このウェブスペースへは、まだホームページがアップロードされていません。 早速、エックスサーバー上へファイルをアップロードしてみましょう。 アップロードの方法などは、サポートマニュアルをご参照ください。
このウェブスペースへは、まだホームページがアップロードされていません。 早速、エックスサーバー上へファイルをアップロードしてみましょう。 アップロードの方法などは、サポートマニュアルをご参照ください。
平野さんの公式ブログの最新エントリー「巧みに生きるか、善く生きるか、……」(是非全文読んで考えてみてほしい) http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20070121 を巡って思ったことをちょっと書いてみる。 『ウェブ人間論』の対談をしていた時にも考えていたことですが、人間は、自分の属している社会のシステムと否応なくつきあいながらどうにかこうにか生きているわけですが、そこで、「巧みに、うまく」生きているだけでは、結局のところ、満たされないんじゃないかという気がします。それは直接には、僕自身を振り返ってみてのことですね。 巧みに生きる、ということについて言えば、梅田さんがいみじくも「サバイヴする」という言葉で表現したように、今の社会は、ノンキに関わって生きていこうとするためには、複雑になりすぎているんだと思います。ITに関してもそうだし、経済にしてもそう。
http://www.allnightnippon.com/ どうせお前らは日曜Googleキャンパスの食堂見たさに嫌々受信料払ってるにも関らず録画予約に余念がないことと推察しますが、皆様いかがお過しでしょうか。『グーグル革命の衝撃』もいいんだけど、その前の日の今日は浩子さんのオールナイトニッポンが今夜一夜限りで復活(24年ぶり!!)するので、本日記読者諸兄におかれましてはぜひニッポン放送またはその系列局にtuneされたうえでそちらもきっちり聴いていただき、できれば録音していただきたく。27:00からのon airです。↑に書いたURLのページの下の方に案内があります(こういうときにperm linkないと不便だのう)。 既にハガキ(ていうかメール)の募集とかは大人の事情とやらで終了しているのは残念ですが。私ももちろん聴くつもりなんだけど、いま事情により出先でして、ラジオの受信環境に不安が
dtk at 11.29 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) taka at 11.29 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) Apricot at 11.28 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) jangarianham at 11.28 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) toshi at 11.28 (ブログ論壇考(5)) 通報 at 11.25 (パイを誰と分けるのか?) 47th at 11.23 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) grande at 11.22 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) night_in_tunisia at 11.21 (お別れ&ブログ論壇考連載開始予告) 47th at 11.19 (パイを誰と分けるのか?) 47th at 11.19 (ブログ論壇考(3):書き手のコスト~コストの中身(前編)) 47th at 11.19 (お別れ&
0.5秒分の価値 -404 Blog Not Found- 以下の下りを見て思わず作ってしまったのが→。 ここギコ!: 死ぬ死ぬ詐欺に募金した もしかして本当に詐欺ならネットパワーの勝利だが、もしこれがネットの暴走によるデマの拡大再生産で、一人の命が失われるとしたら悲しすぎる。 記事を書こうというトリガまでかけてしまった自分の記述に対して無責任かもしれず申し訳ないのだけど、正直ここの部分、どう表現したものか悩んだ挙句、いい表現が見つからずもういいやと勢いで書いたので、そこまで正確な本心ではない。 マジで「さくらちゃん」が死んで悲しいか?と聞かれれば、確かにその話を聞けば悲しいと言う気持ちが喚起されるだろうが、多分6.5秒くらいで忘れるだろう。 俺が「バランス感覚」として書きたかったのは、人の生き死にに関係なく、運悪くネットデマに巻き込まれた可能性のある運動が、そのために同種の普通の活動が
善意の値段 -404 Blog Not Found- ケータイで朝夕通勤の際にはニュー速+見てその日の情報収集してる人なので、2ちゃんねるで炎上してるのは知ってたけど、Blogosphereでも盛り上がっていたのね、弾さんとこの記事にも取り上げられるくらい。 別に弾さんの記事を受けての内容ではないのだけれども。 結論から書くと、俺はこの募金に募金した。 普通ならこの手のに募金しない、今まで○○ちゃんを救う会とかスルーし続けてきた俺なんだけど、今回だけ募金した理由は、2ちゃんねるで炎上したから。 別に詐欺じゃないと確信できたわけではない。 もしかするとマジで詐欺かもしれないので、詐欺だと判ってもショックにならないレベルの、本当に最低限の額しか募金していない。 なんで2ちゃんねるで炎上すると募金するのか?というと、俺なりの経験に基づいたバランス感覚がある。 俺はネット上での世論という
