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  • 困っている人がいたらなんでもやりたい 明照会理事長 河原至誓さんインタビュー | 介護のほんねニュース【介護のほんね】

    インタビュー 困っている人がいたらなんでもやりたい 明照会理事長 河原至誓さんインタビュー 老人ホームよりお坊さんがやりたかった、と語る河原至誓さんが明照会の理事長になったのは?過去から現在につながる思いを聞きました。 老人ホームよりお坊さんをやりたかった 聞き手:山あずさ 【山】社会福祉法人明照会の理事長になるまでのお話をお聞かせください。 【河原】僕、実家がお寺なんです。お寺の次男として生まれたので住職になれないことはわかっていたんですが、お坊さんにはなりたいと思っていました。人の役に立ち、困っている人をサポートできそうじゃないですか。サラリーマンみたいな働き方でもないし、今で言うカウンセラーみたいなことがやりたくてお坊さんになりたかったんです。 それで、お坊さんを養成する大学に入ったのですが、大学時代は仏教のことを学ばずにほとんど遊び呆けていました。ただ、大学院では体重が10キロ

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  • 父の介護を10年間。私のカイゴ回顧録 ~介護を終えて、思うこと [中編] | 介護のほんねニュース【介護のほんね】

    寄稿 父の介護を10年間。私のカイゴ回顧録 ~介護を終えて、思うこと [中編] 漠然と考えていた介護がいざ現実になると、私の生活も介護中心にまわるようになっていきました。 生活が介護中心にまわり始める 我が家の場合、幸い母が介護をしていける状況であったので私一人での介護ではありませんでしたが、それでも介護しなければならない家族がいるとなれば、今までとは時間の使い方や仕事の仕方等、様々なことがこれまで通りにはいかなくなることが多くありました。 介護に関わる方々と方針を決めるための話し合いをしたり、手続きのために役所に行ったり、どのような終末を迎えるのかまで考えながらの生活がまわり始めます。 その時までは、「起きるかもしれない」問題として漠然ととらえていた介護ではありましたが、いざそれを行う必要が生じると、突然、昨日までと同じ日常ではなく、父の介護が中心の生活となってしまったのです。 時には家

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