ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (10)

  • ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去

    また南京事件で盛り上がってますね。 中国は南京事件政治利用しているという人がいますが、少なくとも日中国交正常化以降、中国が南京事件に関して「謝罪と賠償」を要求したことは一度だって無いし、毒ガス問題など個別イシューを除けば日中間で歴史認識が政治問題になっているのは唯一靖国くらいのものですが、もちろん中国は南京事件があったことをもって靖国神社への参拝に反対しているわけではないのです。 さて、この問題が蒸し返されるときにはきまって、南京事件あったかなかったか「どうでもいい」と思っているのに南京事件「論争」にはいっちょ噛みたいと思っているのが多すぎるのが問題をややこしくしていると思うのですが、それはポストモダニズム系リベラルの問題として表すことができるかもしれません。 つまり、劣化版東浩紀です*1。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c122932

    ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去
    toroop
    toroop 2009/06/03
    本当は「どうでもいい」じゃなくて、罪悪感と裏返しの被害妄想があったりするのかも。
  • NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの - 過ぎ去ろうとしない過去

    お返事がたまっている。ううう。 ■シリーズ JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国” http://www.nhk.or.jp/special/onair/090405.html さて、台湾問題を扱ったこの番組が「反日」であるという理由で問題になっているらしい。確かに、「そのとき歴史が動いた」ならば「良き植民地主義者」として描かれるであろう後藤新平の差別主義者、弾圧者としての側面を強調するなど、非常に興味深い番組であった。 しかし、台湾の人々の植民地時代にたいする批判的な証言を多く紹介し、日支配の抑圧的な側面を取り上げたからといって、それが「親日的な」台湾、あるいは「親日的な」台湾の人びとについて事実を歪めたとする考えは、あまりにも皮相的に過ぎるといえよう。現代台湾の植民地時代にたいするアンビヴァレント性は、以下の記事に詳しい。 ■「台湾=親日」 http://blog.lived

    NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの - 過ぎ去ろうとしない過去
    toroop
    toroop 2009/04/18
    これはいい紹介。
  • 「通名」について - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/thir/20090414/p1 後輩にいぢめられました。 まあ、「通名」は在日特権であるという議論がいかにばかげているかについてはこちらがよくまっているので、 ■在日朝鮮人の通名が特権だという人は特権の意味がわかってるの? http://d.hatena.ne.jp/sube-sube/20090414/p1 わたくしが付け加えることはないのですが、少しだけ捕捉しておきます。 「通名」を使うのが卑怯だと思い、「名」を詮索するその心性自体がレイシズムです。 たとえば、ナチス・ドイツは、ドイツ風の名前をつけ、ドイツ人に「紛れ込む」ユダヤ人を「卑怯」として、女性にはサラ、男性にはイスラエルというミドルネームをつけることを義務付け、誰がユダヤ人であるか「明確に」わかるようにしました。 「在日」は「堂々と」「在日」であるとはっきり分からなければならず、

    「通名」について - 過ぎ去ろうとしない過去
    toroop
    toroop 2009/04/16
    下で「どこかに差別する他者がいると想定すること自体が差別の容認」と言っている人やそれにスターをつけている人たちは、現代日本には差別者がいないと想定している超現実派?
  • 「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト産業」については以下のリンクに要約がある。 http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb811.html http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20061004NGFinkelstein.htm また、今回この文章を書くにあたって以下のなどを参照した。 「シリーズ・ドイツ現代史」は値段・分量ともに手ごろで、また質の高い議論がなされていると思うので、機会があったらぜひ参照してほしい。 さて、題の批判にはいるが、このの問題をここの資料まで検証して指摘していくのはキリがないし、質的だとは思えない。よって、いくつか確実に問題点を指摘できることをいくつか取り上げた。したがって、取り上げていない論点に関してぼくが承服しているというわけではない。 ■ユダヤ人請求会議は、

