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ブックマーク / kajipon.sakura.ne.jp (4)

  • ヘレン・ケラーの生涯

    ヘレンはアメリカの著述家・社会事業家・平和主義者。三重苦を克服し、障害をもつ人々の救済のために生涯を捧げた。 ●サリバン先生との出会い 1880年6月27日、アラバマ州タスカンビア生まれ。父は退役軍人。1歳9カ月のときに胃と脳髄の急性充血による高熱で、視覚と聴覚を失い、言葉が不自由になった。両親は沈黙の世界にいたヘレンが短気でワガママな子どもになるのを見るにつけ、教育の必要性を痛感。6歳の時に、アレグザンダー・ベル(電話の発明家であり熱心な盲人教育者)に相談し、その縁で翌1887年3月3日からパーキンス盲学校の卒業生アン・サリバン(通称アニー、当時20歳)が家庭教師として派遣された。サリバン自身も3歳で失明し、手術によって視力を取り戻した過去があった。「私の生涯を通じて忘れられない最も重要な日は、サリバン先生が来て下さった日です」「それは私の魂の誕生日だった」(ヘレン)。 1887年4月5

    trashcan
    trashcan 2017/10/09
    イクラちゃん「ウ、ウォーター!」
  • 種田山頭火の生涯

    大正・昭和の俳人。季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し、自身のリズム感を重んじる「自由律俳句」を詠んだ。名は正一。山口県防府の大地主の家に生まれる。父は村の助役を務めたが、妾を持ち芸者遊びに夢中になり、これに苦しんだ母は山頭火が10歳の時に、自宅の井戸に身を投げた。井戸に集まった人々は「が落ちた、子供らはあっちへ行け」と山頭火を追い払ったが、彼は大人たちの足の間から母の遺体を目撃し、心に深い傷を残す。現・防府高校を首席で卒業した後、早稲田に入学。しかし22歳で神経症の為に中退して帰郷する。この頃、生家は相場取り引きに失敗して没落しており、立て直しの為に先祖代々の家屋敷を売り、彼は父と酒造業を開始する(24歳)。27歳で結婚、子を持つ。 10代中頃から俳句に親しんでいた山頭火は、28歳から“山頭火”を名乗って、翻訳、評論など文芸活動を開始。31歳、俳句格的に学び始め、俳句誌に掲

    trashcan
    trashcan 2012/10/10
  • 石川啄木の生涯

    名、一(はじめ)。岩手県生まれ。1歳の時に父が渋民村・宝徳寺の住職となり同村が啄木の「ふるさと」になる。小学校を首席で卒業し、地元では神童と呼ばれる。盛岡の中学では4歳年上の金田一京助(後の言語学者)から文学の面白さを教えられ、文芸雑誌『明星』を熟読して与謝野晶子に影響を受け、また初恋にも夢中になった。高まる文学熱と情熱的な恋!反面、学業がおろそかになり、カンニングが2回連続でバレ、落第が決定となったため16歳の啄木は自主退学して上京する。『明星』に投稿した短歌が掲載されたこともあって文学で身を立てるつもりだったが、与謝野鉄幹・晶子夫の知遇を得たものの仕事は何も見つからず、家賃を滞納して下宿を追い出され半年も経たずに帰郷する。17歳の時に初めて“啄木”の号を名乗り『明星』に長詩を発表、注目される。 ●19歳(1905年)、処女詩集『あこがれ』を刊行!一部で天才詩人と評価される。だが、父

    trashcan
    trashcan 2007/06/23
  • ガンダムの世界

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