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ブックマーク / blog.tatsuru.com (39)

  • 内田樹選集 - 内田樹の研究室

    今日はこれから病院ですい臓がんの切除手術の日程打ち合わせである。手術が無事に終わったとしても、もう74歳であるから、相当にダメージは残るだろう。もうぼちぼち「店じまい」の頃合いである。 何度もそう言って「隠居する隠居する」と宣言してきたが、思い通りにならない。むしろ70歳を過ぎてから仕事が増えてしまった。理由はいろいろある。一番大きいのは「もう後がない」ので、言いたい放題言うようになったせいであろうと思う。いまさら無理して「賢そうなこと」を言って、世間の評価を何ポイントか上げても仕方がない。できることなら「ウチダ以外誰も言いそうもない変痴奇論」を語って、世間のみなさまに「なるほど、そんな変な考え方もあるのか」と思っていただく方が、何ごとかを言う甲斐がある。 でも、もうさすがに身体がついてゆかないので、店じまいの準備を始めることにした。 もうこのあと長いものを書くことはないと思うので、手始め

  • 民主政の成熟とは - 内田樹の研究室

    選挙前に「政治への異議を白票で表現しよう」というキャンペーンが目についた。あえて白票を投じることで、「今の選挙制度では、私たちは自分が満腔の賛意を託すことのできる代表を選ぶことができない。私はいま立候補しているどの候補者に投票したい気分になれない。各党は私が投票したくなるような候補者を探してこい。話はそれからだ」という怒りの意思表示ができるというのである。 でも、現実には白票はただの「無効票」である。「現状に対して強い不満を持っている」という意思表示にはならない。「現状肯定」しか意味しない。 「白票を投じよう」と訴えている人たちは政権与党の「隠れ支持者」であるか、民主政における選挙というものの意味を理解していない人たちか、あるいはその両方である。 白票論者たちの勘違いは選挙を「自分の全幅の信頼を託せる人」に一票を投じることであるというふうにひどく浅く定義していることである。たしかに選挙公報

  • 『無知の楽しさ』についての質問票 - 内田樹の研究室

    韓国の出版社企画で「無知の楽しさ」というが出た。韓国の編集者や訳者の朴東燮先生からの質問に私が答えて一冊のになったのである。それについてのメールでのロングインタビューがあったので収録。 内田先生、こんにちは 私は韓国で、作家、そして弁護士として働いているチョン・ウジンと申します。 このような形で、内田先生とお会いできる機会が得られて、ほんとうに嬉しく思います。 先日韓国で出版された『図書館には人がいないほうがいい』を読み、内田先生のまさに「大ファン」になり、先生のごを何冊か家に積読していて(もちろん韓国語版ですが)、一冊ずつ読んでおります。 私はそれらのの内容からいろいろ影響を受けているのですが、その中でももっとも印象に残っているのは「というのは、およそ死ぬまでに読み切れなくても買って積んでおくものである」というところでした。そのおかげで最近の購入量が当に増えてしましました。

  • 理想の民主政 - 内田樹の研究室

    総選挙が終わり、長きにわたって続いた「自民一強」時代が終わった。この選挙結果はこれからの日にどんな変化をもたらすのだろうか。とりあえず私たちが慣れ切っていた重要法案の「強行採決」というものがなくなる。国の方向を決めるような政策が十分な国会審議抜きに「閣議決定」だけで決まるということもなくなる。これは空洞化していた日の民主政にとっては喜ばしい事態である。 久しく人々は「一強」体制を好ましいものだと思っていた。他党との交渉や妥協なしに、与党がやりたいようにやるのはよいことだと思っていた。というのは、世の中というのはおおむね「そういうもの」だったからだ。 株式会社というのは間違いなくそうだ。経営者が発令する指示に部下が「それ、おかしいですよ」と抗命するということはない(したら業務命令違反である)。トップの指示が末端まで遅滞なく示達されて、かたちになる。それを見慣れた人たちは「国というのも、そ

  • 今中高生に伝えたいこと。進路について - 内田樹の研究室

    「今、中高生に何を伝えたいこと。進路について」というお題を頂きました。 でも、進路について僕から皆さんに特に伝えたいことはないんです。「好きにすればいい」という一言でおしまいです。無責任に聴こえるかも知れませんが、「好きにする」のって結構大変なんですよ。 だって、みなさんが「これから好きに生きたい」と言って進路の希望を述べたら、たぶんおおかたの親御さんは「ダメ」と言うはずだからです。「世の中、そんなに甘くないぞ」とか「好きなことをしてっていけると思っているのか」とか「嫌なことを我慢するから給料がもらえるんだぞ」とか、いろいろ。 もちろん、そんな親のダメ出しに対してはびくともせずに「いいえ、好きにさせてもらいます」と好きにするのが正しい子どもの生き方です。これは僕が保証します。 でも、好きに生きたら必ず成功するというわけではありません(そんなはずがない)。好きに生きてもしばしば失敗します。

