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ブックマーク / note.com/mostsouthguitar (7)

  • 彼らはなぜ神宮外苑再開発反対のデマに乗ったのか|加藤文宏

    龍一、桑田佳祐、村上春樹ほかサエキけんぞうなど著名人がデマに乗って神宮外苑再開発に反対の姿勢をとった。なぜ彼らは調べたり現地へ行けばわかることや、多様な人々の多様な意見を無視してデマ拡散者になったのだろうか。情報の発信源のひとつで、反対運動の旗手でもあるロッシェル・カップについても考えよう。 加藤文宏 1 まず大前提となる「事実」を確認しよう。 2024年7月3日、神宮外苑再開発コンソーシアムのメンバーであり、自社ビルの建て替え、自社敷地における緑の保全を行う伊藤忠が「神宮外苑再開発について」と題するリリースを公開した。 リリースは、昨年10月に活動家が行った同社施設への落書きの被害と、逮捕された活動家の書類送検についての説明から書き起こされている。そして「今後も毅然とした姿勢で臨む所存」と同社の姿勢が明確に示された。 続いて、6月に行われた大阪での株主総会で、神宮外苑再開発について丁

    彼らはなぜ神宮外苑再開発反対のデマに乗ったのか|加藤文宏
  • 宮下公園は憩いの場だった 震災瓦礫は3ヶ月で片付いたと語り出す人々|加藤文宏

    加藤文宏 10年前は遠い昔か MIYASHITA PARKに改修される前の宮下公園は人々の憩いの場であったとか、東日大震災の瓦礫は3ヶ月できれいに片付いたと語る人々が現れた。屋上庭園化前の宮下公園再整備が2011年、震災も同年だが、10余年前は記憶が別物になるほど遠い昔だろうか。 宮下公園の実態再整備前にホームレスと反対派が残したゴミなどを撤去する作業/朝日新聞・報道写真より まず旧宮下公園およびMIYASHITA PARKの立地を確認しておこう。 旧公園と現MIYASHITA PARKにかかわる一帯を仮に「宮下公園エリア」と呼ぶことにする。宮下公園エリアは渋谷駅から直線距離で約500m、スクランブル交差点から約300m離れた場所にあり、センター街側とは趣が異なるものの繁華街の中にある公園だ。 1953年に初代公園が開園。1963年に嵩上げされた人工地盤の公園に作り直され、2003年にフ

    宮下公園は憩いの場だった 震災瓦礫は3ヶ月で片付いたと語り出す人々|加藤文宏
  • ストックフォトで販売されていた福島蔑視写真と現在の福島県について|加藤文宏

    福島県を蔑視する画像が販売されていた。原発事故の被害を深刻に見せかけ侮辱的な画像だった。問題となった「オンライン画像マーケットサイト」とは何か。上掲の記事ではiStockとAdobe Stockの例が紹介されている。 iStockはアメリカのワシントン州に社を置く写真画像代理店Getty Images(ゲッティーイメージズ)が運営し、Adobe StockはPhotoshopなどソフトウエアを開発しているAdobe社が運営する、画像を貸したり売ったりする事業だ。これらはマイクロストックフォト事業と呼ばれ、インターネット中心の売買形態で、販売される画像にはアマチュアが制作したものを含み、ロイヤルティー(使用料)が低額であることを特徴としている。 iStockを運営しているGetty Imagesは、マイクロ級ではない完全なプロ対プロの「ストックフォト事業」を行う企業だ。世界で初めてオンライ

    ストックフォトで販売されていた福島蔑視写真と現在の福島県について|加藤文宏
  • 社会運動がつくりだした被害者たち 原発事故から宗教、J事務所まで|カトウ・フミヒロ

