ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (21)

  • 意識の無用性について - すべての夢のたび。

    最近記憶がなくなるような飲み方を2回しました。どうなったのかというと、どうもならず、誰かに介抱されたり道で寝ていたりはせず、ベッドで寝ている自分を発見するのです。それで「あれ」と思って思い出そうとすると、飲んでる途中までしか記憶がないのです。途中からベッドまでが消えている。 記憶がなくて、その間のことを関係者にあとで尋ねると、ふつうに応答してましたよと言う。冷静だったと。立って歩いてましたよと。確かに、支払いも済ませてるようだし、別れ際の様子を聞いてもちゃんとしてるみたい。 こうなるともう意識とか必要ないんじゃないのって気もしてくる。ぼくはそんなのなくてもやれる。じっさいごく一部にはこういうことが、酒飲まなくても起こってしまう病気の人がいるらしいです。 意識は傍観者であるという「受動意識仮説」はおそらく正しいんだろうなと思います。なにかを意志することなんてできない。決定は脳のどこかで先に行

    意識の無用性について - すべての夢のたび。
    tokyocat
    tokyocat 2014/06/11
    なるほど〜!
  • あと15年生きるつもりで生きる - すべての夢のたび。

    ぼくはもう何年も前から「お前は既に、今まで生きてきた時間よりも、これから生きる時間のほうが少ないのだ」と、自分に言い聞かせながら生きてきた。そして、そのことは、時間が経つにつれて、ますますほんとうになってゆく。 ぼくは寿命を待たず死ぬつもりだ。自殺をするつもり。それは以前から決めている。でも、いつごろ、というのをあまり具体的にはしていなかった。漠然と、会社を辞める時、というイメージはあったけれど(ぼくの会社はいまのところ終身雇用制だ)。そこをもう少しはっきりと、15年後、と区切ってみたのだ。 多くの人は「自分は自分がいつか死ぬことを知っているが、永遠に生きるつもり」で日々を生きている。矛盾しているがそうだ。死をしっかりと意識できるのは、それなりの老人か、重い病気の人ぐらいではないか。ぼくも、最後は自殺で締めくくると決めてはいたけれど、多くの人と同じように、昨日と変わらない今日が続く日々を生

    あと15年生きるつもりで生きる - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2012/05/19
    なぜこう考えるのかではなく、なぜこう考えないのかのほうが明らかに不思議なのだが、それでも人はなぜなかなかこうは考えられないのか。
  • ぼくが電子本を買うとき、ぼくは何を買うのか? - すべての夢のたび。

    界隈ではにわかに電子書籍の話題が盛り上がりつつあります。ですがそこで交わされているのは「売れるのか?」「既存の出版社はどうなるのか?」「KindleiPadとどっちが勝つのか?」みたいな話ばかりです。そこでここではちょっと視点を変えた話をしてみようと思います。 ぼくはほぼ毎週のように神保町へ行き、毎回1冊あるいは数冊のを買って帰ります(たまに買わない時もありますが)。いま現在のこの紙の、「リアル」とでもしておきますか、を買うとき、ぼくはなにを買っているのでしょうか? リアルを買うとき、ぼくは一連のテキストを印刷した紙を製したものとともに、それを「読む権利」を買っているのだと思います。そしてこの「読む権利」は、無期限です。ぼくは、紙が古びて読めなくならない限りにおいて、死ぬまでいつでも好きなときにそのを読むことができます。 そしてたとえぼくが死んでも、遺産を受け継いだ誰かはぼく

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    tokyocat 2010/02/16
    なるほど〜。図書館で借りるのもどうなる?
  • ふたたび宇宙(そら)へ - すべての夢のたび。

    MSN産経ニュース : 【施政方針演説】全文(1)はじめに「いのちを守りたい…」 いのちを、守りたい。 いのちを守りたいと、願うのです。 生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。 この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間に過ぎません。 まさかまたしても宇宙が語られるとは誰も予想してなかったですよね。ほんとうにすごい。やっぱり初代宇宙大統領ハトヤマを目指してるのかなぁ。そして冒頭のなんだかかんだか。「いのちを」と「守りたい」の間に「、」があるってことは、そしてその後に改行があるってことは、まさにそのように、語ったのでしょう。衆議院議員の柿沢未途さんによると「全体の印象としては、松井孝治・平田オリザ作の戯曲を読んでいる感じ」であったそうです

