「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。 実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと鳴らした。 ↑ これは、毎日新聞の8月6日付【余録】で紹介されている第33代米国大統領、ハリー・S.トルーマンの逸話である。 つまり、「指パッチン」で日本に対する原爆投下を決めた。後悔する必要なんて、これっぽっちもない、というわけだ。が、「後悔に1分たりとも時間を費やすな」という言葉を吐かざるをえなかったというところに、この人物の深層が表れているような気がする。 実際、非公式な場所では、良心の呵責に苦しめられていることを周囲の人や身内の人たちに洩らしていたと言われる。 【余録】氏も次のように書いている。 「妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害への
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 普段、仕事をしていてもそうですし、SNSやブログに書かれた言葉をみていても感じることですが、世の中にはかなりの割合で、間違えることを恐れて、自分の意見や考えを口にすることをためらい、結果としてアウトプットが大幅に遅れたり、ひどい場合はアウトプット機会そのものを失っている人がいるのだなと思います。 間違えないことより、アウトプットを早めることそういう人に対して言いたいのは、なんで間違えることをそんなに気にするの? そもそも時間をかければ正解が出せる根拠があるの? ということです。 僕は、完璧さを求めるあまり間違いを過剰に恐れ、アウトプットが遅れてしまうくらいなら、多少、間違いがあるかもと思いつつもとにかくアウトプットを出し、その上で相手の反応を見ることのほうがよっぽど重要では
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