長岡亮介(ながおかりょうすけ)先生の著作物などに関する情報サイトです。「長岡先生の集中講義」、 「長岡の教科書」、「総合的研究」の追加情報を用意しています。また、動画などを通して、長岡先生の魅力を伝えていくつもりです。
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アニメブームの礎となった、映画「銀河鉄道999」 かつて、松本零士ブームがあった。 1976年―― 再放送から火が着いたTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(※本放送は74~75年)のブームを皮切りに、同劇場版(77年)とその続編『さらば宇宙戦艦ヤマト』(78年)の大ヒット、続く『銀河鉄道999』のTVアニメ化(78~81年)と2度の劇場版(79年、81年)の大ヒット、更に『宇宙海賊キャプテンハーロック』のTVアニメ化(78~79年)と、その前日譚『わが青春のアルカディア』の映画化(82年)――。 そう、1970年代後半から80年代初頭、アニメ界は松本零士無双状態だった。というか、それまで子供相手のニッチな市場だった「テレビまんが」を、中高生以上の大人も見る巨大マーケットの「アニメ」に変えたのが、当の松本零士が関わる作品たちだった。 そんなブームの軌跡は、ほぼ「黄金の6年間」―― エンタメ界を舞台
嘉門タツオさんと妻のこづえさん(写真=本人提供) たった今、息を引き取ったばかりの妻に、夫は大きな拍手を送った。「あっぱれや」。今年9月に、妻の鳥飼こづえさんを亡くした嘉門タツオさん(63)。交際前に悪性脳腫瘍をわずらい、自分の命が長くないことを悟っていたかもしれない妻と過ごした14年間には、夫婦だけの物語が詰まっていた。 【写真】少年時代の嘉門タツオさん * * * 2007年。食事仲間の先輩が宴席に連れてきたのが、こづえさんだった。その場は神妙なお見合いのような感じでもなく、かといって、どちらかがひとめぼれして猛アタックしたというわけでもない。初対面では、お互いにそんなに意識はしなかった。 結婚願望なしの49歳中年男。一方、こづえさんは医師という仕事ひと筋で、友人から「プラチナのよう」と形容されるほどのお堅い性格。年も6歳下だった。そんな2人をみこしに担ぎ上げたのは、嘉門さんの仲間
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