宮澤洋夫弁護士は、大正15年生まれ。陸軍航空士官学校を経て終戦を迎え、民主主義や平和の大切さを痛感し、最高裁判所勤務を経て、昭和41年弁護士になります。 そんな宮澤のところに、大宮市北袋町(現在のさいたま市大宮区。JRさいたま新都心駅東側)の住民の皆さんが、「三菱大宮研究所の原子炉設置をやめさせたい。」とやってきました。 三菱原子力工業は、昭和41年9月、日本最初の原子力船「むつ」動力用原子炉の研究開発目的で、大宮研究所に原子炉を設置する計画を発表しました。そもそも三菱は、昭和34年11月14日、大宮研究所には「原子炉の設置はしない」と約束していたのですが、これを覆して、国や県の許可をとり、原子炉建設に乗り出してきたのです。 宮澤は、地元住民2000人からの依頼を受けて、県の許可を争い、昭和47年9月、東京高裁で勝訴しました。また、三菱に対しては、原子炉の撤去訴訟を昭和44年7月7日に提訴