  • 虚無の政治力学 - 内田樹の研究室

    総裁選中は現行の「健康保険証」と「マイナ保険証」について問われて、「併用も選択肢として当然ある」と答えていた石破茂氏だったが、政権が発足すると同時に、健康保険証を12月2日に廃止して、マイナンバーカードに原則一化する政府方針を「堅持する」とアジェンダを覆した。 多くの人がこの言を咎めている。 でも、よく考えると、間尺に合わない話である。自民党総裁選は「内輪のパーティ」の話であって、総裁になるためには別に「国民に受けるアジェンダ」を掲げる必要はなかったのである。ではなぜ一瞬だけ期待させておいて、また失望させるような「余計なこと」をしたのか。 健康保険証の廃止に対しては医療現場も利用者も反対している。早期導入を求めているのは霞が関と財界だけで、これを争点化すれば総選挙で票を減らすことはあっても増やすことはない。ご祝儀で支持率が高いうちに総選挙という知恵が働くなら、「健康保険証廃止は延期」に

  • 最悪の事態について想像力を行使することの意味について - 内田樹の研究室

    ディストピアを語る理由は、ディストピアのありさまをこと細かに語るとディストピアの到来を阻止できる可能性があるからです。これは人類のある種の知恵なんだと思います。 「ディストピアもの」が書かれ出したのは20世紀に入ってからです。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』とかジョージ・オーウェルの『1984』とかがたぶん最初です。でも、ディストピアSFが大量生産されたのは1950年代、60年代のアメリカです。その頃に大量生産されたのは、米ソの間で核戦争が起きて、世界が滅びるという話です。わずかなヒューマンエラーによって核戦争が始まり、文明が消滅する。そういう話です。映画であれ、テレビドラマであれ、漫画であれ、小説であれ、膨大な数のディストピアムが書かれました。 僕はSF少年だったのでその頃にリアルタイムで大量のSFを読みました。『博士の異常の愛情』とか『未知への飛行』とか『猿の惑星』とか世界が

  • 新しい門閥制度 - 内田樹の研究室

    自民党総裁選についての報道は専ら候補者たちの政策や党内基盤についてのみ論評している。でも、見落としていることがある。それは9人の候補者のうち6人の最終学歴アメリカの大学または大学院だということである。残る3人のうちの一人も、日の大学を出た後にアメリカの下院議員のスタッフになったことをその後のキャリア形成においてずいぶん強調していた。 ということは、自民党に限って言えば、最終学歴アメリカであることがどうやらキャリア形成の必須条件だということである。私の知る限りでも、日富裕層の中では中等教育から子どもを海外あるいはインターナショナル・スクールに送り込むことが「ふつう」になってきている。その方が英語圏の大学に進む上でアドバンテージが大きいからだと説明された。 「グローバル化の時代なんだから、レベルの高い教育を受けるために海外に出るのは個人の自由だ。横からがたがた言うな」と言う人もいるだ

  • 農業は甦るか - 内田樹の研究室

    京大の藤井聡教授と農業について話す機会があった。藤井先生と私は政治的立場はずいぶん違うが、農業を守ることと対米従属からの脱却が必要だという点については意見が一致している。二人とも「愛国者」なのである。 ご存じの通り、日の農業は衰退の一途をたどっている。私が生まれた1950年代、日の農業就業人口は1500万人だった。総人口の2割が農業に従事していた計算になる。2030年の農業従事者は予測で140万人。かつての1割以下にまで減ることになる。 わが国が国の糧自給率は38%(鈴木宣弘東大教授によると実は10%以下らしい)。糧自給率はカナダが266%、オーストラリアが200%、アメリカが132%、フランスが125%、ドイツが86%、英国が65%、イタリアが60%。日は先進国最低である。政府は2030年には自給率を45%まで上げることを目標にしているが、農業従事者が減り続けているのに、どうや

