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タナトスに関するtororopopのブックマーク (3)

  • 田母神論稿の「正しさ」と「愚かさ」 - 雪斎の随想録

    ■ 田母神航空幕僚長更迭の件について記してみる。 雪斎も、件の論稿を読んでみた。 率直にいえば、雪斎は、この論稿には高い評価を与えられない。「不可」に限りなく近い「可」というところである。「不可」にしなかったのは、「自分と意見を異にする論稿は、否定的に評価する」真似は、したくないからである。少なくとも、懸賞論文で「最優秀」を取るようなものではあるまい。選考した人々の見識は、どうなっているのであろうか。 というのも、これは、雑誌『正論』辺りに載ったならば、航空幕僚長が書いたということを除けば、他の論稿に埋没するような「没個性的な」中身であるからである。とある漫画家の漫画に影響されて、保守論壇の作品に触れ始めた若者が、そういうものを必死になって真似して自前の論稿を書けば、こういうものができるという風情であろう。要するに、この論稿を航空幕僚長が書く「必然性」が、まったく判らないのである。 たとえ

    田母神論稿の「正しさ」と「愚かさ」 - 雪斎の随想録
    tororopop
    tororopop 2008/11/02
    『雪斎は、政治家や政府高官の発言は、「時宜を得た」ものかどうかで先ず評価されるべきであると考えているので、「正しい儀論」と「賢明な議論」を比べれば、「賢明な議論」にこそ高い評価を与える』落とし所?
  • 考えてみれば、テレビの歴史ってまだ50年程度しかないんだよね - 空中の杜

    最近のニュースを見ていると、CM出稿量の減少とか、地上波デジタル放送への以降率が40%程度しかないとかいろいろテレビに関してピンチだということが言われています。それでいろいろ騒がれています。それの中には日人の生活が変わるとか、歴史が終わるように大げさに言われているものも多いですが、よくよく考えてみると、そこまで大げさなことでしょうか。だって、テレビが一般家庭に入ってきた歴史って、50年程度しか経っていないのですから。 テレビが街頭のものから一般家庭に普及し始めたのは、『三種の神器』と言われてもてはやされたのは、1950年代後半、今から50年前。ちなみに現在の民放キー局が続々放送を開始したのも1950年代前半(テレ朝のみちょっと遅れて1959年)。つまり、テレビにはとんでもなく長い歴史があるように見えますが、その歴史は戦前からある新聞や雑誌、ラジオ等に比べてかなり短いと言えます。実際、高齢

    考えてみれば、テレビの歴史ってまだ50年程度しかないんだよね - 空中の杜
    tororopop
    tororopop 2008/07/18
    最近のマスメディアは自己存在の最適化への流れと真逆の方向へ進んでるように感じる。どれだけ落ちぶれるか。
  • 自殺は止められなかったんだ

    自分がメンヘラになってわかった。自殺は人には止められなかった。 医者は役に立つ事もある。薬も効くことがある。家族や友人もありがたい。 でも、自殺衝動はホントに「衝動」で来るんだ。急に死にたくなるんだ。 しかも、その時は判断力がそうとう鈍ってるんだ。人が自覚してる以上に。 今でも何人も電車に飛び込むだろ。「電車に飛び込むと損害賠償が大変なのに何考えてんの?」ってよく聞く。 逆に考えてほしい。それを知ってても飛び込む人が減らないのはなぜなのか。ホームにたつと急に死にたくなるからなんだよ。 自殺は止められなかった。 だから、自殺した人の家族や友人は、自殺を止められなかった、といって悔やむ必要は全くない。罪悪感を感じる必要は全くない。 自殺を止めることなんて神様にも不可能だから。 自分がメンヘラになって、自殺の止め方はわからなかったけど、自殺の救いがたさだけはわかった。 日は毎年3万人が自殺し

    自殺は止められなかったんだ
    tororopop
    tororopop 2008/07/08
    思考よりも先に訪れる衝動。ある意味での解放。その段階まで進んでしまっては、もはや対処も何もない。未然に防げねばならない。追い込まれないよう、安息の地を確保するしかない。
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