    ふたたび宇宙(そら)へ - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2010/01/30
    衆議院議員の柿沢未途さんによると「全体の印象としては、松井孝治・平田オリザ作の戯曲を読んでいる感じ」
  • アナザー池田のアナザー進化論 - すべての夢のたび。

    「池田先生」と"この界隈"で誰かが口にしたとき、それはいったい「宗教のほう」なのか「経済のほう」なのか?ということが問題になるわけですけれども、ぼくとしてはそこにもうひとり、「生物の池田先生」も加えていただきたいと考えている次第です。いろんな意味で負けず劣らずだと思う。 さよならダーウィニズム (講談社選書メチエ) 作者: 池田清彦出版社/メーカー: 講談社発売日: 1997/12/10メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 23回この商品を含むブログ (18件) を見る 大胆な書名のこの、一回読んだだけではその「構造主義進化論」(レヴィ=ストロースのご冥福を)がどういうものなのかよく理解できなかったので、いずれ再読せねばと思っているわけですが、冒頭第一章で挙げられていた「ネオダーウィニズムに対する反証」が、進化論についてちょっと考えてみる時になかなか興味深い事例と思

    アナザー池田のアナザー進化論 - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/11/27
    NATROMさんのコメント「自然選択による説明を思いつけない」と「自然選択によらない説明を思いついた」は同義ではないとは思うんだけどなあ・・
  • 我思う我書く、の2 - すべての夢のたび。

    昨日の続き。 デカルトは「我思うゆえに我あり」と言いました。なんでそれをぼくが知っているかというと、彼はそのことを『方法序説』というに著して世に問うたからです。彼は自分が考えて考えて辿りついたアイデアを、他人に伝えようとしたのです。それはなぜか? 黙って一人胸の内に秘めておくこともできたのに? ぼくは子供の頃、自分の行動範囲しか世界はないのではないか、というような妄想をしていたことがありました。なにかの理由があってここに連れてこられてきて、ずっと監視されていて、ぼくが行く可能性のあるところはしっかりと作られているけれど、例えば入る用事もないようなビルなんかは外側だけはちゃんと作ってるけど中身は張りぼて、更に、行く必要もないような遠いところなどは実際には存在しないのではないか? そのような妄想を、どういった話の経緯でそこに辿りついたのかは忘れましたが、ある時、知人も同じように昔持っていたこ

    我思う我書く、の2 - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/10/27
    「我ある」が根源的なら、「我を伝えたい」も根源的なのかという問い
  • Neurotwitterism - すべての夢のたび。

    神経細胞 - Wikipedia (図も同項より) 神経細胞の基的な機能は、神経細胞へ入力刺激が入ってきた場合に、活動電位を発生させ、他の細胞に情報を伝達することである。ひとつの神経細胞に複数の細胞から入力したり、活動電位がおきる閾値を変化させたりすることにより、情報の修飾が行われる。 神経細胞は主に3つの部分に区分けされ、細胞核のある細胞体、他の細胞からの入力を受ける樹状突起、他の細胞に出力する軸索に分けられる。前の細胞の軸索終末と後ろの細胞の樹状突起の間の情報を伝達する部分には、微小な間隙を持つシナプスと呼ばれる化学物質による伝達構造が形成されている。 図の"Cell Body"が細胞体、"Dendrite"が樹状突起、"Axon"が軸索ですね。 細胞体から伸びている樹状突起は複雑に枝分かれし、他の多数のニューロンの軸索終末(Axon terminal)に接続しています。そして、樹状

    Neurotwitterism - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/09/30
    《タイムラインを流れるフォローしている人たちの発言を眺めていて、受け取った刺激があるレベルに達すると、つぶやきが発生、それがフォロワーに伝えられる》
  • 進化についての不思議なところ - すべての夢のたび。

    以前一回書いたのですが、あまりうまく伝わらなかったような気分があったので、また書いてみる。 進化 - Wikipedia 進化(しんか、英:evolution)とは、生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象のことである。 遺伝現象は、生物において子が親と同じ形質を持つことを証明したが、にもかかわらず長期的視野では生物はその形質を次第に変えてゆくものと考えられている。たとえばヒトは類人猿的動物からいくつかの中間段階を経て現在の姿になったと考えられている。このような変化を進化と言う。 とまぁ、ここに引用した通り、ふつうは遺伝というものは親と同じ形質を子供に伝えていく。でも、ときどき遺伝子に変異が起こって、親とはほんの少し違う特徴を持った子が生まれる。そしてそういうのがいっぱい積み重なって、生物は別の「種」に"進化"したりする、と。異常に大ざっぱですがこんなところですか? ぼくが不思議に

