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ブックマーク / pomeric.blogspot.com (6)

  • 編集されるシーンの終焉と共感で繋がるシーンの幕開け - ときチェケ♪

    08年の日語ラップの振り返りを兼ねて、ライターの古川耕氏にお手伝いいただき、現状の日語ラップシーンを分析してみました。不良ラップの新たな可能性から音楽批評のあるべき論まで、09年最先端の日語ラップ論を相変わらずの特大ボリュームでお送りします。通学通勤電車内や昼休みなどにどうぞ。 古川:微熱君はブログで「Microphone Pagerは思うように支持が得られていない」というようなことを書いていたけど、実は『王道楽土』って結構売れているらしいんですよ。 微熱:へぇ。そうなんですか? 古川:らしいです。僕も興味深いと思ってるんだけど、ネットの中でよく見るような、あのアルバムへの芳しくない評価と、実際のセールスは乖離しているみたいなんだよね。 微熱:どの辺の層に売れているんですかね? 古川:やっぱり日語ラップ・リスナーじゃないかな? 日語ラップ・リスナーって、闇雲に未来志向の人がいるの

    編集されるシーンの終焉と共感で繋がるシーンの幕開け - ときチェケ♪
  • ときチェケ♪ - COMA-CHI - RED NAKED

    listen here 過去の対談や鼎談――『日語ラップのリリックにおける「進化」と「限界」について 』と『ラップの「上手さ」とは何か?』――はいまの日語ラップに根付いた価値観を説明するためにもスルーできないものだったと思う。日語でのラップはもう誰にでも出来る。商業的なラップの形が一般に浸透して、素人の上手いラップを普通に目の当たりにするようになっていく中で、日語ラップがスキルの追求より「リアルな表現」を獲得しにいったのはとても自然な流れだろう。そして、08年にリリースされた作品を見直しても、メディアの支持を集めた作品は「リアルな表現」をまとったものが大半を占めている。 ただ、08年は単に「リアルな表現」を志向する日語ラップだけでシーンが形成されていたかというと、そういう訳でも無かった。勃興したハスリングラップやギャングタラップの横には、ジャジーヒップホップや、アンダーグラウンド

    ときチェケ♪ - COMA-CHI - RED NAKED
  • 10 + 10 = 2008

    Lil Wayne "Tha Carter III" listen here 自称億万長者で火星人で怪物でミサイルでライオンで犬でタランチュラでイルでクールでまだストリートに潜むけれど実はこの世界には存在しないお前ら以外の何か。マリファナとシロップに溺れながら自分はナンバーワンでオンリーワンで頭の螺子がはずれた狂った奴だという誇大妄想を見事に具象化させたギガロマニアックスである。 Young Jeezy "The Recession" listen here 過剰さこそが力。過剰さこそが正義。なので息詰まる同じようなトラックの上で同じようなことを75分間言う。しかし、この乱射乱撃雨霰と音の弾幕が囲い込む逃げ場のない空間にも心休まる隙がまったくないわけでもなく、「紙幣を循環させなければならない」と経済活性化のための消費を促しながら外国産の高級車に金をはたいて富裕層をさらに裕福にする人間味溢れ

    10 + 10 = 2008
  • Lil'諭吉 - Supa Hypa Ultra Fres$shhh - ときチェケ♪

    download here ユリイカの初音ミク特集号で初音ミクの生みの親の佐々木渉が「ニコニコ動画でキーボードクラッシャーの動画を見て楽しむ感覚と、ノイズビートを聴いて楽しむ感覚の間に大差は無い」と言い、また、「ダウナーな部分に惹かれる日オタクにはエレクトロニカやアブストラクトを理解できる素地がある」というようなことを言っていて、それらの発言にとても共感した。 さらに彼の発言をかいつまめば、「誰でも簡単に楽しめる入り口さえ与えれば、音楽は容易に浸透していく」というようなことを言っていて、たとえばニコ動や初音ミクや東方がオタクたちに「ネタ的に音楽を消費する機会」を与えていて、ネタとして何気なく観ている動画の中でハードコアやアブストラクトミュージックが流れ、それを違和感なく聴くようになっていると。そして、そういうサイクルができあがると、いままでは敷居の高かったジャンル音楽も普通にみんなが聴

    Lil'諭吉 - Supa Hypa Ultra Fres$shhh - ときチェケ♪
  • 微熱メモ vol.8 - 10年後のシーンを想像してみた

    ・「"シーン"とは何だろう?」ということを最近よく考える。Zeebraは日語ラップ黎明期のころに「"シーン"という存在しないものをあたかも存在するように見せかけていた」というようなことを言っていたけども、その発言はすごく興味深い。 ・つまりZeebraたち、黎明期のラッパーは周囲の注目を受けるため、要は小さい活動をより大きくて意味のある活動に変えていくために、「宇多川町で新しいムーブメントが起こっているよ」ということを周りの人たちに示して、まだ何も無かった場をあたかも「何か新しいことが起こっている場」にデッチあげていたという。 ・じゃあZeebraの言うとおり、初期の"シーン"がただの「幻想の場」だったとして、その"シーン"の意味が過去と現在でまったく同じなのかといったらそれは違う。なぜなら、その何も無かった場所には歴史が積みあがっていて、そこにコミットしている人たちは基的にその場の歴

  • ときチェケ♪-ラップの「上手さ」とは何か? (そして、そこから見るSEEDA ”HEAVEN”と「勝ち負け」のシーンについての一考察)

    古川氏と磯部氏を招いた日語ラップ鼎談。鼎談時から約半年たって、ようやく公開。例によって非常に長いですが、まとまったお時間のある方は是非どうぞ。 微熱:磯部さんに聞きたかったんですけど、NORIKIYOはどの辺が好きなんですか? 磯部:NORIKIYOは一番初めに聞いたときはフロウに幅が無さ過ぎて面白くないなって思ったんだけど、詞を読んだら「この人、ビッコなんだ!」って気付いて。俺は障害者萌えだから、まずそこにグッと来て、しかも「雨で古傷が痛む」とかそれを文学的表現に昇華しているところに感動したんだよね。そこからのめり込んだ感じかな。今でもラップはちょっと退屈だなって思う瞬間もあるけどね。 微熱:トラックも結構退屈ですよね。 磯部:っていうか、TKCも全く同じなんだよね。ラップが一辺倒で、トラックがローファイ過ぎるっていう。その点、NORIKIYOはかかえているブルースが大きいから聴きがい

    ときチェケ♪-ラップの「上手さ」とは何か? (そして、そこから見るSEEDA ”HEAVEN”と「勝ち負け」のシーンについての一考察)
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