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2015年6月28日のブックマーク (12件)

  • パンとブドウ酒は「十字架記憶装置」 - shirasagikaraの日記

    「わたしを忘れないで」は、だれしものおもいです。小学生でも卒業文集に「先生ボクを忘れないで」と書きます。しかし有名人でも死後30年もたてば、急速に忘れられてゆくのです。 じつはイエスさまも「わたしを忘れないで」と弟子たちに念をおされます。そこで忘れやすい弟子たちに、忘れない「記憶装置」をつくられました。それがパンとブドウ酒です。 イエスさまが「最後の晩餐」をひらかれたその卓上には、ユダヤ教の過越祭につかう、ブドウ酒、水、種なしパン、苦菜がありました。そのうちの「パンとブドウ酒」を「十字架記憶装置」にされた発想がすごいとおもいます。毎日使うものだからです。 イエスさまは、弟子全員に、ひとつのパンと、ひとつのコップのブドウ酒を、順々にまわし「目で見」「手で触れ」「舌で味わわせる」という、あたまでなく、からだに刻みこむ「記憶装置」を定められたのです。弟子たちに「これはわたしのからだ」「これはわた

    パンとブドウ酒は「十字架記憶装置」 - shirasagikaraの日記
  • キリスト信仰と「仏壇」 - shirasagikaraの日記

    お盆です。お盆といえば主人の実家へ帰り、お墓と仏壇が待っています。クリスチャンの女性が、キリストを知らない男性と結婚したさい、この「仏壇」が問題になります。、主人の実家の行事に参加しなくてはならないからです。そのとき「わたしはクリスチャンですから、行事に出ません」というのが正しいでしょうか。 むかし、神戸女学院というキリスト教主義の大学の、学生寮舎監のお部屋にうかがったことがあります。驚いたことに舎監室に仏壇がありました。その仏壇には仏像はなく、十字架と父上の位牌があるだけでした。舎監がいわれるには、「ここの学生が在学中キリストを信じ、卒業後、檀家総代のようなご大家に嫁ぐと、神棚や仏壇とどう付き合えばよいかと相談に来るのです」。そのときわたしは、「この仏壇を見なさい」と申します。「あなたは仏壇の前に座っても、仏さまを拝むのではない、キリストさまに、この家のご先祖がたの救いを祈るのです」。「

    キリスト信仰と「仏壇」 - shirasagikaraの日記
  • 寄らばキリストの陰・聖なるのんき - shirasagikaraの日記

    「寄らば大樹の陰」ということば。「同じ頼るなら、しっかりしたところに頼れ」という意味です。人間だれしも、仏教の大伽藍、イスラム教の大モスク、カトリックの大聖堂に入ると、小さい自分も、大きなものに包まれて、なにか気持ちが落ちつき、安心感が生まれるのです。 「人は生まれながらにカトリック」ということばもあります。大きな見上げるものが好きなのです。カテドラルとよばれる大教会に一歩足を踏み入れると、まず天井に目が吸い寄せられます。壮麗なアーチの骨組みがかなたまでつづき、そのはるか先の大窓には色あざやかなステンドグラス。足もとにはモザイクのタイル。その荘厳さに「神はここにいられる」という雰囲気に「参る」のです。 しかし、イエスさまは違います。人間がつくった巨大なものは「ひとつの石も、くずされないで、ほかの石の上には残らない」と予言されるお方です。建物でなく、天を見上げ、湖を見つめ、そのかなたの山脈を

    寄らばキリストの陰・聖なるのんき - shirasagikaraの日記
  • 「聖書ばなし」第9集、第10集の刊行 - shirasagikaraの日記

    1944年晩秋に浅田正吉先生に導かれて洗礼を受けてから満70年になります。1948年春、酒枝義旗先生から喜びの福音を教えられて66年になります。その後、ものを書くとき、日人らしい日語で福音をわかりやすく伝えたいとずっとおもってきました。 1996年から尾上守夫先生の手ほどきでパソコンを使うようになり、「インターネット聖書ばなし」という欄をつくりました。それが溜まって70編にもなります。どなたでも、わたしのホームページを開けば、いつでもご覧いただけるのですが、パソコンと無縁の方々もいられます。そのため、そこから選んで、2008年に「インターネット聖書ばなし」を8冊出しました。薄くて、軽くて、字が大きくて、読みやすく、値段も安い、そういう伝道冊子を目ざしました。電車の中で、病院の待合室で、気軽に読める手軽な信仰読み物になったらいいなとおもいました。ありがたいことに、その第1集は10刷り、第