    進化についての不思議なところ - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/09/16
  • たわごと2 - すべての夢のたび。

    また仕事中に考え事が進んだのですが。いろいろやばい。「自分とはなにか?」について。ここで言う自分とは自我とか自己意識とか大ざっぱにまぁそんなようなものです。 "自分"は、目を覚ましている間ずっと"存在"しているわけではない。 じゃあいつ"存在"しているのかというと、言葉を使って思考している間、だけである。 そんな馬鹿な、ずっと存在しているに決まってるじゃんよ、というのはただの錯覚である。 そう感じる場合、記憶に嘘をつかれている。 ずっと存在していた、という信念を支えるのは、「ずっと存在していた」という記憶でしかない。 「ずっと存在していた」という記憶は、「ずっと存在していた」という言葉である。 ではその、"自分"が"存在"していなかった間はなにが"存在"していたのか、というと、体がオートパイロットで事を為していただけである。 オートパイロットで済む間は、"自分"は"存在"する必要がない。(

    たわごと2 - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/06/30
  • いささかマシな死に様 - すべての夢のたび。

    自殺をしよう、と思ってるのですが(すぐにではないので通報しないでください)。 いずれそのうち死のうと思ってるんですけど。首吊りで。でも、自宅(アパート)でやると大家さんとか同じアパートの人近所の人に迷惑だろうし(気を遣うのです)、となると、多少のリスクはあるかもしれないけど外でやるしかないかなーと思ってます。見つからないように真夜中に。場所は、どうなんでしょうね? まぁ首吊りだよなー、とか思っているのですが、海外へふらっと行って、そのまま現地で行方不明になる、というのも良いのかなー、と最近少し思いました。というのは、ぼくは両親が存命で、ぼくが先に死んだら悲しむだろうなーと思われるからです。だから、「死」より「行方不明」のほうがいいのかなーと。したら、どこかで生きてるのかもしれない、と希望を持つでしょうからね(気を遣うのです、というか、そのへんの心配をしてしまう自分自身を納得させる必要がある

    いささかマシな死に様 - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/06/22
    参考書『自死という生き方』
  • すごい本を読んだ - すべての夢のたび。

    土曜に買ったコレですけどね。 単純な脳、複雑な「私」 作者: 池谷裕二出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2009/05/08メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 102人 クリック: 2,607回この商品を含むブログ (203件) を見る ぼくは始終あれこれスゴイスゴイ言ってて信用ないかもなので、このは「ものすごい」と言っておきます(笑)。読んだ人の人間観・世界観を後戻り不可能な形で書き換えてしまうかもしれない。 脳科学の最先端の状況についての高校生への講義を収録してあるんですけど、いやー、脳科学ってもうここまで来ちゃってるんだ、ということが衝撃でした。衝撃デカ過ぎて自分の中で受け止めて整理するのにしばらく時間がかかりそう。脳については、頭の中だけで考えるんでも、行動の観察だけで考えるんでもだめなんですね。やっぱり開けて見てみないと解らんのだわっていう。 例えば、プロゴルファー

    すごい本を読んだ - すべての夢のたび。
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    tokyocat 2009/05/12
    池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』
  • 2009-03-03

    TBが飛んできた。 地下生活者の手遊び : まっとうなニセ科学批判・批判とは何か ぼくはネタ元としてはてブの新着エントリーをかなり参考にしてますが、リンク先に飛んでみたものの、読まずにすぐタブを閉じてしまうことがときどきあります。そのうちのひとつのケースが、こういう「語尾が“にゃー”」みたいな文体のエントリだった場合です。キモいからです。なのでナリナリドットコムとかも全然読めなかったのですけれど、いつごろからか知りませんがあそこの記事「なりよ」口調じゃなくなりましたね。あと「やうに思ふ」みたいのもだめだなー。なんかイヤらしさが鼻についてしまう。 でもまぁ、こんなのは個人的な感覚だし、書く人は好きに書けばいいと思います(ぼくもそうしてますし)。ぼくひとりが読者の対象から漏れようが別に問題ない。なんかこだわりとか因縁とか誰かとの約束があってそういう文体なのかもしれないですしね。 あとタブ閉じち

