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ブックマーク / blog.gururimichi.com (8)

  • 7つの比喩の型を知り、言語感覚を活性化させてくれる名著『レトリック感覚』 - ぐるりみち。

    誰もが当たり前に使っているのに、実はすっごい曖昧なもの。 定義がしっかりしているようでいて、実は簡単に変化する適当なもの。 そして言うまでもなく、魅力的でおもしろいもの。そんな「ことば」の多様性と再会できる1冊、佐藤信夫著『レトリック感覚』を読みました。 レトリック感覚 (講談社学術文庫) 佐藤信夫 講談社 2018-01-12 Kindle Amazon 楽天ブックス 振り返ってみればここ数年、「言葉の使い方」や「文章の書き方」を紐解いたを何冊も読んできた自分。でも、そんななかでスルーしていたのが、この「レトリック」でした。 ……だって、これ、なんとなく小難しいイメージがありません? なんだか、文芸部に所属する理屈系文系男子が、眼鏡をクイッと上げながら説明してくれそうな感じ。基的な作文技法や論文の書き方とは異なる範疇にある、専門的な言語表現という印象が強かったんですよね。 それこそ、

    7つの比喩の型を知り、言語感覚を活性化させてくれる名著『レトリック感覚』 - ぐるりみち。
  • 「書く」を鍛える発想法「ノンストップ・ライティング」の魅力(アイデア大全より) - ぐるりみち。

    5月に『アイデア大全』を読んで以来、同書に書かれている「発想法」をいくつか試している。『アイデア大全』については下記記事で感想をまとめているので、詳しくはそちらをどうぞ。 アイデアを生み出すための手法が、42個も掲載されている書。当然、すぐに全部を実践できるはずもないので、暇なときにちょちょいと読み直しつつ試している格好。 そんな発想法のうち、継続的に取り組んでいる手法がひとつある。 『アイデア大全』を最初から最後まで読んだうえで、特に「これはぜひとも実践したい!」と感じられた手法。6月上旬から取り組むようになり、この2ヶ月以上、なんだかんだで続けられている。それどころか楽しんですらいるし、メリットと言えそうな効果も現れてきている。 それが、「ノンストップ・ライティング」だ。 スポンサーリンク テーマなし&時間制限ありのフリースタイルが楽しい! 「ノンストップ・ライティング」 あるいは「

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  • 『面白ければなんでもあり』? 加点法で考えるラノベ編集者のコンテンツ論 - ぐるりみち。

    「そげぶ」*1を知ったのは、高校生の頃だったと記憶している。 当時、ケータイのSNSでつながっていたネット友達がやたらと「禁書目録」なる単語を叫んでおり、いまだ中二病が完治していなかった高校男子の目に留まったのがきっかけ。──“禁書目録”と書いて、“インデックス”と読むとな? 異能力バトルもの? なにそれ面白そう。 案の定ハマり、アニメ化決定の報に狂喜乱舞し、なんやかんやでずーっと追いかけてきたライトノベル、『とある魔術の禁書目録』シリーズ。その担当編集者であり、他にも数々の大ヒット作品に携わってきた三木一馬さん、初の著書が『面白ければなんでもあり』でござる。 「編集者」としての方法論・考え方を記したハウツー書であり、筆者自身の経歴をまとめた自伝であり、面白い作品の作り方や売り方を分析したコンテンツ論、マーケティングでもある書。 編集志望の学生さんはもちろんのこと、ライトノベル文化が好

    『面白ければなんでもあり』? 加点法で考えるラノベ編集者のコンテンツ論 - ぐるりみち。
  • 「わかる」は漢字?ひらがな?日本語文章の表記の違いが面白い - ぐるりみち。

    「そんな事出来る訳が無い」 「そんなことできるわけがない」 2つの文を比較したとき──用法の正しさはひとまず置いておいて──どちらのほうが読みやすいでしょうか。 スポンサーリンク 「正しい用法・表記」って? 先日、こちらの記事が話題になっておりました。 自分としては、「だいたい無意識に合っているほうを使ってはいたけれど、理由までは知らなかった!」と素直に驚いた次第です。……あ、でも “致します” と “立ち振る舞い” は当たり前に使ってた。 この手の「日語の用法」って、人によって思った以上に書き方がばらばらなんですよね。最近、仕事で文章校正をするようになったことで、それをより強く実感するようになりました。と同時に「あれ? 結局はどれが正しいんだっけ……?」と、正解を知らないことに絶望した。 たとえば、冒頭の文章。それぞれの単語に漢字を使うか・使わないかという選択は、人によって変わってくる

    「わかる」は漢字?ひらがな?日本語文章の表記の違いが面白い - ぐるりみち。
    totoronoki
    totoronoki 2015/01/13
    「分かる」は「分別がつく」ということか。
  • 『大卒だって無職になる』からレールを外れたっていいじゃない - ぐるりみち。