    「聖書ばなし」第9集、第10集の刊行 - shirasagikaraの日記
  • 「週刊ブログ」から「月刊ブログ」に - shirasagikaraの日記

    来る2015年から、この「週刊ブログ」を、<毎月10日掲載>の「月刊ブログ」にいたします。理由は三つです。 まず、満九〇歳になったことです。九〇歳になれば、活動のレベルを一段下げてもお叱りを受けますまい。わたしは1924年(大正13)12月26日に生まれたそうです。そのころの日は「数え年」で、正月元旦になると、日全国だれもがいっせいに年が一つふえました。生後六日の赤子も二歳になります。そこで父は1925年(大正14)1月6日生まれで戸籍係に届けたのです。 つぎの理由は、時代がパソコンからスマートホンに移ったことです。18年前の1996年にパソコンを始めたころは、インターネットを起動するのもたいへんでした。「ああ、つながった」と喜んだものです。いまはだれしも手軽に使いこなせます。しかし、その字の小ささ、動きの速さは、目の衰えた老人にはついてゆけません。老人はパソコン止まりです。 三つ目は

    「週刊ブログ」から「月刊ブログ」に - shirasagikaraの日記
    toya
    toya 2015/06/28
  • 九〇歳は人生のデザートコース - shirasagikaraの日記

    2015年1月6日、わたしは満九〇歳になりました。九〇歳といえば、料理でも最後のデザート・コースの場面です。 わたしは生まれながらひ弱く、医者は二〇歳まで生きないと診断し、両親は「それまで生きれば、主のご用に捧げる」と祈りました。そして九〇年。わたしの人生は、感謝してもしきれない「フルコース」の振る舞いを、主からいただきました。 まず、二〇歳台から信仰を酒枝義旗先生に、ギリシア語を白井きく先生に、それぞれ10年学びました。また二〇歳台から四〇歳台まで国立国会図書館で働きました。そこは「人材の森」で、旧制の学位を取る者が上下左右におり、「勉強しろ」「原稿を書け」の声が響き、「物書き」の刃を研がされたのです。そして職場では仲間と「聖書研究会」をつくり信仰を励ましあい、家では三〇歳台から「恩寵と真理」の編集にたずさわり、どんなに忙しくても、毎月、編集校正や巻頭言執筆はつづけました。伝道に飛び立つ

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    toya
    toya 2015/06/28
  • 中居正広という唯一無二のアイドル - てっぺんのそこ

    中居正広、SMAPのリーダー。 司会としても高く評価され、一週間で彼の顔を見ない日はないと言われるレベルの売れっ子司会者。 そんな中居正広が司会として出演している番組の中居で今現在私が一番楽しみにしている番組は「ナカイの窓」である。 この番組での中居正広は司会であるが司会ではない。 この番組で番組を回すのは「ゲストMC」と呼ばれる芸人さんたちである。 レギュラーといえるくらいゲストMCを担当している芸人さんもいれば、一度呼ばれてもその後が続かない人もいる。 おそらくこれからも新しい芸人さんがゲストMCに登場し、熾烈なレギュラー争いを続けていくのだろう。 そんな中堅芸人の争いを尻目に、中居正広はどうしているのか。 今週放送された中居正広不在の「ナカイの窓」で、レギュラーレベルのゲストMCの方々が語ってくれた。 一言で言えば「むちゃくちゃ」である、と。 普段他の番組で中居正広はしっかりとした司

    中居正広という唯一無二のアイドル - てっぺんのそこ
    toya
    toya 2015/06/28
  • 今日は同性愛の適応度と進化の話をしよう | COMPLEX CAT

    なんてことは全く考えなくて済む?アフリカマイマイの交尾。クロスカウンターのように相互にベニスが突き立てられている。

    今日は同性愛の適応度と進化の話をしよう | COMPLEX CAT
    toya
    toya 2015/06/28
  • 「リンガーハット」危機の責任者と、回復の功績者は?「ビジネスジャーナル」の人気記事に異論~kaoruwwさんの連続ツイート