    2009-03-03
    tokyocat
    tokyocat 2009/03/03
    《視覚障害者の世界像は球形をしているのではないか》!!
  • 2008-12-21

    不幸の反対のものが幸福、ではないこと、について考えていた。それまでの幸福をすべて打ち消してしまうような不幸、というのは容易に考えられても、これまでの不幸をなかったことにできるような幸福、というのはちょっと考えにくい。対称ではないなぁ、と。これがお金のことであれば、負債をキャンセルできる資産というのはふつうにあり得るし、その逆もある。なので、不幸と幸福は、あるものの2つの側面ではないということ。ぜんぜんべつものかどうかはまだわからないけど、べつのものだ。 なぜだかぼくらは、たとえ幸福が訪れたとしても、いままでの不幸をわすれることができない。そこにはどうも、不幸だった時代をわすれてはならないのだ、という力がどこからか働いているような感じがある。そして、そのこと、不幸をわすれないでいること、はとても大事なことなんじゃないかと、そう思っている。 そう思わせている裏側にあるものをさぐってみた。そして

    2008-12-21
    tokyocat
    tokyocat 2008/12/25
    私としては「生きていることが幸福で、死ぬことが不幸」というかんじなので、そうすると、幸福は持続しなければならないもので、不幸とは取り返しがつかないもの、になる。
  • PCが使えないのに権力がある人 : 「で、みちアキはどうするの?」

    が、全員死なないと日は良くならないのかなー。特に政治・マスコミ方面。あと20〜30年くらい先? とかって、トリゴエって人の話してるの見て思いました。 tinycafeたんが無断リンク禁止の根拠としてよく引用する「インターネットを利用する方の為のルール&マナー集」なんですけど、これ、検索してみたら「財団法人インターネット協会」というところが作ってるみたいなんですよ。で、見るとですね、1999年3月の初版から、いっぺんも改定されてないんですよね。しかも、その前世紀の文書をもとに現在でも「インターネットにおけるルール&マナー検定」なるものをやってるみたいです。いやーありえないだろ、常識的に考えて。 ということで、連絡フォームがあったので、「おたくの『ルール&マナー集』を根拠に、ブログの個別ページへのリンクやソーシャルブックマークサービスそのものを『マナー違反』と主張する人がいるんだけど、改定す

    PCが使えないのに権力がある人 : 「で、みちアキはどうするの?」
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    tokyocat 2007/01/04
    日本インターネット協会。無駄団体の無駄事業。日本はこういうのがうじゃうじゃあって、要するにそろって税金を食い続けているのだろう。ああ美しい国。
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - えええええ?????

    A Joule Diary++ : 無断リンクするなと言って騒がせてごめんなさい。 もう今年も終わると言うこの時期に来て、はてな界隈10大ニュースの順位をひっくり返すような発表が。しかもまたブログが違うし。これはほんとうにホントウなのかーッ!? いってみますか。その前に、いくつかお断り。 ID論信者ではありませぬよ。 と言ってその他の代替案があるわけでもありません。 以前にちょっと進化論を話題にしたら「『盲目の時計職人』も読んでないのに進化論を語るな」と怒られたので、読んだ。(もちろん読んだら語る資格ができるわけでもないですが) ぼくが思いつくレベルの疑問なので、どこかでとっくに、ここでこれから言うようなことに対する反論は出ているかもしれません。いやむしろそれはもうあるでしょう、『盲目の時計職人』は割と前のですしね。 id:sivadさんのエントリを引用しますが、sivadさんの意見とい

    「で、みちアキはどうするの?」 - えええええ?????
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    tokyocat 2006/12/30
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いについて

    注:このエントリに用がある人はそれほどいません。タイトルでピンと来ない人は読まないように。 タイトルに引いた「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いは、だいたいこのような意味です。わたしはなぜ、「この」〈わたし〉なのか? なぜ、A氏やBさんやC君ではなく、〈わたし〉だったのか? なぜ、他の誰でもない「この人間」に〈わたし〉が宿ることになったのか? なぜ〈わたし〉はこの人間の中から世界を眺めているのだろうか? なにか必然的な理由があったのか? というような話は永井均的独我論というか、永井さんのにはよく出てきますね。自分も、以前は、このことはすごくふしぎだったのですが、ずっと考えているうちに問いが解消してしまいました。ふしぎではなくなってしまったということです。たいていの人が「なぜ人を殺してはいけないのか?」を疑問に思わないのと同じように、「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」は今のみちアキ

