「わたしを忘れないで」は、だれしものおもいです。小学生でも卒業文集に「先生ボクを忘れないで」と書きます。しかし有名人でも死後30年もたてば、急速に忘れられてゆくのです。 じつはイエスさまも「わたしを忘れないで」と弟子たちに念をおされます。そこで忘れやすい弟子たちに、忘れない「記憶装置」をつくられました。それがパンとブドウ酒です。 イエスさまが「最後の晩餐」をひらかれたその卓上には、ユダヤ教の過越祭につかう、ブドウ酒、水、種なしパン、苦菜がありました。そのうちの「パンとブドウ酒」を「十字架記憶装置」にされた発想がすごいとおもいます。毎日使うものだからです。 イエスさまは、弟子全員に、ひとつのパンと、ひとつのコップのブドウ酒を、順々にまわし「目で見」「手で触れ」「舌で味わわせる」という、あたまでなく、からだに刻みこむ「記憶装置」を定められたのです。弟子たちに「これはわたしのからだ」「これはわた
![パンとブドウ酒は「十字架記憶装置」 - shirasagikaraの日記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/83c3722d86e77d1bad968afd08e6a267aa5bb0cd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.d.st-hatena.com%2Fdiary%2Fshirasagikara%2F2014-03-17.jpg)