2014年1月5日のブックマーク (6件)

  • アマゾンCEO、腎臓結石で緊急搬送―エクアドル軍ヘリが出動

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    アマゾンCEO、腎臓結石で緊急搬送―エクアドル軍ヘリが出動
    tokyocat
    tokyocat 2014/01/05
    夜のグアヤキルでタクシー代をケチらなくてよいような金持ちになろう。
  • 日本人以外は告白なんてしない

    http://amarettotonic.hatenablog.com/entry/20140105/1388908133

    日本人以外は告白なんてしない
    tokyocat
    tokyocat 2014/01/05
    《付き合うことが、全ての前提というか、免罪符になっている感じ。あんまりお互いのことを知らなくても、「告白→付き合う」という儀礼を踏めば、なにしてもOK》 なるほど〜! =日本特殊原論的=
  • 年末年始、こんな本の読みかたはいかが? « クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)

    クーリエ・ジャポン編集部ブログでは、クーリエ誌でも紹介した海外メディアによる国際情勢やビジネス、社会、教養にまつわる話題などをわかりやすく提供しています。紹介した記事はfacebookやTwitterなどのソーシャルメディアを介して多くの方が閲覧しています。ビジネス班のIでございます。 現在発売中のクーリエ・ジャポン2月号で、哲学者の芦田宏直さんに「知性の磨きかた」というテーマでインタビューを行いました。 クーリエ・ジャポンの読者は、知的好奇心旺盛で勉強好きな方が多いと思いますが、芦田さんは、「勉強する大人」を一刀両断します。 歳をとってから教養書やビジネスを読み漁って、「あの人は勉強好き」と言われるような人は、たいていの場合、学歴コンプレックスや仕事からの逃避に根差した「後悔の勉強」をしているにすぎません。都合のいい「弁解勉強」をしているだけです。きついことを言うようですが、3

    年末年始、こんな本の読みかたはいかが? « クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)
    tokyocat
    tokyocat 2014/01/05
    《あることを腰を据えてじっくり学ぶと、しっかりとした知識を獲得し、余程の自信を得られるまでは、自らの意見を発表しようとは思いません》《「専門家」とは、入力と出力のあいだに時間差を保てる人のこと》
  • デイヴィッド・ドイチュ:説明を説明するための新しい方法

    tokyocat
    tokyocat 2014/01/05
    見えないものを見えていることの説明だと主張するのは間違っている(といったような話)/そして、Seek good explanation : hard to vary
  • 侵食される創作活動 人間に迫る人工知能 リアルの逆襲 第4回 - 日本経済新聞

    文学や美術、音楽……。人間にとって最後の聖域、創作活動にまで人工知能が侵してきた。1日5~6曲人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」などに楽曲を提供するアーティストのヒャダイン(33)。転調の多い刺激的な作風で、1カ月に30曲、多いときは1日5~6曲も作る。「作曲家や編曲者はいかに多くの曲を1分1秒でも早く出すかが肝」。スピードをデジタル技術が支える。弦楽器の繊細な音色も今はパソコ

    侵食される創作活動 人間に迫る人工知能 リアルの逆襲 第4回 - 日本経済新聞
    tokyocat
    tokyocat 2014/01/05
    「狂った主人公を書くには、コンピューターを狂わせなければいけない。センスのある狂わせ方はコンピューターにはできない」(筒井康隆) そう願いたいが……
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●一日の日記で「感覚は閉じている」というようなことを書いたけど、それはあくまで「他者に対して閉じている」ということで、世界(環境)に対して閉じているわけではない。世界に対して閉じていなければ、感覚が、世界(物)を経由して間接的に他者と関係することもあるかもしれない(ないかもしれない)。 以下は、「現代思想」1月号の千葉雅也×清水高志対談での清水高志の発言。 ≪ただ確かに、ホッブズにしてもスピノザにしてもラカンにしても、社会論や欲望の心理の分析は一つの椅子を取っていくゲームをモデルにしていると思います。ちょっと違うのはルソーで、彼の「自然人」はバラバラに森にいるわけです。≫ この対談ではルソーの話はこれ以上は出ないのだけど、これと同じような話を「中沢新一読書会」の時に清水さんから聞いた記憶がある。以下はぼくの記憶と理解に基づくものなので、清水さんの意図を正確には反映してはいないかもしれないけ

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    tokyocat
    tokyocat 2014/01/05
    《鼻水を垂らす人は、自らの感覚=身体によって「花粉症」に、そうとは意識しないままに触れ、味わっている》《それは、象徴的なネットワークとは異なる、物たちのネットワークによって規定されている「形式」だろう