ブックマーク / www.highriskrevolution.com (15)

  • どうしてハドソンはROMカートリッジを自社生産しなかったか? | Colorful Pieces of Game

    『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ

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    topiyama 2021/02/17
  • 『迷宮組曲』・連射測定の謎を解く | Colorful Pieces of Game

    『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で

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    topiyama 2021/02/05
    凄い話だ…… ジョイカードmkIIの連射精度を補うための水増し……今ならどうなってたかw
  • アーケード&ファミコン版『アーガス』のエピソード | Colorful Pieces of Game

    話はfacebookでの綾部和さんのこのポストから始まる。 綾部和さん NMKで『エスパ冒険隊』などを制作。 1997年にミレニアムキッチンを創業。 『ぼくのなつやすみ』シリーズが有名。 ■綾部さん この記事に「ファミコンは足し算と引き算しかできません」と書いてあるけど、方法を知っていればそこそこ高速に掛け算、割り算ができるんだよ、と言いたい(笑まあ、大量に使う場合は僕も結果をテーブル化してたけど。 記事へのリンク https://twitter.com/itm_nlab/status/1290973324760059909?s=21 計算方法 筆算でやる場合と同じことを2進法でやると速いです(×0と×1しかないので)。10進法の筆算でも下の段が0と1しかなかったら早いのと同じ。 まあ確かにそうで、ROM容量がない当時は全部テーブルってわけにもいかず、いかに高速な掛け算と割り算を実行するか

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    topiyama 2020/08/13
    トーアのしわざ
  • 『天外Ⅱ』に参加しようと決めたワケ | Colorful Pieces of Game

    『天外Ⅱ』の発売28周年というので、ちょっと記事を書いておこうと思った。 continueでちょっと喋って、下の記事でもちょっと書いた話だけど、詳しく書いたことはほとんどないなあという話。 どうして『天外Ⅱ』の仕事を受けることにしたのか? 大恩人の中さんに頼まれたら、やっぱり断りにくい…というか、断るなんてありえないっしょ。 また、当時は超大作RPGを作るのに憧れてたし、広井さんに「岩崎じゃないとヤダ」と指名を受けたのはもちろん嬉しかったし、かつ桝田さんがスゴく仕事が出来る人だったので一緒に仕事してみたかった。 ここまでは、まあ普通の話だと思うのだけど、あと一つ、とても大きな理由があった。 それは「辻野さんのコンテをちゃんとコンテ通りに動かしたかった」のだ。 どういうわけか、僕はたまたまコンテを読む能力があった。 不思議だけど、あったのだ。 そして、当時、コンテを読めるヤツはハドソンには

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    topiyama 2020/03/28
  • 某プログラマが某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したの巻 | Colorful Pieces of Game

    ツイッターでポロっとつぶやいたのだけど、ここでも記事をば。 某プログラマが34年前に発売された某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したので、以下にリンクを置いておく。 GitHub - omuanko/nnjhtrkn: Famous Ninja game for NESFamous Ninja game for NES. Contribute to omuanko/nnjhtrkn development by creating an account on GitHub. 某プログラマからの箴言は以下。 ■某プログラマ ちなみに びるど とおりますうご(www act65 を cpm86 エミュで 試してみた ソース見られるの恥ずかしい いまさらおそいか ちなみに act65は つけてないよ どっかで ひろってね ところで、イマドキな方には全く理解できないことがいろいろあるだろう

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    topiyama 2020/01/13
    よく残ってたなあ。
  • イースⅠ・Ⅱ通史(番外):イースグローバルガイドブックの謎 | Colorful Pieces of Game

    ”イースの世界設定は『I』・『II』で完全に完結することを前提に作られており、最終的に現実の歴史とリンクするようになっている” 僕のツイート このデタラメには続きがあり「オリジナルスタッフはⅠ・Ⅱで終わらせるつもりで辞めた(Ⅲはつまり他が作ったことになっている)」とか「山根は続けたかったからⅠ・Ⅱでシナリオいじった」とか、もうよくこんだけデタラメを書けると呆れる代物だ。 このとんでもないデタラメはwikipediaのイースシリーズの初期の項目を筆頭に、何か所かで書かれていたのだけど、これにモトネタがあるのか不思議に思っていた。 というのも、山根のくだりはともかく、それなりに発想力のある話で、素人がゼロから考られるとはさすがに少々想像しがたく、何か元ネタがあったのかなあ? と調べていただけど、さっぱりわからず、ツイートしたのだけど…そしたら、このツイートを日ではクトゥルーとレトロゲームにつ