    【マック元社長に潰されかけたリンガーハット、批判&反対殺到の戦略断行で鮮やかな復活 http://biz-journal.jp/2015/06/post_10522.html 】 という人気記事があります。ちゃんぽんのリンガーハットの経営に関する記事ですが、それについて@kaoruwwさんが異論を連続ツイートしました。これが興味深かったので紹介します

    「リンガーハット」危機の責任者と、回復の功績者は?「ビジネスジャーナル」の人気記事に異論~kaoruwwさんの連続ツイート
    toya
    toya 2015/06/28
  • 目黒区役所に婚姻届を提出しました - Kentaro Kuribayashi's blog

    日6月28日、大安吉日ということもあり、目黒区役所に婚姻届を提出しました。特に書類上の不備等がなければ、受付日の日が受理日となり、すなわち婚姻の成立日ということになります。 かねがねインターネット上で「結婚したい」と書いておりましたところ、「結婚しましょう」というお申し出がありました。私が結婚したいという意志を述べていたことが心からなのであるとすれば、呼応したお申し出に関してはこれを受けるのが合理的です。 物事を合理的に判断するというのが私の信条ですので、その観点から件について考察を行いました。その結果、現に私の意志が心からなのであってみれば、すなわちお申し出を受けることは合理的であると判断し、婚姻届の提出に至りました。 なお、お相手につきましては、一般の女性ですので公開は差し控えさせていただきたく存じます。何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。 というわけで、今後ともみ

    目黒区役所に婚姻届を提出しました - Kentaro Kuribayashi's blog
    toya
    toya 2015/06/28
    「婚姻届の提出」と書いてあって大変合理的で好感しかない
  • 仏教寺院本堂でキリスト教の葬儀 - shirasagikaraの日記

    仏教寺院の堂で、キリスト教の葬儀の司式をしたことがあります。 1971年12月23日、名古屋で桜井錠一さんが主に召されました。74歳でした。わたしの妹、初穂の主人・桜井宣隆さんの父上です。宣隆さんは、無教会の政池仁先生の信仰の弟子でした。すでに宣隆さんの影響で、その母上も、妹さんの一人も、わたしの父から受洗。また父上の錠一さんも、病床でわたしの父から洗礼をうけられました。 桜井錠一さんは獣医師です。鉄道以外まだ輸送力の主流が馬だった敗戦前、名古屋の物流拠点の中川区に住まいを定め、馬の病気や蹄鉄の面倒を診、敗戦後は名古屋の市議会議員を2期されました。背筋がぴんと伸び、弁舌さわやかに「ご承知と思うが」が口ぐせでした。あの名古屋市の雄大な道路網計画にも参画され、米軍の爆撃で自宅も焼けながら、焼失した近くのお寺の再建にもつくされました。 桜井家としては歳末の葬儀で、教会を借りたくてもつきあいがな

    仏教寺院本堂でキリスト教の葬儀 - shirasagikaraの日記
    toya
    toya 2015/06/28
    長崎でキリシタンの人を助けたお寺の話と似ている
  • 「大正天皇実録」 黒塗りだった記録公開 NHKニュース

    13年前に公開された大正天皇の活動記録、「大正天皇実録」について、宮内庁は個人情報の保護などを理由に一部を黒塗りにした当時の措置を見直し大部分を公開しました。病弱で悲運の天皇として知られる大正天皇の体調や病状、未発表の動静などの詳細が明らかになりました。 一方、去年完成した昭和天皇実録は個人情報にあたるものも可能なかぎり、公開するとして黒塗りは行われず、NHKでは大正天皇実録についても同じ基準で公開するよう申請し、宮内庁は当時の措置を見直して黒塗り部分のおよそ8割を解除しました。 この中には、病弱だった大正天皇が事実上、引退する原因となった発語障害や歩行困難などの体調の異状や、晩年の脳貧血の病状などが詳しく記されている箇所もあります。 また、即位後、元老の山県有朋などの要人と頻繁に会っていたことや、第1次世界大戦について軍の幹部から、たびたび説明を受けていたことなども分かりました。 こうし

    toya
    toya 2015/06/28