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ブックマーク / puzhai.cocolog-nifty.com (2)

  • 辞書使いの辞書知らず その1 - 朴斎雑志

    ■国語教科書にかみついた中学生 外山滋比古『「読み」の整理学』(ちくま文庫)というを、 たまたま書店で見かけて手に取ってみた。以前に外山氏の『古典論』を読んで、 その平易にして斬新な文にすっかり引きつけられてしまったことがあるので、今度はどんな内容かと期待して開いてみたら、 初っぱなからとんでもない話が目に飛び込んできた。 その話というのはこうである。中学校3年用の国語教科書に載っていた外山氏の文章の、 「ことばとそれがあらわすものごととの間には何ら必然的な関係はない」 というくだりに対して、「3年2組クラス一同」から 「この文章、間違っています。直してください」 という苦情の手紙が届いた。もともと中学生には少し難しいかと思われる文であったが、教科書会社からのたっての要望で、 できるだけわかりやすく手を入れた上で掲載を承諾した文である。かりにも検定を通った教科書で、 中学生にもわかる誤り

    辞書使いの辞書知らず その1 - 朴斎雑志
    trinh
    trinh 2007/12/05
  • 人文系の研究者は神話やオカルトを信じるか ――あるいは「神話やオカルトとのつきあい方」―― - 朴斎雑志

    科学が世の中をバラ色にしてくれると誰もが信じていた時代はとうに過ぎ去った。そこで科学以外のものに救いを求めようとする人々も当然出てくる。救いや拠り所を求める相手として一番手っ取り早いのはやはり「神」である。既成宗教にいう神仏の場合もあろうし、新興宗教の教祖の場合もあろう。また魔術や占いのようなオカルトの場合もあろうし、それらをよりソフトに言い換えた「スピリチュアル」に傾倒する人もいる。 彼らの中には神や霊魂の実在を認め、自然現象や社会現象を神が操っていると気で信じたり、霊能者と称する人が「…… という現象は霊魂のせいだ。自分にはそれが見える」と言うのに対して何の疑いもはさまず熱狂する人も少なくない。 しかし自然科学の研究者はいわゆる「霊能者による霊視」を当のこととは認めないし、それ以前に自然科学の研究対象にはしない。なぜなら霊能者人が「見える、見える」と言っているだけでは、霊の存在は

    人文系の研究者は神話やオカルトを信じるか ――あるいは「神話やオカルトとのつきあい方」―― - 朴斎雑志
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