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    topiyama 2019/10/20
  • PCエンジンminiのお手伝いしてました | Colorful Pieces of Game

    30年前あったPCエンジンという8ビットゲームマシンは、僕にとってとても思い出深いハードだ。 なんせこのハードでゲームを作るプロ側に立てるようになったのだから、そりゃあ思い出も深い。 そのPCエンジンがレトロゲームマシンの復刻ブームでミニとして出るという話になり、なんとそれのお手伝いをさせてもらえることになり、スタッフロールに名前が出ることになってしまった。 30年やっていると、こんなボーナスが出ることもあるんだなと思った。 ではなんのお手伝いをしてたのか? あまり具体的な個々の内容に触れないように書くと、30年前のソフトとハードの中身の説明ということになる。特に多かったのは圧縮・メモリの質問とビデオ周りの質問。 実は圧縮は難しくなくて、当時の圧縮はグラフィック側はLZSSを使って、コレはこんな数字を設定してますよって話を伝えたりすれば「なるほど!」でだいたい終わった。 奥村先生が当時のソ

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    topiyama 2019/09/26
  • イースⅠ・Ⅱ通史(12):Ⅱの開発は続く | Colorful Pieces of Game

    今回は、1987年7-8月あたりの話になる。 前回、イースⅡの開発が始まったとき、天空に行く以外のネタは何も残っていなかったコト、テストマップとしてムーンドリアの廃墟を作り、そこで魔法が登場し、聖域という案を思いつくのと同時ぐらいでランスの村を作っていた、なんとリリアはドットが先でキャラクタが後だったなんて話を書いた。 少し追記しておくと、PC88SRのALUによる合成を画面外でやるイース方式ではソフトウェアスプライトの数に重大な制限があり、アドル+3体のキャラクタだけだった。山根はイース1で3体を少しでも多く見せたくて、ミネアの街では双子を作った。そして大浦君は3体しかいない動けるキャラの1つをリリアにしたわけである。だからミネアの街のレアは街の固定キャラだし、イースⅡの医者も移動できないわけだ。 コンテを描き、リリアのキャラクタを描いたはずの山根は木屋さんに取っ捕まって『ソーサリアン』

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    topiyama 2019/05/25
  • イースⅠ・Ⅱ通史(10):イース1とファザナドゥの補足 | Colorful Pieces of Game

    ちょっとした理由があって「ともかく短く(2文字)で、せいぜい真ん中に長音がある程度の地名」という条件で『世界文学にみる架空地名大事典』の中から発見したのがイース。 で「Ys」だと知って、大浦君にロゴを頼んだわけだ。 僕の家にもあるので、該当箇所(69ページ)をスキャンしてきた。テキストを読むとわかるがプロマルクって、明らかにプロマックの街だよねとわかったりするのが面白い。 MSX2のイースについて コメントの質問 MSX2版イースは確かソニーのMSX2とコラボしてて HB-F1XDでしか動かない懸賞版あったと思いますか そこら辺の裏話ってあったりします? ■ファルコム関係者の証言 MSX2版のイースⅠは、HB-F1XD(FD搭載機)のバンドルソフトでした。 SONYさん提供の「機種チェック」(SONYチェック)が組み込まれています。 宮崎さんが移植の終わり頃に「SONYチェックが、まだ来な

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    topiyama 2019/04/23
  • イースⅠ・Ⅱ通史(9):『ファザナドゥ』開発物語(2/終) | Colorful Pieces of Game

    ただ、奥野さんは開発は2~3月にスタートしたと記憶しているのだけど、これには少し記憶違いが入っている可能性が高い。 というのも、ウィンドウシステムを書いているヘクターさんは、この時、『ヘクター87』を作っている。だから『ファザナドゥ』に入れたはずもない。 まだ雪が残っていたとき『ヘクター87』の企画会議があって、ヘクター(小山さん)大変だなあと思っていたという話が複数あるのに加えて、『ヘクター87』チームのメンバーがゴールデンウィーク明けにマスター休みを取ったと証言している。 つまり『ヘクター87』のマスターはゴールデンウィークあたりなのは間違いない。 言い換えれば、それより前にヘクターさんが入れたはずがない。 だから2~3月頃に「作れ」と言われて、夏発売予定でスタートしたのはいいけれど、ゲームはプログラマ1人でなんとかなるサイズではなくなりつつある時代で、間に合わず、夏は無理で秋に延期さ