    大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち (ホビー書籍部)[Kindle版] posted with ヨメレバ 工藤 啓 KADOKAWA / エンターブレイン 2013-11-14 Kindle Amazon[書籍版] 大卒なのに無職になってしまうことが、僕らの社会ではフツウにあること、そして、フツウにあることだからこそ、そこからやり直せることもまたフツウである社会であってほしいと、僕は願っています。 工藤啓さんの著書『大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち』を読みました。 僕自身、書名の指し示す“大卒無職”でございますが、無職でなくとも“はたらく”に悩む若者や、昨今の労働問題、就職活動事情などに関心がある人など、幅広い層にオススメできる作品です。 個人的には、大学生にぜひ読んで欲しい。それも、自分を“フツウ”だと感じている学生さん。特にやりたいこともなく、周囲

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  • 「見たいものしか見ない」人間と、Twitterにおける「ノイズ」の問題 - ぐるりみち。

    先週、話題になっていた、Twitterの仕様変更。 日Twitterユーザーの反応としては、「そんなのお望みじゃないんですが……」といったものが大半っぽい。そりゃあ、見たいものだけを選んで見ていたところに、強制的に無関係なものを「見せつけられる」ようになってしまっては、あまりよくは感じないでしょう。 ただ、「見たいものだけを見る」ことに関しては、「それってどうなん?」と思わなくもない。同じ分野のもの “だけ” を消費し続けることは、マンネリ化に結びついたり、視野を狭めたり、といった影響も考えられるのではないかしら。 そんな、ネットで「何を見るか」について、ちょろっと考えながら書いてみます。 「見たいものだけを見る」ことによる弊害 「何を好んで、興味のないものを見なきゃいけないんだー!」 「リア充の意識高い系ツイートなんざお呼びじゃねえんだよー!」 「迂闊にエ口画像をふぁぼれなくなっちま

    「見たいものしか見ない」人間と、Twitterにおける「ノイズ」の問題 - ぐるりみち。
    totoronoki
    totoronoki 2014/08/26
    ユーザーの視野狭窄を心配してとかそんなレベルの話じゃない。金槌の柄に勝手にのこぎりくっつけて「いろんな使い方ができて便利ですよ」って言ってるようなもん。他のことやりたいなら他のツールを使うだけだ。
  • 「『ゆとり世代』に気づいて欲しいこと」に対する違和感 - ぐるりみち。

    読みました。ライフネット生命の社長さんが、入社1、2年目のいわゆる「ゆとり世代」の社員と対話して、感じたことをまとめた内容。 読んだ所感として、「ゆとり世代」という言葉に関しては、単純に「今の若者」という括りとして使っているような印象。わかりやすいですし、そこは記事の題でもないように思います。ただ、内容に違和感を覚えた部分もいくらかあったので、考えたことをば。 スポンサーリンク 社長さんの「ゆとり世代」に対する見解 まずは、簡単に元記事の内容をまとめてみましょう。 元記事の筆者(社長さん)が話をした新入社員たちは、「自分たちの目からみると合理性がないこと/常識とは考えられないことが、なぜ企業社会ではまかり通っているのか?」という疑問を、一様に抱えていたらしい。 「会社にビーサンで通勤しちゃダメと言われた。なぜ?」 「社内の飲み会でなんで先輩にお酌しなくちゃいけないの?」 「私は事務職だか

    「『ゆとり世代』に気づいて欲しいこと」に対する違和感 - ぐるりみち。
    totoronoki
    totoronoki 2014/06/05
    敬意や親愛の表現が伝統とされることで意味を持たないものに変わった。元々はプラスだった行為が「当たり前」になることでプラマイゼロに。ゼロでもやらなければマイナスになるというのが気持ち悪さの根源だと思う。
  • 僕は「偽善」という言葉が嫌いです。 - ぐるりみち。

    photo by wstera2 「偽善」って、なんだろう。 スポンサーリンク 「偽」の「善」ってどういうこと? 僕は、「偽善」という言葉が嫌いです。 まず、「偽」の「善」ってなんじゃい? という話。自分がやった行動が「善」でないならば、それは「悪」と呼べるものだろうし、もしそれが周りから見て「偽」の物ならば、その判断基準はどこにあるのか、ということにある。 客観的な評価として、「正しい」か「間違っている」かを指摘するならまだしも、それを「偽」と表現するのはいかがなものか。 「偽」であるとすることと、「否定」することは、ちょっと違う。 否定は、「それは違うよ!」と間違いを指摘し、場合によっては正すこと。 論破してそれで終わり。あとは知らん。なんて人もいるが、否定された側が言い返し、議論になるような余地もある(それが建設的なものとなり、結論が出るかどうかは別問題)。 一方、「偽」は、「なーに

    僕は「偽善」という言葉が嫌いです。 - ぐるりみち。
    totoronoki
    totoronoki 2013/11/14
    偽善と批判するのは、相手が「自分のやっていることは悪だと自覚している」と推定して、そのふてぶてしさを批判しているわけだ。「そんな言い訳は通用せんよ」というわけなんだ。
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