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クリスチャン世相分析 Yahooブログ「Christian News Watch~海外クリスチャン事情」から引っ越してきました。聖霊派クリスチャンです。一応教団から牧師免許もらってますがペーパードライバー状態。キリスト教に関連する国内外の世相を分析していきたいと思います。 再開にあたって 実に丸一年ほど、予告なく投稿をお休みしてしまいました。 昨年の新型コロナ流行を機に、自分の働き方が大きく変わったのも一因ですが、 新型コロナの起源やその性質について実に多種多様な情報が飛び交い始め、さらには米国大統領選にまつわるさまざまな事象も加わり、何か時事について投稿しようにも、一体どれが本当なのか、また自分が何か投稿したりリツイートしたら実はそれが偽情報だった、といったことになってしまうのではないかという心配もあり、手をこまねいているうちにいつの間にか一年が経過してしまったというのが実情です。 (八
最初に言っておくが、筆者は「成熟」という概念のそこそこ熱心な支持者であり、労働と結婚と育児を経由して「大人」になっていくことは人間にとって極めて重要な事柄だと真面目に考えている。 しかし一方で、この「成熟」という概念が実のところ、相当に暴力的なものだという自覚も持っている。暴力的というのは、個人の生き方に干渉し、世の善悪を規定し、究極的に言えば、「成熟」とは人間から「自由」というものを奪い去ってしまう概念であると考えているからだ。 それでもなお、「成熟」は肯定されなければならない。なぜなら成熟することが不可能化した共同体は滅んでいく以外ないからだ──。それが筆者の主張であるのだが、この論の前段たる「成熟の暴力性」というテーゼはいまいち共有されていないのではないか。そのように考え、今回筆を取った。 「成熟」とは何か。 それは規範の強要であり、自由の否定である。 そういうお話を今日はさせて頂こ
俺はおっさんだが、臭いおっさんではない。いい匂いのおっさんだと女の子たちが言う。まぁまぁモテる。 臭いおっさんは絶滅して欲しいから、俺のHackを共有する。 洗濯機が腐っていると何をやっても無駄洗たく槽クリーナーを使う。酸素系漂白剤を使う。お湯で。ドラム式洗濯乾燥機は、服がドブの臭いになる機種があるらしい。排水トラップの水を吹き飛ばしてしまうから。洗濯機のクズ取りを掃除する。雑巾臭がする服はすべて捨てる 腐ってしまうと、リカバリは困難。買ったほうが簡単。ユニクロで新品を買う。 寝具、タオル、ハンカチを清潔に保つバスタオルは腐りやすいから捨てる。風呂上がりは、フェイスタオルを数枚使うことでバスタオルの代替になる。 体を拭いたタオルは洗濯機にシュートして、その日のうちに洗って干す。臭いと感じたハンカチは捨てる。シーツと枕カバーは週イチ交換。酸素系漂白剤で湯洗い。洗濯物の干し方が悪いと腐る 早く
若手ビジネスマンや、逆に40歳50歳で職歴がない人とかから相談をされることがたまにあるのですが、だいたいのみんなが「スキルを身につける」話をするんですよね。 スキルを身につけるといろいろな世界が広がるので基本的には賛成です。たくさん勉強するといいことがあります。 一方で、今自分の持っている武器を最大限活かしていない人が、やたらとスキルを身に着けても無駄になったりすることも多いんですよね。ゲームでいうと、戦士という職業なのに、攻撃系呪文の弱いやつを覚えるみたいなもんで、「それ使いみちなくない?」みたいなことがあったりするわけです。 というわけで、スキルを身につける前にしたほうがいいんじゃないかということを書いてみます。 --- ✂ --- 僕は、基本的には世の中のほぼ全員が「武器を持っている」状態だと思っています。 「職歴がない50歳です。私には何もありません・・・」みたいな人もいるんですが
