中国大陸に被害を与えてきたトノサマバッタ 中国大陸では、大規模な大雨や旱魃が起こると必ずといっていいほどトノサマバッタの群生相が発生し、大規模な農被害を与えてきた。そのため蝗害(蝗災)が天災の一つに数えられている。そして、天災は皇帝の不徳によるものとされてきたため、各時代の王朝はこの対策に取り組み、発生した天災の記録を残した。そのためもあり、中国大陸には蝗害の記録が非常に多い。 古くは殷の甲骨文にも蝗害の記録が見られる[12]。また、周の詩篇『詩経』にもバッタ駆除の様子が書かれている[13]。漢代になると記録が増え、紀元前175年(文帝6年)[14]を始めとして、漢書、後漢書には20回以上もの蝗害の記録があり、後漢の思想家王充[15]や官僚の蔡邕[16]も自書の中で蝗害について述べている。 5世紀ごろから王朝の取り組みについての記録も増え、北史には北魏の文成帝の時代に、官庫を開いて窮民を救
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