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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (5)

  • 性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート

    前回の記事を受けてのBLUE PINK氏の記事への返答です。 自分が普通の人間だと思っている人は自分が普通の幸福が得られないことをそう簡単に納得できない。これ自体、他人に暴言吐いたりしない限り悪いことじゃない。 もちろん納得できればちょっとは幸せになれるでしょう。でもそれを普通の幸福を享受する人間から言われたら余計こじれるだけ。じゃあ、てめぇも同じ状況になってみろよ、と。 性規範から自由になれ、っていう前に、まずその規範が与える強迫性を考えるべき。「恋愛男女間が当たり前」という性規範に漏れたゲイなんかに、「男女恋愛に固執するから不幸なんだよ。すなおに今の状態を受け入れることでもっと自由になれるよ」なんていったら怒るだけでしょう。受け入れずらくしてるのは誰なんだよ、と。 規範が与える強迫性というものは確かにあるでしょう。そして、それが「規範に従わなければ社会的承認を与えない」という形でな

    性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート
    toya
    toya 2018/01/12
  • インターネットは、他の何かの代わりじゃない。 - 烏蛇ノート

    このところ、完全にネット上での活動がTwitterに移ってしまって、放置状態が続いている当「烏蛇ノート」ですが、とあるブログの文章に刺激されて久しぶりに書いてみようと思いました。 僕は悲しい。とても悲しい。 インターネットで生じている事実が事実として伝えられない。 岡田有花なる人物の手により、全ての記憶が改変されてゆく。努力とか継続とかいう些細で美しい自己啓発と、インターネットという未来が生んだ魔法のブラックボックスにより、全ての事実は抹殺されてゆく。歴史は書き換えられ、僕達1人1人が真実の心を持って懸命に生きてきたインターネットが汚されてゆく。いや、浄化されて行く。美しいものへと。素晴らしいものへと。小さく儚い、それでいて強い美談へと改変されてゆく。 普通の女子大生は、Google+で「日一」になんかなっちゃいない。 - 真性引き篭もり 「真性引き篭もり」というブログは、ブロゴスフィア

    インターネットは、他の何かの代わりじゃない。 - 烏蛇ノート
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    toya 2011/11/24
  • 「女友達は恋愛と無関係」に潜むミソジニー - 烏蛇ノート

    最近また放置気味ですが、今回は久々に「非モテ」ネタで。 押井徳馬氏のこの記事では、非モテ男性の人達に「とりあえず彼女作れ」とアドバイスすることの無意味さが論じられています。記事の趣旨には全面的に賛同するんですが、問題はコメント欄でのg氏の発言です。 彼女を作る前に女友達を・・・という下りですが、 彼女を持つ事を最終目的とする場合は、 女友達を持つ持たないというのはあまり意味を成さないと思います。 基的に女性は異性に対して友人と恋人を 性的魅力などの要素で厳格にジャンル分けして、 友達のカテゴリにいれられた人は半永久的に そこから脱する事は出来ないようです。 (中略) こういったことを考えると、特に深い意図も戦略もなく、 単純に女友達を作っても恋愛には繋がらないかと。 g氏と同じような主張は、以前Masao氏からもありました。ここでは「好意は必ずしもセックスに繋がらない」ということが述べら

    「女友達は恋愛と無関係」に潜むミソジニー - 烏蛇ノート
    toya
    toya 2006/08/17
  • 「愛」という名の性的搾取 - 烏蛇ノート

    前々回の記事でのイカフライ氏のコメントへの返信記事です。 あと、もうひとつ。 >『「愛」の証として、強迫的にこの種の行為を迫られる昨今の風潮』 うーん、これって良く解りません、「脅迫的に迫られる」 あくまで自分の経験に過ぎないのですが、好きな人とは抱きたい、抱かれたい、って、自然に湧いてくる気持ちじゃないんですか? いや、勿論、愛が無くてもセックスなんていくらでも出来ます。実際、昔は親が決めた結婚なんていくらでもあるし、今だって国によってはそうです。 欲望だけでも出来るでしょうし、セックスをお仕事にすることだってあります。 ただ、「したい」という気持ちは、「家のために子供を作らねば成らない」というような社会的強要とは違うもののように思えるんですが。 まあ、もしかしたら、その、特に若き日に「好きだからしたい」と思う感情が、能に根ざした繁殖システムなのかも知れませんけれど。 「愛があればセッ

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    toya
    toya 2006/06/17
  • 「女はわからない」という幻想

    watapoco氏の記事のタイトルにもある通り、「男と女の間には深い溝が横たわっている」というセリフは古今東西よく聞かれます。男と女は相互理解のできない生き物だ、という趣旨の著名人の格言はいくらでも挙げられるでしょう。私は長い間、このような言説に馴染めないでいました。というのも、私にとっては、同性である男性の方こそが「深い溝」を感じざるを得ない「理解し難い生き物」であったからです。 さて今回は、こうしたよく言われる「男性から見ての女性のわからなさ」が一体どのようなところからくるのか、その背後にある問題について考えていきたいと思います。引用は正午氏のこちらの記事と、それに対するwatapoco氏のTB記事より。 つまり童貞には童貞にしかわからないセックスの真理があり、モテにはモテにしかわからないセックスの真実がある。 自らの体験について語るということは、手のひらから次々にこぼれおちていくもの

    「女はわからない」という幻想
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    toya 2006/05/01
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