「異能」ともいえる際立った能力や実績を持ち、まわりから一目置かれるエンジニアを1カ月に一人ずつ取り上げ、インタビューを掲載する。今月取り上げるのは「Yugui」というハンドルネームで知られる園田裕貴(そのだゆうき)氏。書籍「初めてのRuby」の執筆者であり、過去にはRuby 1.9系のリリースマネジャーを務めた。スケールアウト(現Supership)の初期中心メンバーの一人でもある。今回は、プログラミングとの出会いからWeb業界で働くようになったきっかけを聞いた。 プログラミングを始めたきっかけは、小学校低学年のころ、自宅にPC-8800シリーズ(PC-88)というパソコンがあったことです。父親はIT関係の仕事ではありませんでしたが、趣味で多少プログラミングをしていました。デスクトップミュージック(DTM)のようなことをしたり、自作のプログラムで事務処理をしたりしていたようです。 私も家で
10年以上はあちゅう氏の大ファンであるワタクシ。今回の騒動に関してコメントする前に、情報を整理しようと思い時系列でまとめました。 大切な出来事は日時を赤字にしています。 全部を拾っていったらキリがないので、はてブ数を参考にHagexセレクトになっております。ただ、これだけ抑えておけば、あなたも今日から、この騒動について詳しく語られるよ! しかし、わずか数日で凄い量だ。 最終更新:2018/01/04 2:34 (0)騒動以前のはあちゅう氏の岸氏に関するブログ・ツイート 2009年10月31日 ・劇的クリエイティブ講座とか岸さんのこととか。(はあちゅうオフィシャルブログ) 2010年6月3日 RT @yukixcom: あの、掲載誌下さい。。。RT @sdkg_senden: 【6/1号読みどころ】電通・岸勇希氏「100人にリーチさせて10人動く、という考え方ではなく、5人にしかコミュニケー
夜だし、いつもの不安に襲われましたので投下します。 駄文故、至らぬ点も多々ございますがお許し下さい。 私は現在医学部に在学中ですが、もともと希望していた進路ではありません。 両親も医師ではなく、専業主婦とサラリーマンです。 小さい頃から機械やコンピューターにすごく憧れがあって、将来は技術者になりたいと強く胸に抱いていました。 そして大学受験が近づくにつれ志望校を絞りこむ際に、地方出身であったため東京に憧れがあったことや、また、技術者になることへの憧れから、都内の大学の工学系を第一志望にしました。 前もって両親や先生には通しておいた話だったので、最初は特に抵抗を受けずに自由に出来たのですが、いよいよ願書提出期限が迫ると、しきりに両親は医者や医学部への進路変更を迫るようになりました。 どうしても煩いため一度は呑む寸前まで行きましたが、やはり夢を捨てきれず、別日程で受験できる医学部へ出願する、と
大げさだけどだいたいこんな感じ。 俺はカレーが好きだが一生食べれなくても後悔するってほどでもないし、 実際カレーに飽きてからは8年くらい食べてない。 食べたら美味いとは思うけどただそれだけ。 恐らく一生じゃがいもや豆のスープしか食えなくても文句言わずに食ってるだろう。 欲しい物がないっていうのは社会や肉体から欲しいと思わされているということに気付いたということ。 気づいたというのは乱暴な言い方だが、切り離されてしまったという表現が正しいかもしれない。 家族が欲しい、子どもが欲しいというのは肉体である本能からの欲求で俺の自意識が欲しいと思ったわけではない。 自意識が本能から影響を受けて子どもが欲しいと思ったからであって「オレ」という意識は子どもが欲しい理由がない。 腹が減る、眠くなる、喉が渇く。 これも全部本能からの要求であって自分の心はそんなこと1つも望んでない。 できるなら食べたくない、