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    topiyama 2019/04/20
  • イースⅠ・Ⅱ通史(8):『ファザナドゥ』開発物語(1) | Colorful Pieces of Game

    これはイース通史の中で、イースとは直接的には関わりのないエピソードなのだけど、ハドソンが『イースⅠ・Ⅱ』の許諾を取る上では、大きな問題になった…と思われる『ファザナドゥ』のエピソードだ。 まず『ファザナドゥ』という作品について、簡単に説明しておきたい。 『ファザナドゥ』はファルコムの大傑作ソフト『ザナドゥ』を、ハドソンがファミコン用に移植したゲーム、ということになっている。 「ということになっている」というのは、発売されたゲームが、まるで別物だから。 ここで名誉のために書いておくと『ファザナドゥ』は、まあまあ出来がいいRPG要素の入ったアクションゲームだ(RPG要素の入ったと書いているのは経験値による成長サイクルがないのでCRPGとは呼び難いから)。 ただアイテム名やモンスタ―名、それとも称号に共通しているものがある以外は、何一つ『ザナドゥ』と共通点がなく、「どうして『ザナドゥ』の名前がつ

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    topiyama 2019/04/18
  • イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版のイース1から、PCエンジン版のイースⅠ・Ⅱまでの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 イースを作ったころと重なるのもあって、一度イースを作ったころの記事は削除しようか迷ったのだけど、比較することで「何がわかったのか」がわかるようになるなと思ったので残すことにした。 ものすごく長くなると思うのだけど、まとめて夏コミで最終的に新刊としてリリースされることが目標だ。まあ問題はとんでもないページ数になりそうな予感がすることだけど… また、このシリーズは、山根のバカ、五十嵐さん、古代祐三さん、進藤、長山君、百田のバカ、飯淳、その他名前を少し書きづらい沢山の方々から得た情報で書かれている。僕に情報をくださった方々に感謝したい。 ということで編。 世がファミコンブームに沸き立ちつ

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    topiyama 2019/01/05
  • 80年代末に作り手になった人間のRPG史観::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    topiyama 2018/11/20
  • ファミコン版FFⅡ、座談会で聞いた30年前のエピソード::Colorful Pieces of Game

    ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?…これ4年も前のブログ記事なんだけど、バズるとか、全く馬鹿らしいなあと思いつつ、4年前に書こうか迷って書かなかった、このマルカツの座談会であった『FFⅡ』のエピソードを残しておきたい。 どうして書こうか迷ったかというと、歪んだ読み方をすれば、Disっているようにも見える話だったからだけど、こんなこと覚えている人はもうほとんど残っていないだろうから、ここにこうして残しておくことにした。 さて。 『FFⅡ』のシナリオは、寺田憲史さんが関わっているのも有名なのだけど、その座談会で寺田さんのシナリオについて坂口さんがしゃべり始めた。 「寺田さんのシナリオ、かっこはいいんですけど、あの人、ゲームのことなんか、な~んにもわかっていませんからね」 と坂口さん、断言。 全員「エエエエッ!」 「シナリオあがってきて、みんなで『うわーかっこいいんだけどさあ、これ

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    topiyama 2018/08/29
    寺田さんは寺田さんで、坂口さんたち開発メンバーに対して物語が書けてないって言ってるしね。/主人公たちに(説明書に書いてあるだけだけど)名前が付けられていたからこそ、喋っても違和感は感じなかったな。
  • 把握している限りのパソコン版イースの初期開発史::Colorful Pieces of Game

    僕が聞いている限りでは、この発想はなかったと思います。ファクトはダームの塔の最上階にいて、あのバトルフィールドは最上階以外の何物でもないです。少なくとも山根がそう考えてないと、『Ⅰ・Ⅱ』のインターミッションで、屋上からぶっ飛ぶアニメーションは出てきません。 また、自分が覚えている(同人誌にも書いた)イースの開発の歴史に、のちに分かった若干の付け加えをして書いておきます。 ■橋・宮崎コンビが『アステカ3』と偽って作り始めていたゲームに山根が合流する。 そもそもは『アステカ3』と偽ってアクションRPGを作り始めたのは確かなようです。当時のファルコムメンバーの山根+1で、どちらの話も共通していましたから。30年経っての記憶違いはともかく、彼らがウソつく必要もないわけで。当時、橋・宮崎コンビはファルコムの中ではメインではなかったので、チェックも緩くて勝手に出来たのかなあと。 また、このころは「

    把握している限りのパソコン版イースの初期開発史::Colorful Pieces of Game
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    topiyama 2017/05/25
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