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2007年11月20日のブックマーク (2件)

  • On Off and Beyond: 中3を家庭教師した頃の話

    大学時代、死ぬほど家庭教師をしてました。週8回とかやってたからな。疲れたデス。特に、 「中3の子の偏差値を、1-2ヶ月で40台から50台に上げる」 ってのが、私の得意分野でございました。高校受験目前であわてた親に泣きつかれる、みたいなケースですね。 で。当時(80年代)の中3で、偏差値40台ってのは英語で言うと大抵こんなレベル。 1.文法という概念がないので、時制といわれてもなんのことやら 2.っていうか、動詞と名詞の違いもわからない 3.もっというと、アルファベットもうろ覚えだったり というわけで、まず最初に、どのレベルかを見極める。こんな感じです。 私 「犬って英語でなんていうかわかる?」 生徒 「うーん、ドッグ?」 私 「お、よく知ってるじゃん。じゃ、それ、この紙に英語で書いてみてよ。」 ここで、アルファベットの難関、「d」と「b」の違いがわかっているかどうかが判明する。できない子が

    On Off and Beyond: 中3を家庭教師した頃の話
    tomber
    tomber 2007/11/20
  • 「私の履歴書」の続き=田淵語録です | 本石町日記

    野村証券元会長の田淵節也氏の語録。連載が終わってから前回の続きをやってもいいのだが、印象に残った一文を忘れるかもしれないので、刻んでいきます。 まずは「第13回」(11月14日)より。ここでは「岸信介首相時代にできた資主義計画経済の金融は…」のくだりが興味深い。金融カーストの下層に甘んじた田淵氏の屈辱感が強くにじむが、つい最近まで続いた護送船団行政(今は処分行政?)によって「金融が市場原理の世界に至る道のりは遠かった」のはその通り(まだ遠いです)。でも、あれですね。興銀と山一は当に好きじゃなかったのですね(笑)。以下、数回分より思いつつままに。 ・「英語使いの国際派は国内営業とは関係なしに動いており、別会社のようだった」 →だから田淵氏は国際部を廃止し、内外一体営業を図ったのだが、私自身はこれをひっくり返して国際営業を主軸として国内部(営業)を廃止したらどうだったのか、と思考実験的

    tomber
    tomber 2007/11/20