『長くつ下のピッピ』 1971年、当時Aプロダクションに所属していた高畑勲・宮崎駿・小田部羊一が企画。スウェーデンへのロケハンも行ったが、原作者のリンドグレーンは当時、自作のアニメ化を認めておらず――1990年になって初めてアニメ版が作られた――直接、交渉に臨んだ高畑は、にべもなく断られたという。スタッフは、その後『パンダコパンダ』に移行する。主人公の設定などに影響が見られる。 『高畑・宮崎版 リトル・ニモ』 東京ムービーの社長、藤岡豊が日米合作で進めていた企画。1975年に専門のスタジオとしてテレコム・アニメーションフィルムを設立。1977年にゲイリー・カーツがアメリカ側のプロデューサーとして就任する。1978年春、テレコムがアニメーターを募集。月岡貞夫、ついで大塚康生が、新人の育成にあたる。1979年、テレコム製作の『ルパン三世・カリオストロの城』が公開。1981年4月『じゃりン子チエ