森岡浩之さんのSF小説「星界の紋章」シリーズのヒロイン・ラフィールの幼少時代を描きました。猫は以前住んでいた三鷹のアパートの隣人が飼っていた「チロ」という人なつこい猫がモデルです。
Electronic Artsは9月11日、『FIFA 21』におけるレーティングトップ100プレイヤーを発表した。『FIFA』シリーズでは、選手の各能力に数字がつけられている。そしてそれらの能力はOverallという総合的な数字に換算され、そのOverallレーティングのトップ100が今回ゲームの発売に先んじて公開されたわけだ。トップ3にはリオネル・メッシにクリスティアーノ・ロナウド、ロベルト・レバンドフスキらが名を連ねている。しかし、こうした数字に納得いかない選手たちが、SNSにて声をあげているようだ。 もっとも怒っているのが、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノ(以下、インテル)に所属するロメル・ルカク。同選手は、能力値が公開された11日にTwitterにてフラストレーションを爆発させていた。
ソフトバンクの法人向けイベント「Pepper World 2016」発表会での模様。この2年後の2018年2月、デビュー以来所属していたバーニングプロダクションからの独立と豊原功補との交際を発表した/写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ ■キャンティといえばユーミンだけど、おキャンティといえばキョンキョン 「週刊アサヒ芸能」9月10日号の表紙に「小泉今日子『共産党から出馬』準備」という見出しが踊った。中身を見ると大した話ではなく「コロナ禍『芸能事件簿』セレクション」という5頁企画のなかで20行程度触れられているだけだ。それももっぱら「政治部記者」による匿名証言である。 この記事の写真はこちら 「22年の参院選で共産党は目玉候補として、小泉今日子(54)を出馬させるという話が永田町に流れているんです。実際、ツイッターで小泉は安倍政権批判を繰り返し、5月末には共産党の機関紙『し
今、「森林購入」がブームだそうだ。それもプライベートキャンプ場をつくるのが目的だという。 テレビ番組や新聞などがこうした話題を相次いで取り上げている。私のところにも何かとコメントを求める申し込みがやって来る。 ただ私が「素人が森林を買う」ことの問題点やデメリットを説明しても、ほとんど採用されない。あくまで明るい話題として「森林購入」を取り上げたいのだろう。 たしかに今年になって森林を買いたいという人が増えたのは事実らしい。どうやら芸能人のヒロシが、自分で山を買ってプライベートキャンプ場づくりをしていることをユーチューブで配信したことがきっかけだとか。そして、思いがけず森林が安いことを知る。何千坪の土地がせいぜい数十万円なのだ。これなら自分の小遣いでも手が出るぞ、と気づいたのだろう。 意外と頻繁に行われた森林売買 せっかくだから、森林売買に関する事情の推移を紹介しておこう。 まず、これまでも
鈴木輝一郎@『何がなんでも長編小説が書きたい!』(河出書房新社)発売中! @kiichiros 小説家業界で生き残るのに禁句が2つある。「売れない」と自分でいう人は消える。「仕事ください」と言う人は消える。 請負仕事なんで、「売れない」って言う人に注文する出版社はいない。仕事はもらうもんじゃなくて作るもんだ。(鈴木輝一郎小説講座) 2020-09-13 02:03:27 浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る24(2023年2月17日発売) @AsaiLabot2 これは本当にそう思う。「売れない」と言う人に依頼しない。「仕事ください」と言うと足下を見られる。 だからいつも調子の良いふりをして、向こうから「やりませんか?」とならないと死ぬ。それが娯楽業の鉄則で、かつ苦しいところ。 2020-09-13 02:38:55 浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る24(2023年2月17日発売) @AsaiLa
菅義偉の「自助・共助・公助」論が議論になっている。 www.huffingtonpost.jp agora-web.jp これらの記事にあるように、「自助・共助・公助」論は菅個人の主張ではない。自民党政治の根幹に座る太い考え方である。つまり菅個人の「思いつき」ではなく、イデオロギー的に強固であり、ある程度体系化されているものなのだ。 特に自治体行政の現場での町内会統制はこれを理論的な屋台骨にしている。各種の条例、計画はこの文言のオンパレードである。本当に検索すれば掃いて捨てるほどあるが、一例として、宮崎県日向市の「協働のまちづくり指針」をあげておこう。 https://www.hyugacity.jp/tempimg/20140319165056.pdf ビジネスならビジネスのシーンで支配的なイデオロギーというものがあり、経営者だけでなく労働者も少なからずそれに絡め取られている。*1 地域
批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評や評論、あるいは研究の領域では、「俺がジャッジだ」でいいんだよね。「この作品にはこれこれこういう問題がある」というのを、あくまで個人の批評や評論や研究として、審美的な基準から行う分にはなんの問題もない。 だからオタク同士の会話で「今となってはあの描写古いよねえ……」みたいにつぶやく分には、何も問題にされないんだよな。新聞の書評欄とか、あるいは「気鋭の学者によるラノベレビュー○○選!」みたいな場だったら、「ちょっと性差別的なのはどうかと思うんだけどー」みたいなこと言っても別に問題にならないでしょ。 レビューとか評論というのは多少厳しいことを書いてもなんならボロクソにこき下ろしたりしても問題ない、なぜならそれは個別の作者による個々の作品の批判であって特に実際の権力のあるものではなく、「文芸」とか「ラノベ」とか「オタク界」とか
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