高校ラグビーで4度の全国制覇を成し遂げた京都の伏見工が、本年度限りで消滅する。学校統合のため2018年4月からは京都工学院に名称変更となり、花園出場を逃したラグビー部も新チームとして再出発する。校内暴力で荒れた同校を全国制覇へと導いた山口良治総監督(74)の軌跡を、関わった当時の生徒の証言とともに描く。 ◇ ◇ ◇ ■タバコ、麻雀、廊下にバイク 京阪電車の伏見稲荷駅から西へ5分ほど歩くと、京都市立伏見工業高校はある。 1920年(大正9年)創立の古い歴史を持つが、70年代はバイク事故の件数が京都ワーストと言われ、教師への暴力は日常茶飯事。シンナーを吸う生徒も少なくなかった。日体大を卒業して日本代表にも選出されていた山口良治は74年(昭和49年)に、伏見工に着任。ラグビー部の監督に就任したのは翌75年のことだった。 駅から学校へと続く道を歩く。ふと横を見ると、生徒がタバコをふかしていた。