――2000年代初頭は、まだゲーム業界にも企画持ち込みの風習が残っていましたね。その流れのまま、その企業に就職をしたのでしょうか。 高橋:そこへ就職はせず、その後はサイバーコネクトツーのインターンを経て、大阪にあるゲーム会社に就職しました。そこで月額課金のアプリの立ち上げやコンテンツの開発などを2年間行い、その後にコンシューマーへ挑戦するためにカプコンへ入社しました。時代としてはPlayStation 3やNintendo DSの出始めでしたでしょうか。世間ではセカンドライフが流行っていて、次世代へのワクワク感が強い時代でした。カプコンではリメイク版『バイオハザード』のディレクターなどを務めました。カプコン退職後は物流も含めて学ぼうと思ってリサイクルショップのゲーム部門でも働いてみまして、その後恩師からのお誘いでKCGに戻りました。 ――KCGに戻ってからはゲームの企画に関する授業を担当し