2011年1月10日のブックマーク (11件)

  • 2, クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』について

    続いて、この私的言語の議論に対してクリプキが『ウィトゲンシュタインのパラドックス』で提示した考え方について述べる。 まず、この『ウィトゲンシュタインのパラドックス』の成立について、簡単に述べておく。(*1) この『ウィトゲンシュタインのパラドックス』の原型となったのは、1976年にカナダで行われたウィトゲンシュタイン会議(Wittgenstein Congerence)でのクリプキの講演である。この会議での諸講演は後に1981年に"Pespectives on the Philosophy of Wittgenstein"(*2)という論文集にまとめられ、クリプキの講演は書き直しと増補を経て、"Wittgenstein on Rules and Private Language"というタイトルで収録されている。この後1982年に、削除・追加・訂正が行われた上に"Wittgenstein a

  • SYNODOS JOURNAL : 世論調査の現状をデータで整理する 菅原琢

    2011/1/117:0 世論調査の現状をデータで整理する 菅原琢 ◇はじめに◇ 筆者は2011年の早いうちに世論調査に関して2つの原稿を出す予定となっている。ひとつは、「世論調査は機能しているのか?―「民意」解釈競争と現代日政治の迷走」『日世論調査協会報よろん』107号、もうひとつは「スケープゴート化する世論調査」(『Journalism』2011年1月号)である。 世論調査についてとやかくいう人は増えたものの、日の世論調査の現状について理解した上での議論というのは驚くほど少ない。その意味で今回紹介する各データは、世論調査を批判したい人にとっても、利用したい人にとっても、役に立つものだろう。 なお、ここで扱う世論調査は、政党支持率、内閣支持率(組閣直前を除く)が聞かれている政治に関するRDD方式の世論調査に限定している。分析の効率の観点から三紙に絞っているが、以下のデータ傾向や議論

  • 小松左京『神への長い道』 - intermediated

    "五十六世紀人たちのしゃべる言葉は、長い場合は猛烈にはやかった。――まるで昆虫の翅音のようにしかきこえない。一つ一つの単語をゆっくりきかせてもらうと、その中には二十一世紀の言葉が、猛烈に簡略化され変形されて、かすかな痕跡をのこしていることがわかるが、とてもききとれたものではない。その上、彼らの言語系の中には、数式や数字の概念が、たくさんとりいれられていて、とてもついていけたものではなかった。――日常の会話は、まったく静粛で、言葉すくなかった。というよりは、大脳前頭葉が二十一世紀人にくらべて極度に発達した彼らは、ほんの短い、間投詞のような言葉を投げかけあうだけで、ほとんどの意味が通じてしまうらしかった。しかし、長い議論になると、鳥のさえずりのような、せせらぎのようなせわしない声があたりにみちた。――彼が発見しておどろいたのは、五十六世紀人たちは、会話が熱をおびてくると、しばしば二人ないしそれ

    小松左京『神への長い道』 - intermediated
  • だいたい日本語で読める(ウィトゲンシュタイン派)エスノメソドロジーのウルトラ基本文献 - 2010-11-11 - 呂律 / a mode distinction

    つい先日、某哲学科院生(ウィトゲンシュタイニアン見習い)向けに「EMへの入門最初の一歩」を踏み出すためのリストを作成したので、ついでに こちらにも載せておきます。 なお、紹介文中に何度もウィトゲンシュタインの名前が出てくるのは、宛先がウィトゲンシュタイにゃんだったから。 【A】概観&入門書・教科書 なにはともあれ、エスノメソドロジーの概観は必要かと思います。哲学専攻のかたに──短いということも含め──いちばんアクセスしやすいのは 哲学者の手による紹介[0b]でしょう。これは、EM の重鎮、[4]の著者でもあるマイケル・リンチ(前 Society for the Social Studies of Science 会長)の仕事を紹介したものです。 教科書としては、私たちがつくった[0a]を。こちらに内容紹介があります: http://socio-logic.jp/ethnomethodolo

