――ただ、かつての韓日対決のようなスリリングな最終予選ではないのも事実ですし、そうしたこともあってファンの間では日韓戦を待望する声もあります。今まで韓日戦をたくさんしてきたと思いますが、一番記憶に残っている試合は? 「やはり94年の広島アジアカップです。個人的に初の韓日戦で、しかも代表初ゴールを決めた試合でもありましたから。あと、97年に国立競技場で行われたワールドカップ・アジア最終予選ですね。あのとき私は、日本代表の小村徳男選手とちょっとした小競り合いのようなものをしてしまったんです。彼が韓国の誰かにタックルしたことにイラっとして、私が小村選手を押してしまったんですよ。それで一発触発のケンカになりそうな雰囲気になってしまって……。ただ、試合後にその行動が韓国のファンには支持されて、ちょっと複雑でした」 ――たしか2003年4月にソウルで行なわれた韓日戦でもそんなことがあったような……。た
ガンバ大阪の西野朗監督が“代表監督”を務めたのは、1992年のアジアユース選手権予選でのU−20日本代表監督ということをどれだけのサッカーファンが記憶しているだろうか。この国際大会での初戦が韓国だった。韓国との出会いはここからスタート。そして、柏レイソル監督時代には元韓国代表のホン・ミョンボ、ファン・ソンホン、ユ・サンチョルらと出会い、ガンバ大阪ではACLや親善試合で数多くのKリーグチームと名勝負を演じてきた。意外にも“韓国”とゆかりある西野朗監督に、Kリーグチームの印象や柏レイソルでの思い出、指導者理論などについて聞いた。 ――ACLのノックアウトステージがスタートしましたが、まずは今の目標を教えてください。 「これからは今までの次元とは違うステージですから、そう簡単には大きい目標は立てられないというのが本音です。前回は予選落ちしていたので、とりあえず決勝トーナメントに勝ち進むことが目標
――それでは柏レイソル時代から話を変えましょう。2005年10月の日刊スポーツに西野監督が理想の監督像としているのが、バルセロナで監督を務めたクライフのスタイルと02年W杯のヒディンク(韓国代表)のサッカーだとコメントしていますが、今でも理想とする監督に変わりはありませんか? 「クライフは憧れの指導者で、ヒディンクは私の理想です。実際の指導者としての目標になります。韓国代表時代のヒディンクのサッカーは、私にとっては衝撃的でした。とてもアグレッシブな采配をしましたよね。常に攻撃的なシステムを取っていて、オランダのスタイル自体が攻撃的ですからね。そのシステムを取ることはどの指導者もできますが、実際にゲームに入って、その理想をどう実現化するかが難しい。流れの中でうまく選手のキャスティングやカードの切り方ができるのかどうか、指導者の手腕が問われますよね。02年のワールドカップでは、ヒディンクの采配
韓国と日本のサッカー交流を陰で支える人物は数えきりないほど多い。今回取材した高橋建登さんもそのひとりだ。ホン・ミョンボ、ファン・ソンホン、ユ・サンチョル、アン・ジョンファンなど、Jリーグに渡ってきた韓国人選手たちの通訳として、彼らの日本での生活とピッチでの活躍を支えてきた。そんな高橋さんが今だからこそ明かす、コリアンJリーガーたちの素顔とエピソードを前編・後編に2回に渡って紹介したい。 ―高橋さんは今まで多くのコリアンJリーガーの通訳を担当してきましたよね? 「ベルマーレ平塚(当時)に入団したホン・ミョンボが最初でした。ミョンボが柏レイソルに移籍することになって、一緒にいくことになり、そのレイソルにファン・ソンホン、ユ・サンチョルが移籍してきたので、このときは3人の通訳を担当していましたよ。2001年を最後にミョンボ、2002年にはソンホンとサンチョルがレイソルを離れました。その後、200
今やアジアを代表するプロリーグとなったJリーグ。 その急成長を支えるリーグ運営や各クラブの動向は、韓国にも大きな刺激になっている。今年8月に行なわれる『JOMO CUP2008』では、史上初の韓日プロサッカー・オールスター対決が実現。Kリーグ選抜とJリーグ選抜が対決する。 その『JOMO CUP』開催の意義やJリーグの現状、さらにはKリーグが抱える問題へのアドバイスなどを、Jリーグの佐々木一樹常務理事に聞いた。 ――Jリーグ発足から15年が経ちましたが、今年の一番の目標は何でしょうか? 「昨年から掲げた『イレブンミリオン』が一番の目標です。2010年に1100万人の観客動員に向けて、集客をどうのようにしていくのかという部分に力を注いでいます。もう一つはJリーグ・アカデミーの充実、発展、成長です。同アカデミーはスポーツと人間教育を通じて、幅広く子どもたちの健全な発育を目指す取り組みで、一貫指
93年ワールドユース代表、96年アトランタ・オリンピック代表を経て、98年と02年ワールドカップにも出場したチェ・ヨンス。韓国ではその鋭利な得点感覚から「トッスリ(はげ鷹)」の愛称で親しまれたストライカーは、01年から05年まで日本のJリーグでもプレー。ジェフ千葉、京都サンガ、ジュビロ磐田で活躍した。06年に韓国に戻って古巣のFCソウルでプレーイングコーチとなり、06年8月に現役を引退。以降、本格的に指導者の道を歩み出している。現在はFCソウルでコーチを務める彼に、日本時代の思い出や近況、さらには独自の「ストライカー論」を聞いた。 ―2005年からFCソウルでコーチを務めていますが、現役時代とはいろいろと違いますか? 「それは当然。例えば、選手のときは今よりもたくさん年俸をもらっていたしね(笑)。冗談はさておき、選手時代はファンからの温かい声援を受ける側だったが、指導者になった今はファンや
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