高橋是清の積極財政政策・管理通貨制度への移行 二・二六事件と昭和維新の挫折 高橋是清の積極財政政策・管理通貨制度への移行 『5・15事件と政党政治の衰退』の項目では、陸海軍の青年将校の義憤や国家主義的な右翼勢力によって緊迫する昭和期の政治情勢を解説しましたが、日本でそういった軍事拡張政策や政府転覆のクーデターに一定の支持が集まりだした要因として『昭和恐慌(世界恐慌)』を考えることができます。景気の後退が激しくなり雇用が減少して失業者が町に溢れるのと同時に、物価と労賃が連動して下落するデフレスパイラルが起こり労働者も農家も悲惨な生活状況に陥りました。 日本は欧米の帝国主義列強と比較すると、より早い段階で世界恐慌の景気低迷から抜け出すことが出来たのですが、昭和恐慌(昭和恐慌)の克服に極めて大きな役割を果たしたのが首相を経験したこともある当時の大蔵大臣・高橋是清(たかはしこれきよ,1854-19