暖簾⋈日常用 @noren_tweet 遅れながら、新聞なう。 …といっても、普通紙じゃなくて地元紙の別売紙面から。 「君の名は。」ヒットの裏側。 制作会社の川口社長を取材してるんだけど、内容がエグい。 大々的に推したい。 2016-10-04 08:50:47 暖簾⋈日常用 @noren_tweet "「新海さんは天才。いずれ大ヒットを生む」とほれ込んだ。 ところが、第一作「ほしのこえ」(02年)を紹介してもらおうとテレビ局などを回ったが、「無名の新人の作品は受けられない」と断られた。 「嫌々引き受けてもらっても新海さんは幸せになれない」。 自社でDVDを製造した。" 2016-10-04 08:55:03 暖簾⋈日常用 @noren_tweet "大々的な宣伝はなかったのに、作品の予約は2万5千本に達した。 最終的に12万本を売り上げた。 その後、伊藤忠はアニメ事業から撤退。 川口氏は
「なんでもやりたい!」という好奇心旺盛なタイプのぼくは、とにかく興味を持ったことに飛び込んでいって、あれもこれもやろうとしちゃうんですよね。 しかし不器用なぼくはどれも手が回らなくなってきて、その結果すべてが中途半端になったり、どれも成果が出なかったりします。 しかしそんな不器用なぼくでも、最近は中途半端にならず、結果を出そうと思ったら出せるようになってきました。その秘訣を教えます。 好奇心旺盛タイプの罠 まず僕みたいな好奇心旺盛(のクセに不器用な)タイプはとりあえずやってみることには長けています。気になったことにはトコトン手をつけてみるんですね。 で、「あ、違った」とか「これはいいかも」みたいに振り分けていくのですが、この「これはいいかも」が溜まっていくとやりたいことがドンドン増えていったりします。 しかしどうしても1日は24時間しかありませんし、どんなに動き回っても身体は1つです。当然
まだ20代のおまえが「会社のため」とか「組織のため」なんて考えるなよ。とにかく「社会のため」と考えろ。そのためにもっともっと勉強しろ。若いのに、狭めんなよ、おまえの可能性を。大人になってからすんなよ、誰かのせいに。 家帰ってテレビつけてさ、世界の裏側の凄惨な事件、問題がやってるじゃん。チャンネル変えんなよ。少しは胸痛ませろよ。そんなの見ても会社の売上が上がるわけじゃないとか言うなよ。社会のこともよく知らない時点でそんな思い込みすんなよ。それでさ、布団にくるまって、職場の人間関係で悩むなよ。そんなのに悩んでる暇はおまえには1秒もないんだよ。狭めんなよ、おまえの可能性を。まだまだ若ぇんだよ。30になって結婚して子供できて家買って定住したらいやでも狭められるんだから、今のうち見とけよ、おまえを取り巻く社会を。世界の果てまで。行ってくる必要はないけど思いをめぐらせろよ。 おまえに「会社へ恩返し」と
世の中には、人材不足と低賃金が両立してしまう業界がある。 たとえば介護や警備の仕事が代表的なものだろう。最近では、船員の人材不足により日本の海運業がヤバいという増田記事が注目を集めていた。船員の給与はそれほど低くはないが、労働環境のキツさには見合わない。そのため船員になりたがる若者が減り、深刻な高齢化に見舞われているという。労働力の供給過小が明白なのに、船員の待遇が向上しないのはなぜだろう? これに似た事例として、クラウドソーシングの世界がある。 クラウドソーシングのサービスでは、いわゆる「クソ案件」が多いという。仕事内容に見合わない低報酬の発注があとを絶たず、なかには適法性が問われるような案件もあるそうだ。なぜクソ案件は無くならないのだろう。なぜ、そんなクソ案件でも、一部のクラウドワーカーは引き受けてしまうのだろう? クソ案件が溢れているのは、何もクラウドソーシングの世界だけではない。た
