私は女性が「女(もしくは人)としてのあり方」みたいなことに関して、自分と価値観の合わない女性たちの「あり方」を一般論的に批判しているのを見るのが好きではない(場合によっては自分でもやることはあるが、我ながらうんざりする)。むかしからある例だと、働く女と専業主婦の批判合戦だとか、子連れ女がどうだとか、女を捨てた女はどうとか、今どきの若い女はとか、オバサンはどうとか、フェミニストはとか。しかしこれを見物するのが好きな人は多いのだろう。一世を風靡した「負け犬の遠吠え」にしても「オニババ」にしても、女が女の「あり方」をあれこれ言っている本だ。そういう本を女たちが興味深く手に取って同意したり反感を覚えたりするのはともかくとして、その種の本を読んだ男が女についてわかったように語ったり、そこで問題とされている「あり方」を一緒になって問題視したり批判したりしているのに出くわすと、ちょっと待てやと思う。なん
数年前バスに乗っていたとき、こういうことがあった。私のすぐ後ろの席に男性の二人連れが乗っていた。乗るときにちらっと見たが、一人はかなりオッサンでどうやら出張か何かで福岡に来ている人らしい。もう一人は若くて、おそらくそのオッサンの案内役の地元の人。そのオッサンが連れを相手に何を喋っているかというと「福岡市がいかに田舎か」ということを熱心に説いているのだった。しかもかなり大声で。福岡が田舎である根拠としては、地下鉄の路線が少ない、ということだった(当時は七隈線もなかった)。主要道路の地下に地下鉄が走っておらず路上をバスが走っているなんて田舎だ!というようなことを熱く主張。比較として地下鉄が走っている他都市を出して、福岡のほうが田舎だと強調。でも別に地下鉄愛好家というわけでもなさそうで、ただ福岡は田舎であると言いたいだけのようだった。しかもバスは西○の独占状態だ、それがいかん、みたいなことを大声
自分を異質として少数派にしてしまうのはどうしてなんだろう。メモこれはやはり経験によるところが大きいのではないかと。子どもの頃からの積み重ねで、「あんたは変わってる」とか「気持ち悪いからこっちに来るな」とか、まあその種の否定的・排除的なことを何度も言われていたり、好きなもの同士でグループ作ったら必ず余るとか、ケンカしたら周囲は皆傍観者か相手の味方、というような経験をフォローもなしに重ねていると、「自分は他の人には受け入れてもらえない「違う」ところ「おかしな」ところ「間違っている」ところがあるのだ」と思い、またそのことを否定的に捉えるようになっても、ある程度仕方がないと思います。もちろんそこで一所懸命「悪い」と思われるところを「直した」結果、皆に受け入れられるようになったとか、成長過程でそのような認識を覆すような経験があり、自己像がポジティブなほうに修正されたという人もいると思うけど、そういう
・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
■恋愛と結婚は別だし恋愛は自由とは言うけど 好意を持ったままの彼女が、違う男性といきなり結婚・・・ この人たちは職場にいったい何をしにきているのか?と思わず突っ込みたくなるな。いやもちろん就業&残業時間は仕事して恋愛・SEXゆんゆんはその他の時間に、というメリハリは当然つけているものと思われますが…っていっても、この相談者さんは自分と彼女とその周辺の恋愛模様で頭がいっぱいになり仕事も手につかない模様。 職場というのはこのように、社内でくっついたの別れたのそのことで病気になるの、果ては不倫相手のコンバートだのが行われている場所なのでしょうか。はっもしかして私が気づいてないだけで、もしかしたらうちの職場でもめくるめくこのようなことが…(汗) つかなんであなた方は男も女も配偶者の存在を無視してそんな簡単に(じゃないかもしれないけどさ)くっつけるのか。わからん。配偶者いるってだけで自動的に射程外に
asahi.com:朝日新聞のニュースサイト表示できません - Yahoo!ニュースなんだかなー。いやこの人に悪気がないのも、そもそもが少子化対策についての質問に答えたものであり若者の結婚願望が高いって報告を踏まえての発言だということも、文脈自体はよくある保守の「常識」みたいなもんで深い意味すらないのだろうこともわかっちゃいるが、今度は「健全」かよ。他方、当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから、本当にそういう若者の健全な、なんというか希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。「健全」ってなんですか?といきなり外国人になってツッコミたい気分だが。ブクマのコメントなんか読むと、どこが問題なのかとか(どうも「機械」に較べてもどうでもいいと思っている人が多いようだ)、結婚して子ども2人を「健全」
