マツダの社員はみな同じことを言う ――私は取材していて、マツダの人がみな同じ事を言うのに驚いています。これが例えば「顧客第一主義」みたいな標語なら同じ事を言っても不思議はないんですけど、藤原専務がさっきおっしゃった「よそと関係なく、掲げた理想に向かって開発するだけです」みたいな意味のことを、それぞれが自分の言葉や表現で言うんですよね。失礼ながら最初は変な宗教みたいでちょっと気持ち悪かったのですが(笑)、本来会社にとって、自分たちがそれぞれの持ち場で何をやるべきなのかを社員全員が分かっているのは大きな強みだと考えると、これはちょっとマツダ恐るべしと思っています。もうちょっとさかのぼって良いですか? 国内販売網を5チャネル化して失敗するより前はどうだったんでしょうか。 【藤原】(5チャネル化は)1980年代後半からですね。その頃われわれの世代は、言われたことをやるだけで精一杯。仕事が山のように
5月27日、アメリカの現職最高指導者のバラク・オバマ大統領が、被爆地・ヒロシマを訪問した。もちろん前例のないことで、まさに歴史上の画期的なエポックであった。 ただ、オバマ大統領のあの文明論的なスピーチと、米兵被爆死者の調査を続けてきた森重昭さんとの抱擁シーンは誰もが覚えているが、どんなプロセスで、あの歴史的訪問が実現したのか、となると、誰も知らないのではないか。日米政府ともその経緯は明らかにしていないし、今後もしないだろう。 本書は、この歴史的訪問の実現を水面下で動かした現地メディア社長が、日本政府、ホワイトハウス内部、広島市、広島県に食い込んでウォッチした、秘話満載のインサイドドキュメントである。 『オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録』 (三山秀昭 著)――タイトルにもなった「オバマへの手紙」は、三山さんの企画だそうですね。これは、どんな経緯で始まったものなのですか? 「オバマへの手紙」と
70年前の1945年8月6日、人類初の原爆が広島市上空でさく裂した。投下した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の搭乗員12人のうち、最後の生存者だったセオドア・バンカーク氏が昨年、93歳で死去。上空から惨状を目撃した証人はいなくなった。当時24歳で原爆投下機の航空士を務めた同氏は戦後、原爆と戦争について何を考え、どう生きたのか。生前のインタビューに遺(のこ)した言葉をもとに振り返った。原爆使用を正当化
右傾化の果てに 「右傾化」が言われる。反中嫌韓、愛国心、そして憲法改正…。右の立場から長く日本の変遷を見つめてきた新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男さんは、今の日本に「子どものような稚拙な議論」「国家主義の強制」を見る。そして謙虚さと寛容さを忘れた日本は、歯止めを簡単に越えるのではないかと危惧 ... [続きを読む] 共同通信社は、報道写真で戦後の歩みをたどるシリーズ「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」を刊行した。同社や全国の地方紙が所蔵する貴重な写真で構成する全14巻の年代記となる。 戦後間もない混乱期から復興期、東京五輪、ロッキード事件、バブル経済とその崩壊、阪神大震災、東日本大震災―。激動の昭和と平成を5年ごとに区切り、共同通信が保有する2千万枚以上のアーカイブや全国の50を超える新聞社の秘蔵写真を厳選し、編さんした。カメラマンや記者の取材秘話も明かされる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く