  • 大阪市の教育委員会に招かれた - 内田樹の研究室

    大阪教育委員会から講演依頼を受けた。教員たちの団体からはこれまで何度も講演に招かれているが、教委からお声がけ頂いたのは初めてである。大阪教育行政を手厳しく批判し続けてきた私の下に教委から講演依頼が来たというのは、大阪市のこれまでの教育行政に現場が拒否反応を示し始めたことの徴候かも知れない。 私の教育論は別にそれほど反体制的なものではない。 学校の機能は子どもたちの査定や格付けではなく、彼らの市民的成熟を支援することである、というしごくまっとうな主張である。だから、教員たちが子どもたちに向けて告げるべき言葉は「私は君たちを歓待し、君たちを守り、君たちの成熟を支援する」でなければならない。子どもたちを歓待し、保護し、支援するのが学校の役目である。私はそう信じている。 多くの教員は私の言葉に同意してくれる。でも、教育行政の要路にいる方たちは違う。 彼らの多くは学校というのは「子どもたちを査定

  • 近代市民社会の再興のために - 内田樹の研究室

    『月刊日』8月号にロングインタビューが掲載された。「野蛮への退行が始まった」というタイトルだけれど、私が言いたかったのは「近代市民社会を再興しなければならない」という話である。 ― 現在、世界は歴史的な大転換を迎えています。今、世界では何が起きていると考えていますか。 内田 今起きているのは「近代の危機」だと思います。近代市民社会の基理念は「公共」です。その「公共」が危機的なことになっている。 ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていた。この弱肉強の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。でも、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しません。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。どこかで弱みを見せたら、それで

  • トランプのアメリカ - 内田樹の研究室

    ジョー・バイデンとドナルド・トランプの討論が終わった。双方とも相手を罵り合うという見苦しい展開だったが、口から出まかせの嘘を自信たっぷりにつきまくるトランプを相手にきちんとファクトに基づいて反論することができなかったバイデンの衰えぶりに米国の有権者はショックを受けたようだ。民主党は大統領候補者を替えた方がよいという意見が出て来たが、今から候補者を選定して11月の大統領選に間に合うだろうか。 おそらく世界は二期目のトランプを迎えることになる。彼は「アメリカ・ファースト」を掲げて、前任者の政策のほとんどを覆し、国際秩序の維持には副次的な関心しか示さないだろう。 ただし、「アメリカ・ファースト」はトランプの独創ではない。この言葉を最初に使ったのはチャールズ・リンドバーグ大佐をリーダーに頂いた大戦間期の反戦派の人々である。彼らは欧州の戦争に米国は関与すべきではないと主張した。仮にナチスがヨーロッパ

  • 民主政の終わり - 内田樹の研究室

    都知事選の翌日にニッポンドットコムという媒体からインタビューを受けた。以下はその記事に少しリタッチしたもの。 今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日からは失われつつあるようだ。 投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。 自分自身にとってこの社会がより住みよ

  • 東洋経済のインタビュー - 内田樹の研究室

    アメリカの学生たちを中心にガザ侵攻に対する激しい抗議活動が起こりましたが、若い人たちはたんにガザ侵攻だけに怒っているのでしょうか。人種差別や気候変動、あるいは、最近の大人たちなど多岐にわたって怒りをぶつけているように見えます。 そうだと思います。今の世界は「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」いう視野狭窄的なものの見方が支配的です。だから、人々は人口減や気候変動など長いタイムスパンの中で考察すべき危機に対しては考えようとしない。世界どこでもそうです。世界を見回しても、グローバルリーダーシップを取ることのできるだけの宏大なビジョンを語る政治家がいない。若い人たちが苛立つのは当然だと思います。 ―日では抗議運動もささやかですし、報道も下火な感じがします。 日はそもそも「抗議」とか「反抗」とか「抗命」ということに対して強い抑圧がかかる社会です。いったん大勢が決まると、全員がそれに

  • コミュニズムのすすめ - 内田樹の研究室

    『だからあれほど言ったのに』所収の一文であるが、これをブログに上げたのは、ある学習塾の小学校六年生対象の模試に以下の文章が使用されたからである。これを小学校六年生に読ませたのか・・・と思うと驚く。世の中は変わりつつあるのかも知れない。 現代日の際立った特徴は富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである。富裕層に属し、権力の近くにいる人たちは、それをもっぱら「公共財を切り取って私有財産に付け替える」権利、「公権力を私用に流用する権利」を付与されたことだと解釈している。公的な事業に投じるべき税金を「中抜き」して、公金を私物化することに官民あげてこれほど熱心になったことは私の知る限り過去にない。 税金を集め、その使い道を決める人たちが、公金を私財に付け替えることを「務」としているさまを形容するのに「貧乏くさい」という言葉以上に適切なものはあるまい。今の日では「社会的上昇を遂げる」