精神科医エリザベス・キュブラー・ロス(Elisabeth Kubler‐Ross)博士が、米国時間の8月24日午後8時15分(日本時間8月25日)アリゾナ州の自宅で死んだ(参照)。享年78歳。彼女は、1999年タイム誌が選んだ20世紀最大の哲学者・思索者100人のうちの一人でもあった。 彼女はもっと早い時期の死を予言していたので、長い読者の一人である私にはある種心の準備が出来ていた。中島らもの死を知った時のような驚きはなかった。また私は彼女の著作を通して、彼女が自身の死をどう捕らえているのかも理解していたつもりなので、その意味では哀悼とはまた違った思いが去来する。なにか書きたいという思いと、奇妙になにも書けない思いが錯綜しているが、やはり書いておこう。 エリザベス・キュブラー・ロス博士は、世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)の著者として知られている。19
北朝鮮に拉致されたまま行方不明になっている横田めぐみさんの「遺骨」をめぐって、日本と北朝鮮だけではなく、自然科学の世界では権威以上のものを持つ科学雑誌Natureと日本政府が交戦状態になっています。 日本と北朝鮮は当事者同士ですが、言うなれば第3者としてその間に登場したNatureと日本政府の間に見解の相違が生じたとすると、日本にとってははなはだ立場が悪くなったと言わざるを得ません。 そもそもの発端は、昨年遅くに北朝鮮から渡された横田めぐみさんの「遺骨」のDNA鑑定結果です。私も昨年の12月9日のエントリーで書いていますが、DNA鑑定をやったのは日本だけ、しかも科学警察研究所ではDNAを抽出できずに判定不能という結果を出しているんにもかかわらず、日本政府は帝京大学の判定結果を採用して、「遺骨は横田めぐみさんのものではない」という判断を公式見解としているようです。当然にも北朝鮮は反論し、結果
NGOs: Fighting Poverty, Hurting the Poor セバスチャン・マラビー (Sebastian Mallaby), Public Policy September/October 2004 山形浩生 訳 要約: 貧困に対する戦争は、善意の砲火に脅かされている。メディア指向の西洋活動家たちが援助機関に襲いかかり、途上国を搾取すると称するプロジェクトを阻止すべく抗議運動を繰り広げているのだ。こうした抗議運動は、職業扇動家たちのお気に入りのテーマを目立たせてくれるので、かれらには好都合だ。だが、飲料水も水もなく暮らしている何百万もの人々には必ずしも役にたつわけではない。 去年、わたしはウガンダを訪問した。アフリカの絶望的な状況がどうやって改善に向かったのか、貧困ライン以下で暮らしている人々の数を 1990 年代にほぼ 40% も減らせたのはなぜなのかを理解したかっ
2006年06月05日22:35 カテゴリMoney 聞いたもの負け 禿同、いや、皆検察に毛をむしられるのが怖くて、毛があるのに禿げしく同意を迫られるというのか。 isologue: 村上氏、インサイダー取引認める(どうなる、投資実務の今後?) 前述のとおり、「大量の資金を動かせる2つの投資家」がいて、一方の投資家が別の投資家に「大量に株を取得しようと考えてるんですけど」と告げるだけでもう片方が証券取引法167条[公開買付者等関係者の禁止行為]違反になるので株式の取得を中止せざるを得ないことを意味するキツい判例が出たとしたら、自分だけが有利に株を買いたいので相手に株を買うのを止めさせようと思う投資家の「言ったもん勝ち」になっちゃうので。 つまり、強敵と目される投資家がいたらランチにでも呼び出して、「実は・・・」と切り出せば、相手の動きを完全に封じることができるようになるわけですな。 いや、
マック版が発売されたのが1985年のことです。ウィンドウズ版は1987年に発売されます。 アップル社を創業しマッキントッシュを誕生させたスティーブ・ジョブズとマイクロソフト社のビル・ゲイツは犬猿の仲だと言われたりしますが、戦国時代さながらのパソコン業界ですので、くっついたり離れたりというのは日常茶飯事です。現在もまたくっついていますが、20年ぐらい前もくっついていました。 1983年にウィンドウズを作ると発表したマイクロソフト社でしたが、MS-DOSと違い簡単に作れるものでもなく、何度も発売が遅れるので「幻のソフト」と呼ばれていました。IBMと共同でOS/2というプロジェクトを始めたり、色々と迷走していた時期でもあります。 1985年にようやくウィンドウズが発売されましたが不評で、1990年にウィンドウズ3.0が登場してやっと一定の評価が得られました。 一方のマッキントッシュの方は1984
