な地点でではなくかなり広範囲に生じたことが分かってあわてたという経緯があるのだが、まあ言い訳である。ある方から、こういう大規模な災害では被害者の規模は1週間くらいしないとわからないものだと指摘された。その通りであろ

    tobiaki
    tobiaki 2011/03/21
    最後のDaily Mirror、ちょっと和むw ありがたいことです。
  • ぎうぎう・その後 - おおやにき

    tobiaki
    tobiaki 2011/01/13
    「成長なき時代の「国家」を構想する」
  • 続・おばけ高齢者 - おおやにき

    ようやく前期の講義に関する事務処理が終わったら夏も終わりかけている件について(涙)。さて書類上生き続けていることになっている「おばけ高齢者」の問題については前に一度書いたのだが、その後も続々と事例が出てきているようであり、ついには戸籍上200歳超の老人がいることが判明などと記録競争の様相を呈している。前に『思想地図』の対談で、親の死亡を隠して年金を受け取り続けていた40代無職男性だかの事例に笠井潔先生が言及しており、それは若年層の不正規雇用化などによって今後こういう事例が続々と出てくるという予言でそのとおりだなと思ったものの、まさかそれより先に高齢者が超高齢者をい物にしている話が露見してくるとは思わなかったよなと。 しかし繰り返して言うが、同じように「書類上は生き続けている」事例にも (1)住民基台帳上も生きているので年金等の不正受給に直結しているケースと、(2)戸籍上だけ残っているケ

  • 幻想の共同体 - おおやにき

    実家に寄ったので読売を読んでいたら、秋葉原の連続殺傷事件は人を取り替えのきく部品のように扱う現代社会の帰結で犯人を暖かく包む伝統社会とか共同体とかがあれば起きなかったのではとか書いている人がいてええと津山三十人殺しってどういう時代に起きたんだっけ(挨拶)。世話好きおばさんがいたら非モテでもお嫁さんとか来てくれて幸せになれたのではとかいう趣旨のことが書いてあったような気がするんだけど、匿名性が高くて属性を隠蔽できるネット上の掲示板ですら「こいつなんかヘン」だと気付かれちゃうような人間の居場所が閉鎖的で固定的な共同体にあるわけないじゃん。村中から後ろ指差されて違う形で暴発してただけなんじゃないの、とは思うところ。 というか現代社会が行為や所属の領域を分断することによって「ちょっとヘン」な人がそのヘンさを日常とは違うところで表現したり発散したり、とにかく周囲の社会には気付かれずに平穏無事に生きて

    tobiaki
    tobiaki 2008/08/01
    「トンチンカンな善意より冷ややかな悪意の方が善に近い」
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