  • 『東京ミドル期シングルの衝撃』(宮本みち子、大江守之編著、東洋経済新報社) - 内田樹の研究室

    東洋経済新報社の渡辺さんから新刊の書評を頼まれたので少し長い紹介を書いた。タイトルはやや挑発的だけれど、人口動態と地域コミュニティ形成についての手堅い研究である。でも、ほんとうに衝撃的なのは、こういう研究にごく最近まで誰も見向きもしかなったという事実の方なのである。 人口減問題について語る人たちの多くはマンパワーの不足やマーケットのシュリンクや年金や医療制度の持続可能性について話すけれど、ほんとうにシリアスなのは「高齢期に入って社会的に孤立化したシングルのアンダークラス化」にある。書はそのタブーを正面から取り上げた例外的な仕事である。 「アンダークラス」というのは「ワーキングクラス」のさらに下に位置する、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層のことである。差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まる閉鎖集団である。 日でもこれから「高齢者アンダークラス」が大量出現する可能性がある。

  • フリーライダーの効用 - 内田樹の研究室

    高齢者の集団自決が高齢化対策の秘策であると公言した若い経済学者の発言が話題を呼んでいる。 彼の言う「人間は引き際が重要だと思う」ということにも「過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる」という事実の摘示にも私は同意する。でも、使えないやつは有害無益だから、集団から追い出すべきだという論には同意しない。人道的な立場からというよりは組織人としての経験に基づいてそう思うのである。 組織に寄生して、何も価値を生み出さず、むしろ新しい活動の妨害をする「フリーライダー」はどのような集団にも一定数含まれる。この「無駄飯い」の比率を下げることはたしかに集団のパフォーマンスを向上させることにある程度までは役立つだろう。ただし、「ある程度」までである。というのは「無駄飯いの排除」作業に割く手間暇がある限度を超えると、その作業自体が集団のパフォーマンスを著しく低下させるからである。 組

  • 文字の書けない子どもたち - 内田樹の研究室

    高校の国語の先生から衝撃的な話を聴いた。生徒たちが文字を書けなくなっているというのである。教科書をただノートに筆写するだけの宿題を毎回課すが、やってくるのは半数以下。授業中に書いた板書をノートに写すようにという指示にも生徒たちは従わない。初めはただ「怠けているのか」と思っていたが、ある時期からどうもそうではないらしいことに気がついた。 『鼻』の作者名を問うテストに「ニコライ・ゴーゴリ」と答えを書いた生徒がいた。ゴーゴリもその名の短編を書いているが、教科書で読んだのは芥川龍之介である。どうしてわざわざゴーゴリと書いたのか生徒に訊ねたら「漢字を書くのが面倒だったから」と答えたそうである。 生徒たちの提出物の文字が判読不能のものが増えて来たという話は大学の教員たちからも聴く。学籍番号までは読めるが、名前が読むのが困難で、コメントの文字に至ってはまったく解読不能のものが少なくないという。何を書いた

  • 改憲はできないと思う理由 - 内田樹の研究室

    政治学者の白井聡さんと対談した時に改憲の話になった。自民党は「やるやる」と言い続けるだけで、気でやる気はないという結論に落ち着いた。 国会での発議は可能だが、国民投票で過半数をとれるかどうか確信が持てないからである。 国民投票で否決されたら、自民党はほとんど党の存在理由を否定されたことになる。それではリスクが高すぎる。 それより「やるやる」と言うだけ言って、改憲派の支持層を固めておいて、それを選挙で利用するだけにしていた方が政権維持には有利である。 事実そうやって自民党は国政選挙で勝ち続けている。 だが、それは所詮は小選挙区制のマジックのおかげである。有権者の50%が棄権し、野党が候補者の一化ができない現状が続く限り、20%ほどのコアな支持層を確保しているだけで自民党は永遠に政権の座にあることができる。 だが、国民投票ではそうはゆかない。選択肢が「賛成か反対か」の二者択一だからだ。「野

  • - 内田樹の研究室

    Q:以前ご返信をいただいた「きげんをよくすること」の中で、「救難信号を聴き取ってくれそうな甘さ」というお話がありました。わたしも、そういう方々に幾度となく甘えさせてもらったかわからないな...と内田先生やたくさんのお世話になった方々のお顔を思い浮かべながら、ふと感じたことがありました。 救難信号を受け取れてしまう方々は、「聴こえちゃう」から、その人たちにばかり救難信号が届いて、てんてこまいになってしまうのでは...と。 ちょっと話が違うかもしれないのですが、きげんよくしている人や元気な人に、「あいつ元気そうやし、こんくらい(あるいはこういう類の)仕事させても、いけるやろ」的な発想で、仕事がガサガサと振られるようなケースです。 そうして仕事がバンバン飛んできても、サクサク捌ける人だと問題ないと思うのですが、仕事が増えすぎると、そういうふうにできない状態になってしまうこともあると思うんです。