成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― - 『家族の痕跡』読書会チャット報告が面白い。 たくさんの興味深い論点があるが、一番興味を引かれたのが、主として井出草平さんが提起されている「『オオヤケ』と『Public』」という観点。 日本人はもともと社会と直接接続する回路を持っていない。自分はまず「家」の一員であり、家を代表する家長が会社という「オオヤケ」に接続している。でもその家長も会社の中では、単なる「ワタクシ」の一員としてふるまう。会社が公的な存在であるのは、社長が会社を代表して、例えば業界という「オオヤケ」に接続しているからだ。 この図を見た方がわかりやすいかもしれない。 日本人にとって社会参加とは、この階層構造のどこかにポジションを得るということである。 一方「Public」とは、全ての成員が同一の立場で直接接続するものである。西欧近代の社会はこの意味での「Pub
Joel Spolsky ジョエル・スポルスキ 翻訳: Yasushi Aoki 青木靖 2002/1/6 ときどき何もできないことがある。 確かにオフィスにやってきて、だらだらとし、emailを10秒ごとにチェックし、Webをながめ、アメックスの請求書を支払うというような頭を使わない作業をしたりもする。しかしコードを書くフローの状態に戻ろうとしても、それができない。 このような非生産的な期間は通常1日か2日続く。しかし私の開発者としてのキャリアには何週間もの間何もできずにいたということが何度かあった。言うならば、私はフロー状態になかった。私はゾーンの中にいなかったのだ。私はどこにもいなかった。 誰でも気分のむらはある。ある人々にはそれは穏やかなものだが、他の人々には、それはもっとはっきりしていて、ときには機能不全でさえある。そして非生産的な期間は塞いだ気分と何か関係しているようだ。 それ
捨てる派? 捨てない派? 情報整理術は興味の尽きないトピックです。誰もが何かしらのこだ わりを持っているため、ひとたび議論が始まると、自分はこうやっ てる、俺も昔はそうやっていたが駄目だった、などと始まって収拾 がつかなくなります。これはちょうど誰もがうまいラーメン屋につ いて一家言を持っているのと似ています。 私の観察によると、ある種の人たちが情報整理術について議論を始 めると永遠に平行線で終わるようです。それは「捨てる派」と「捨 てない派」です。 捨てる派によれば、「物理的なものにしろ電子的なものにしろ、い らないものはどんどん捨ててしまえばよろしい。不要なものがたく さんあるから必要なものが見つかりにくくなるのだ。第一、ものが 少ない方が気分がすっきりする。昔から、墓場まで情報は持ってい けないと言われているではないか」ということになります。 一方、捨てない派によれば「必要か不要か簡
数年前まで自分のことを仮面サラリーマンだと思っていた。 働くこと自体イヤイヤで、正論が通らないことにもイライラしていた。 そんなアホな世界で暮らしたくはないと、いつも思っていた。 とはいえ、仕事を楽しめなかったわけでもないし、自分にスキルがついていくもの実感ができていて、両者の狭間で、もどかしさを感じていた。 ある日、新幹線で新大阪から東京まで移動時間がぽっかり空いてしまった。 書店でデマルコの本を見つけた。 ピープルウェア(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822281108/)だった。 内容をごく簡単に荒っぽくいうと、 効率よく仕事をしてもらうのには、即物的なエサでつっても何のインセンティブにもならないよ。 やる気を見出せるようなことをしないと、いけない というものだった。実際にはもっと詳しく書いてあるので、もし読んでいないのなら買って
2006年04月24日12:00 カテゴリLove はてなに入りたくても入れないみなさんへ#4 本シリーズの最後は、数字のちょっとした訂正から入ります。 jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ 例えば最近 Audrey Tang という開発者が Haskell を使って誰も手をつけていなかった Perl6 の処理系を作り上げ、その仕事で高い評価を受けています。彼女が Haskell を勉強したのは恐らく随分以前だったでしょう。彼女が Haskell をマスターして方法論を身につけたあとは、ただひたすら Perl6 が動くようになるためにコードを書き続けているわけです。毎日毎日コードを書き続けるのです。それを何年間も継続したからこそ、世界の技術者が認める仕事になったのです。AudreyがHaskellに触れたのは、実は2004年の終わり頃です。それからPugsの開発に入るまで
最近はてなの社内では新しい技術を勉強したり、フレームワークや言語を移し変えようかという話も出ていたりして活気が出てきています。技術者も10人を超えて、色々な考え方をする人同士が刺激を与え合いながら切磋琢磨していて素晴らしいなあと思います。そういう中で、僕が技術について思う事を少しまとめてみました。 アウトプットを出す 新しい技術を習得したり、時間を掛けて作り上げた結果は、何かのアウトプットとして出さなければほとんど意味がありません。知識や結果を自分の中に残すだけで終わるのは、それを活かしてサービスを作りたくさんの人が使えるようにする事に比べると驚くほどちっぽけな仕事です。 また、3日間で作り上げた素晴らしい仕組みをそのまま1週間寝かせてしまうのは、4日目に他の人が使えるようにしてから1週間を過ごすことに比べると随分見劣りしてしまいます。 当たり前ですが、どれだけ素晴らしい仕組みを作っても、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く