今となっては昔のことなのだが、20年ほど前俺は池袋西口の地下にある大きなカジノバー(以下Rとする)で働いていた。当時はFromAやanなどのアルバイト情報誌に裏カジノのディーラー募集がごく普通に載っていた。池袋のハコは俺にとっては3軒目で、この店が摘発された後、新宿歌舞伎町の小さなハコで店ぐるみのイカサマに関わったりもするのだが、その話はまた別の機会にして今回は当時の一般的な非合法カジノの話をしたい。 当時はカジノブームが起きていて、表向きアミューズメントを装っているが実は換金しているカジノが新宿・渋谷・池袋・横浜などの都市にはいくつかあった。一般人が可能な非公営賭博としてはパチンコ・パチスロだけが有名ではあるけど、「ゲーム喫茶」と呼ばれるポーカーゲームはカジノブーム以前から今も続いている。「10円ゲーム」などの看板を出して換金できるポーカーだ。裏カジノの業態はゲーム喫茶に近いと思う。 客
山本一郎です。最近酒量を減らしたところ、少しの酒で酔えるほどに燃費が良くなりました。エコであります。 ところで、1時限目「高齢者の死に方について世界との違いを考える」の中で、高齢者の死に方、尊厳死の議論についてお話をしましたが、今回はもう少し歩を進めて「そんな高齢者を支えているはずの勤労世代は、その納めている税金で本当に社会を潤しているのだろうか?」という話をしたいと思います。 と申しますのも、最近になって安倍晋三首相が国内景気の先行き不透明感や、熊本での大地震の復興も含めた補正予算前倒しの議論の中で「消費税増税を見送り」というテーマを表に出し始め、いろんなところでハレーションが起きているように感じられるからです。 消費税増税に関する三党合意についてなど、細やかな政策上の経緯や是非は脇に起きますが、基本的には、消費税増税を行う意図というのは、一部は増え続ける社会保障費などの歳出を支えるため
秀でている人間だという誤解 小学生の頃ならば「(ある分野において)自分は特別ですごい人間だ」と心から思っていたかもしれない。だが、その多くは成長するに連れ「ああ、自分はそこまで大した存在ではなくて、大勢いる内の1人なのだなあ」と考えるようになる。 それはほとんどの人間で自明なことだ。自分が見た他人がそうであるように、自分も突飛して秀でた存在ではないのである。 クラスで何かで一番になれたとしても、各クラスにそれぞれ1番がいる。各小学校ごとに一番がいて、日本の1番になれるのは1人だけだ。ちょっと特別だからってそれは小規模な特別であって、大した特別ではない。 つまり、自分が本当に特別な人間である可能性/将来性はかなり低い。それと同じように、自分自身がある分野で劣っていたとしても「自分が本当に特別に劣っている」ということは、まずない。 劣っている人間だという誤解 しかし、多くの人はこれを勘違いして
NATROMと言います。それなりの規模の病院の勤務医です。臨床医を20年ぐらいやっています。多くの医師と働く機会がありましたが、その中でも臨床医としてもっとも優れていると私が思っている先生は、現在、病床がない診療所の院長をしています。仮に山田先生としましょう。 大学病院や総合病院にも優れた先生、尊敬できる先生はたくさんいます。特定の専門分野に限れば、おそらく日本でも有数の医学者と言えるような。でも、臨床の場で、診断がついていない患者さんがかかるプライマリケアの現場では、優れているとは言い難いのです。 たとえば、胃がんの診療に力を入れ、そこら中から胃がんの患者さんが紹介されてくる、胃がんの治療では日本で一番というような医師がいたとしましょう。その医師は、「胃のあたりがなんとなく不快」と訴える患者さんに対して、必ずしも正しい診療ができるでしょうか? 上部消化管内視鏡の検査をして患者さんが胃がん
新R25は、いま注目のビジネスパーソンが集結する「ビジネスバラエティメディア」です。「シゴトも人生も、もっと楽しもう」をコンセプトに、R25世代のみなさんが一歩踏み出すあと押しをするコンテンツをお届けします。
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