    だいたい日本語で読める(ウィトゲンシュタイン派)エスノメソドロジーのウルトラ基本文献 - 2010-11-11 - 呂律 / a mode distinction
  • クリプキ伝説 [ちょっといい話]

  • 門脇俊介(1986)「現象学における「動機付け」の概念」 - 2005-03-01 - 呂律 / a mode distinction

    。 門脇俊介、「現象学における「動機付け」の概念」、山形大学紀要(人文科学)、vol.11-2(1986) よい論文をご教示いただいた。感謝感謝>faaさん まず フッサールの「動機付け」に関する議論を ついで それがアンスコムのものと同工であることを それぞれ確認したあと、そこから振り返って改めて フッサールの動機付け理論の展開可能性を 探っていこうとするもの。この議論は後に、この↓でさらに展開されているが、 理由の空間の現象学―表象的志向性批判 作者: 門脇俊介出版社/メーカー: 創文社発売日: 2002/02メディア: 単行この商品を含むブログ (13件) を見るそちらのほうは、アンスコム v.s デイヴィッドソン(〜動機 v.s 因果)の検討を介して さらに遠くにいこうとしているものなので、ハナシはそれなりに込み入っていて その方面の議論にあまり馴染みのない私にはけっこうむ

    門脇俊介(1986)「現象学における「動機付け」の概念」 - 2005-03-01 - 呂律 / a mode distinction
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/01/10
    『社会的システムたち』(のコミュニケーションの章)のなかでルーマンは、フッサールのその議論をデリダに抗して擁護する*1趣旨の発言をしている
  • 雑記2008年5月20日(火) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/01/10
    クリプキはウィトゲンシュタインを誤読している、というのがオーソドックスになっているが、そうは思えない、という話
  • 文法の規範性について - 番外:クリプケンシュタインについて

    縮限 @contractio 「規範」という言葉で言いたいことのかなりの部分は「規則」で言うことが出来る。 しかし規約は「とりきめ」だけど、法則はそうじゃなかろう。──というファーストインプレッション。 2010-04-17 22:26:52 縮限 @contractio あと論理実証主義的な規約主義の延長線上で無理矢理ウィトゲンシュタインを「改釈」したのが「根元的規約主義」なのではないかと思う。そういう読みがありうることまではわかるが、ふつうウィトゲンシュタイン研究者は、これがまともなウィトゲンシュタイン解釈だとは認めない筈。 2010-04-17 22:29:18

    文法の規範性について - 番外:クリプケンシュタインについて
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/01/10
    赤田さん とらこやまさん
  • なぜ「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」は心身二元論を要請するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」という「断絶」 後期ヴィトゲンシュタインでは、「なぜ曖昧な日常会話が成立しているのか」と問われる。ヴィトゲンシュタインは、そこにある集団内で共有化された基底を「言語ゲーム」と呼んだ。「言語ゲーム」は人々に共有された規則が存在し、「言語ゲーム」が成立するのではなく、「規則に従う」という実践の反復によって、「言語ゲーム」は行われている。規則は「言語ゲーム」というある集団内の反復の中で事後的に見いだされていくものでしかないということだ。 世界の普遍的な体系と考えられていた数学でさえも、ある集団内の「言語ゲーム」であり、書き換えられていく不完全なものでしかないことを示した。 「いかにして私は規則に従うことができるのか」 もしこれが因果関係に関する問いでないなら、それは私が現にこのように規則に従っていることを正当とする根拠の問いである。正当化の根拠を尽くした時、私

    なぜ「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」は心身二元論を要請するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/01/10
    ぴかーせんせいのぶろぐ クリプキ、ラカン、ウィトゲン
  • cinra magazine vol.14 > MUSIC > 音楽をやり直す 大谷能生に学ぶ、リスナーの心得 P1

    cinraが発行しているフリーCDマガジン「cinra magazine」の第14号。音楽、美術、 映画小説、演劇、デザインなど他分野の作品や記事をご覧頂けます。

  • https://www.wakate-forum.org/data/2005/resume1.php

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/01/10
    「認識論の社会化と非個人主義的内在主義」伊勢田哲治