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ブックマーク / futoimegane.hatenablog.com (2)

  • 複数の人を愛することの正当性について - 誰かが言わねば

    現在の社会のルールでは、たとえば一人の男性が同時期に五人の女性を愛していると主張した場合、そんなにたくさんの愛など存在するわけがなくその男性は嘘つきで不誠実な人物だと受け止められます。 しかし一方、現在の社会のルールでは、一人の人が同時期に五人の息子や娘を等しく愛していると言うと、それはそうだろうと主張が受け入れられます。 ここで、 五人の女性を同時期に愛することが出来ないなら、五人の子供を同時期に愛することも出来ないのではないか? 五人の子供を同時期に愛することが出来るのなら、五人の女性を同時期に愛することも出来るのではないか? という疑問が浮上します。 五人の子供を同時期に愛することは出来るが、五人の異性を同時期に愛することは出来ないと言うならその根拠は果たして何なのでしょうか? おそらくここには「愛というのはこうあるべきだ」というある種の信仰のようなものがあるのだと思われます。 「愛

    複数の人を愛することの正当性について - 誰かが言わねば
    townphilosopher
    townphilosopher 2014/07/08
    配偶者、性的パートナーと我が子を同列に扱う事が誤り。遺伝的にはまったく違う存在。社会的愛と生物的愛も分けて考えるべき。個人的思い込みに基づいた浅薄な記事。
  • 豊かになるほど子供が減るのはなぜか - 誰かが言わねば

    人には誰しも誇りとか羞恥心とかがありますが、それらは持って生まれるものではありません。誇りとか羞恥心とかを持たずに生きて行くことはできないのですが、心の中に最初からそれらのものが備わっているわけではありません。人は、自分が属している社会の中で他人との関係を通して自分なりの誇りとか羞恥心とかを構築していきます。要はお互いに隣を横目で覗いて、これくらいなら恥ずかしくないのかな、と確認しながら生きているわけです。ですから、社会の豊かさが大きく向上すると、誇りや羞恥心の基準も大きく変化します。 たとえば自分が属している社会が貧しい人達ばかりで構成されているなら、皆と同じくらいの貧しさは恥ずかしいことではありません。ずば抜けて貧しいことは恥ずかしいことですが、隣と同じくらいの貧しさであれば恥ずかしいこととは感じません。貧しい社会に暮らす貧しい人々にとって子供を育てるというのは、子供が働ける年齢になる

    豊かになるほど子供が減るのはなぜか - 誰かが言わねば
    townphilosopher
    townphilosopher 2014/06/17
    社会が豊かであるとつられて福祉や教育コストが上がるからでしょう。特に日本は福祉と教育のコストが上がり続けるのに所得は横ばいか下がる傾向にある。あとこのブログ書いてる人頭が悪いので何も言ないでいて欲しい
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