都市部の選挙は田舎の選挙より立候補者が多い傾向にあります。例えば東京都知事選は1つのイスに10人以上が立候補することもしばしばです。しかし、このような常識を大いに覆す村長選がありました。栃木県の桑絹村(現在は小山市の一部)で1960年に行われた村長選では立候補者が202人という文字通り、桁違いの人数になったのです。 村の合併をめぐる争い 選挙の舞台となった桑絹村はもともと「桑村」と「絹村」という2つの村でした。この両方の村は茨城県結城市と接していましたが、特に絹村は結城市の中心市街に近いことや結城市に問屋が密集している結城紬の生産地であることから、生活や産業において結城市との非常に強いつながりを持つ地域でした。 この大量立候補事件の少し前の1953年に多すぎる自治体数の整理を行うため、自治体の合併を促進するための法律が制定されました。この法律は都道府県にかなり強い権限が与えられており、栃木