私は「不快」ということは無視すべきことではないと考えている。「正しさ」と較べて価値がないものでもないと思う。世の中には(ってこの枕詞も手垢がついてるな)「不快である」と言うことにすら、それが妥当な感覚であるかどうか合理的な正当性を求めるような人もいるが、「不快」というのはそういうことではないだろう。柳沢大臣の発言があの場であの立場の人として妥当なものであったかどうか、辞任すべきか否か(ってかこういう場合に求める処分としては「辞任」より「罷免」のほうが適切な要求だと思うんだけどさ)ってのは各々の価値観倫理観その他もろもろに従って理性で考えて判断することだし(「正しさ」とはそういうものではない、最初から「こうあるべき」は決まってるという見解の人もいるだろうけどさ)、そこで見解の違う人と議論になることもあると思うけど、「不快だ」「腹がたつ」「嫌だ」ってのは、大部分直観的に訪れるものであって(脊髄
■血液型性格占い http://hannichiann.cocolog-nifty.com/hitokoto/2005/10/post_fabe.html 私は「変わっている」と言われたら、それがイヤミであっても「個性的だ」と思って逆に喜ぶようなアホの子なので、血液型占いその他のお手軽占いや性格診断で嫌な気持ちになったことはないのだが、こういったお手軽占いのご託宣を真面目に信じている人やそれを根拠に他人をしつこくからかったりいじめたりする人も世の中いるらしいから怖いよな。こないだ数人で食事しているとき、血液型の話題が出たのだが(占いの話ではなく)、皆で自分は何型と言ってるときに一人だけ言いたがらない人がいて、その人はB型だった。血液型はプライバシーだと思ってて言いたくなかったのかもしれないが、B型はひどく言われることが多いらしいので、からかわれたくなくて言いたくなかったのかもしれない。 ふ
■「更生」したヤンキーは要するに「勝ち組」だ 【ヤンキー先生の「オレにまかせろ」】 朝食 http://www.sankei.co.jp/local/kanagawa/061127/kng001.htm なんちゅーか。若い頃にヤンキーやってて親を泣かせ社会に迷惑をかけていた人が成人して所帯を持ったら、ちと個性的だが子どもを可愛がる教育熱心な親になったとか、真面目によく働いて職場の人たちや周囲の評判もよい、とかいった「「更生」したヤンキー」の例の一つなんだろうな。反抗的だ(もしくは「だった」)ということと道徳的であることは矛盾しない。いかにもヤンキーな怖い外見の若者がお年寄りに親切にしていたというヤンキー伝説を見たり聞いたりしたことのある人も多いだろう。そーいや私もヤンキーっぽい子たちに親切にしてもらったことあるな、十代の頃。実は世話好きな子も多いようだ。そんでもって男子も女子も家庭を大切に
■女性のジーンズ姿とか の話で思い出したが、以前見た光景。 図書館で、棚の下のほうにある本をしゃがんで見ている人がいた。 その人は夏なのにぴったりとした黒い皮のジャケットを着て、ローライズの皮パンツをはいていた。 ずり下がったパンツの上の端から下着が覗いている。 しかもその下着もずり下がって尻の割れ目すら今にも見えそうだ(っつうか端的に言って見えてた)。 「うひゃー、最近の若い者は…」と思わず心の中でつぶやいてしまったが、その後立ち上がったその人の顔は、どう見ても私より歳食ってる40代後半か50代くらいのオバサンだった。 ……… 自分のパターン思考を恥じるとともに、これって踏み絵だよなあ…となんとなく思った。何のだ。 まあ休日にどんな格好しようがその人の勝手だとは思いますがね。私もひどい格好してるし。 Permalink | コメント(0)
http://spica.tdiary.net/20061023.html#p01仕事帰りの電車の中で携帯をぽちぽち弄っている時に、聞きたくもない会話を耳に入れてしまった。会話の主は妊婦とその連れの男性。何でも、妊婦が産前産後休暇を最大限取ろうとした為に、同僚の1人に皺寄せが行ってその人が休めなくなってしまったらしく、連れの男性が妊婦をたしなめているのだった。「産休が少しぐらい減ったって良いじゃないか。きっとその人は『アイツのせいで自分の休みがもらえなくなった』って恨んでるよ」「そんなこと考える人じゃないから大丈夫よ。それに私、今は他人の心配している余裕なんてないもの」「余裕ない」と語るその声はたっぷりの余裕に満ち溢れていて、その天真爛漫傲慢発言を耳にしてしまった瞬間、私はぐわっと胸が苦しくなってその場を逃げ出したくなった。でも駅に近付いた訳でもないのに車内を移動したら明らかに不審がられる
収入が生活保護以下で生活しているワーキングプアなる階層に関する番組が放送されたらしい。見てないけど、他の人の感想をいくつか読んだ。働いてるのに(この「働いてるのに」って留保も気になるんだけどややこしくなるのでここではおいておく)生活保護以下の収入しかないというのはひどいことだ。「頑張ってる人が報われる社会」というのは、こういう人たちが報われる社会を作ってこそだろう。でもこうやって年収200万円以下の人が同情すべき存在としてクローズアップされたら、次に「わがまま」「怠け者」として見下されるのは、そのちょっと上の年収200万円から300万円くらいの人たちなんだろうなーと思った。「もっとつらい生活をしている人だっているのに不満を言うな!」とか「生活保護以下で生活しているわけじゃないだろうが!」とか言って。いやいや今でももうすでに行政関連の非常勤だと「雇い止め(実質的には民間で言う解雇)反対」とか
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