    取材・論考・タイトル写真 加藤文宏 はじめに ALPS処理水で騒いで終わったかと思えば、次はあきたこまちR──こんな話を、騒動の構造をあきらかにしながら論考しようと思う。 彼らは被害者なのか 原発事故に際して首都圏が不安におののき、瓦礫処理では地方都市でも騒がしい動きがあった。 日中が動揺していた10余年前、ふと思った。原発事故にまつわるできごとの「真の被害者」は誰だろうか。 首都圏は放射性物質に怯える必要がなく、各地で焼却した瓦礫も無害なものであった。これらは、不安感や危機感を煽られたことで、来被害者ではない人々に被害者意識が芽生えて生じた混乱だった。直近のできごとでは、ALPS処理水放出反対運動でも不安感や危機感が煽られた。 原発事故にまつわるできごとの真の被害者は、福島県の人々なのはまちがいない。では、不安感や危機感を煽って被害者意識をつくりだしたのは誰か。 これは既に検証済みだ

    社会運動がつくりだした被害者たち 原発事故から宗教、J事務所まで|カトウ・フミヒロ
  • 西山太吉と西山事件に下された半世紀前の辛辣な結論|加藤文宏

    加藤文宏 なぜいま西山太吉なのか 沖縄返還を巡って日米間で取り交わされた「密約」をめぐる西山事件の主、元毎日新聞記者の西山太吉が2月24日に心不全のため死去した。91歳だった。西山の死が報道されると、ジャーナリストの江川紹子は 当時のプロセスには様々な論評はあるが、人生をかけて密約の存在を伝えた。おつかれさまでした Twitter 10:05pm · 25 Feb 2023NHK訃報を紹介した。 江川が言う「当時のプロセス」とは何か。取材プロセスであろう。 1971年、佐藤内閣は沖縄返還に際して地権者に対する土地の原状回復費400万ドルをアメリカ合衆国が支払うと発表していたが、実際には日国政府が肩代わりする密約を結んでいた。返還交渉を取材していた西山太吉は、肩代わりを約束する秘密電文の存在を外務省の女性職員Hから聞き、彼女に求めて電文のコピーを入手した。 「密約」の存在をほのめかすに

    西山太吉と西山事件に下された半世紀前の辛辣な結論|加藤文宏
  • インディーズバンド化した有機無農薬栽培といまどきの反抗|加藤文宏

    1970年代に登場した学生運動くずれのオーガニック派とも、趣味として家庭菜園を楽しむ人たちとも違う自然農法派の若者が登場している。彼らは何者で、どのような影響を世の中に与えるのだろうか。 構成・タイトル写真・文写真 加藤文 ある貸し農園でのできごと 「農業デビュー79日目 常識や資主義、エビデンス(似非)に洗脳された人たちには一生理解できないだろうど、農薬なんて使わなくても野菜は立派に育ちます。Q、大量生産できないのでは?A、稼げないかもしれないけど仲間がいれば大量に作れます。※繰り返しになるけど洗脳された人には理科不能だと思う」(原文ママ) これといって目立つことがなかったTwitterアカウントの投稿が話題を呼び、数日で1万を超えるフォロワーを獲得した。 話題になった理由は、貸し農園を使った趣味の菜園を「農業」と自称し、有機無農薬というには畑が雑草だらけの荒れはてた様子で、害虫の害

    インディーズバンド化した有機無農薬栽培といまどきの反抗|加藤文宏
  • 運動は手段が目的になったとき最大化する|加藤文宏

    著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ 反原発、しばき隊からツイフェミへ続く反省なき社会運動について。さらに集団で騒動を起こす人たちについて。たとえばワクチン忌避を煽る運動も。これらは頸を切られた鶏がひたすら走り回るような暴走ぶりをみせる。 何も言えなくなったあの頃いまから7、8年前になるだろうか。あきらかに空気が変わった。 その頃まで在日韓国・朝鮮人問題を騒ぎ立てる側に「言いたいことはわかった。たしかに目に余ることがあるのは知っている。そんな経験もした。だけどやりすぎだし、主語が大きすぎだし、極端すぎる話をしていないか」と思っていた。街頭やネットで活動する人々に眉をひそめている人々もいた。 「やりかたと言いかたがあるだろう」ということだ。 これは主に在特会(在日特権を許さない市民の会)の活動に対するものであったが、彼らが生まれた土壌は活動によって活性化し賛同者がとめどなく増殖していた。永住許可を得

    運動は手段が目的になったとき最大化する|加藤文宏
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