開港以来、水不足に悩まされていた横浜に、明治20年(1887)日本最初の近代水道が創設され、野毛山に最初の浄水場が完成。40キロメートル以上も離れた相模川上流で取られた水が、ここまで送られてきた。その後、関東大震災で壊滅し、現在は浄水場の姿はみることはできない。 大正15年に浄水場跡地が公園として整備され、地下に1万立方メートルの野毛山配水池が完成。さらに昭和42年には水需要の増加に対応して4万立方メートルの配水池が新たに整備された。 配水池は「浄水場でつくられた水が家庭に届く前に蓄えておく」「災害など緊急時の飲み水を蓄えておく」という役割を持っている。現在、西区全域と中区・南区の一部の地域にここから水が送られている。配水池の上部にある野毛山公園内には、横浜水道の設計・工事を手がけた「近代水道の父」パ-マ-の胸像があります。