    「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去
  • もうダメだ - 過ぎ去ろうとしない過去

    のパレスチナ支援運動は「反ユダヤ主義」と紙一重だとずっと思っていた。あの「ナブルス通信」でさえ、フィンケルシュタインを留保無しで肯定的に扱っていた。 でも、現在パレスチナがイスラエルによって圧倒的な暴力にさらされていることを考慮すれば、心情としてそのような気持ちを持ってしまうこともおかしくないし、それを公表してしまうのかもしれない。その怒りさえ否定してしまっては、運動家はただの評論家に堕することになる。そう思って今まではあまり指摘してこなかった。 でも、ここ数日のパレスチナ支援家と歴史修正主義との親和性を見てると、やっぱダメだと思った。確かにパレスチナは緊急の暴力にさらされている。でも、ぼくたちは安全な日にいる。であるならば、パレスチナにたいするコミットは、より厳しい倫理が求められるはずである。運動家は倫理的に高潔でなければいけないとは思わないし、運動は資格を問わずに参加できるのが望

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  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • パレスチナ解放とホロコースト否認の結びつきについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    先日、とある人とパレスチナ問題について話していて、その人は日における反イスラエルの言説が反ユダヤ主義に結びつくことを危惧していたのですが、ぼくはさすがにそんなバカな話はないだろうと、たかをくくっておりました。 でも、あるんですねこういうのって。 ■歴史問題と政治問題の憂な関係、あるいは、歴史的修正主義について http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090317/1237279039 確かにドイツでは1970年代後半のレバノン侵攻以降高まったイスラエルへの批判の一部が、ホロコースト否認論と結びついて問題になったことがあります。日でも、チベット解放と南京大虐殺否定論が反中という点において結びついているネットウヨクがいるように、それ自体正当なものである批判的言説が歴史修正主義の侵入を許してしまうのは、ありえないことではなかったのでした。 歴史

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  • ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■中3女子「卒業式出たい」 茶髪注意され、教諭にはさみ押し当てる http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090314/stm0903141620005-n1.htm 越谷署の調べでは、事件当日、同校は卒業式。午前9時45分ごろ、女子生徒が遅刻して体育館に現れたところ、男性教諭に「スカートの丈が短い。髪の毛が茶髪だ」と指摘され、保健室で注意を受けていた。越谷署の調べに対し、女子生徒は「卒業式に出席させてほしかった」と供述しているという。 学校における髪型規制だの服装規制だのといったものは、それ自体に何か意味があるわけではなく、たんに大人が子どもを服従させたいということ、あるいは権威にたいする服従精神を子どものうちから「調教」しておきたいということでしかない、という点については、今は2009年ですから最早常識といってよいでしょう。ヒトラーは

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    toroop
    toroop 2009/03/16
  • 「制度」の中の倫理 - 過ぎ去ろうとしない過去

    村上春樹がエルサレム賞受賞記念のスピーチで、ガザ攻撃について言及したそうです。 ■村上氏、イスラエル授賞式で講演 「制度が組織的に人を殺す」 http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009021601000122.html 【エルサレム16日共同=長谷川健司】作家の村上春樹さん(60)が15日夜、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で記念講演し、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃に言及した上で「わたしたちを守るはずの制度が組織的に人を殺すことがある」と述べ、一人一人の力で国家や組織の暴走を防ぐよう訴えた。 (・・・) 講演は英語で約15分間行われ、約700人の聴衆が大きな拍手を送った。一方で「政治的な内容で不愉快。イスラエルに賞をもらいに来て批判するのはおかしい」(中年男性)という声も聞かれた。 ■村上春樹さんの講演要旨 http://www.chugo

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  • 「永遠の嘘」を構成する者 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■「村上春樹」を巡る政治 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090217/p1 村上春樹を批判する気はありません。彼は、できる限り倫理的にふるまおうとしたと思います。「リスク」についていえば、さらに踏み込んだ発言・行動を取ったとしても、結局は高い「リスク」を取らない発言・行動は「永遠の嘘」を破壊できないし、「永遠の嘘」を破壊するほどの「リスク」を人が取らなかったとしても、それはけして批判できないでしょう。 問題は、「永遠の嘘」は、騙す者と騙される者・騙されたがる者だけで構成されているわけではないということです。村上春樹は、受賞を拒否してさえも、イスラエルの「寛容さ」によって暖かく迎えられる可能性はありました。その意味において、彼がイスラエルで公然とイスラエルに批判的な講演を行ったことは倫理的でありました。 ところが、嘘を嘘だと言い、自分にできるできる限りの誠

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