野村証券元会長の田淵節也氏の語録。連載が終わってから前回の続きをやってもいいのだが、印象に残った一文を忘れるかもしれないので、刻んでいきます。 まずは「第13回」(11月14日)より。ここでは「岸信介首相時代にできた資本主義計画経済の金融は…」のくだりが興味深い。金融カーストの下層に甘んじた田淵氏の屈辱感が強くにじむが、つい最近まで続いた護送船団行政(今は処分行政?)によって「金融が市場原理の世界に至る道のりは遠かった」のはその通り(まだ遠いです)。でも、あれですね。興銀と山一は本当に好きじゃなかったのですね(笑)。以下、数回分より思いつつままに。 ・「英語使いの国際派は国内営業とは関係なしに動いており、別会社のようだった」 →だから田淵氏は国際本部を廃止し、内外一体営業を図ったのだが、私自身はこれをひっくり返して国際営業を主軸として国内本部(営業)を廃止したらどうだったのか、と思考実験的