    「で、みちアキはどうするの?」 - 「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いについて
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    tokyocat 2006/10/24
    う〜むむむ?
  • 2006-07-09

    http://d.hatena.ne.jp/./REV/20060708#p2 このへんから。どんな大量の情報でも、棒が1あれば持ち運びできます、という話。 たとえば、"michiaki"という文字列があったとします。これを16進数のアスキーコードで表すと、"m"がx6D、"i"がx69、以下、63、68、69、61、6B、69、というようになります。説明しやすくするために10進数に直すと、"m"が109、"i"が105、以下、99、104、105、97、107、105、となります。アスキーコードは0から255までなので最大3桁、ということで、桁数を揃えるために、3桁に満たない場合は頭に0を付けることにしますね。たとえば99は099とします。 で、変換した数字を全部つなげます。「109105099104105097107105」となります。さらに、その数字の頭に「0.」を付けて、小数とし

    2006-07-09
    tokyocat
    tokyocat 2006/07/09
    世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、計算士?
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 当ブログの運営ポリシー

    時間のない方、とくに関心のない方へ。以下の一文のみお読みください。 「当ブログについては、閲覧・コメント・リンク・引用・トラックバック・その他すべて自由です」 ///// ◇運営ポリシー v1.0 当ブログについては、「“あなたの常識”の範囲内で、すべて自由」が基方針です。よって、利用にあたり下記の文章に同意していただく必要は(そもそも)ありません。 著作権について 当ブログ上の文章・画像等は、営利・非営利を問わず、自由に引用・転載・複製・流用・改変・出版等、していただいてかまいません。 ただし、引用・転載・複製・流用・改変・出版をしていただくのは自由ですが、それはその後にわたしからのアクションが何もないことを意味するものではありません(たとえば、悪意を持って改変されていたら、文句の一つも言うと思います。そのことに気づけばですが)。多くの場合はなにも問題がないだろうから、むずかしく考えな

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    tokyocat 2006/03/29
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ子供を作らなくてはいけないのか?

    4日のエントリにのび太さんよりコメントを頂きました。 ま、いろいろ考えるのもいいけど、命は繋いでかなきゃ、意味ないよ。今、君がいるのは、君の親が君を生み育てたからで、君が一人で大きくなったんじゃない。 君は君の命を所有している気になってるかもしれないが、君(個体)はたとえていえば、人体の細胞のひとつでしかないと思う。君の人生自体に特別大きな意味はないよ、それより命をまわしてくことに励んだほうがいい。それが僕らの使命だし、生まれてきた「理由」ですよ。ほかの形でみんなのために寄与するという手もあるが、再生産がストレートで究極の寄与だと思うよ。とにかくゲームで週末つぶすようなおこちゃまな週末とはおさらばした方がいいように思います。 大人になって、覚悟決めて、何もしない・できないのに聞いた風なこと垂れ流すのはやめたどうか?ちょっと情けない。 親になって、「向こう側」を覗いてみなさいよ。 これを読ん

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    tokyocat 2006/03/07
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 無言デート

    言葉を使うから間違うのだ、という考えは昔からあって、「今度会うとき、最初から最後まで、ふたりとも話をしないのってどう?」っていうのを提案したことがあります。 たとえば、自動販売機の前に連れていったら、それは“のどがかわいた”ということだし、ベンチに連れていったら“ひとやすみしたい”ということです(別にカフェだったりホテルだったりでもいいのですが)。そんなふうに、言葉を使わない。言葉を使うから、話す端から“ああ、こんなこと言いたかったんじゃないのに!”と思ってしまったり、逆に、「言葉が喋ってしまった」ことを「自分の心だと勘違い」してしまったり、ということがなくなるんじゃないかな、と考えたのです。ちゃんと、相手の目を見て、ほほえんでみせたり、“イヤだ”という表情をしてみせたりして、気持ちをきちんと伝えるようにする。最後は笑って手を振って別れる。そうすることで、言葉に頼るより深く相手とつながる

    「で、みちアキはどうするの?」 - 無言デート
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    tokyocat 2006/02/10
    ‥‥‥(間違っちゃいけないので)