非モテ 親父先生! この非モテ、一生のお願いがあって参りました。これが誓いの唐笠血判状です。 親父 いや、もともと一揆の首謀者が分からぬよう、どっちが上かわからんようになってるのが、唐笠血判状なんだが。非モテ、非モテと、自分の名前で埋められてもなあ。まあいいや。おまえの本気を信じよう。言ってみろ。 非モテ 結局、王道しかないと悟りました。俺にモテるための地味な努力を教えてください! 親父 分かってるのか?地味な努力は牛歩の歩みだ。たとえば、1ヶ月でHな女の子の住所氏名が集まる裏技と、地味な努力があったとする。おまえはどっちを選ぶんだ? 非モテ も、もちろん地味な努力であります!! 親父 なるほど。では、おまえの本気に応えるように、おれも本気でかかろう。しかし言うまでもないが、地味な努力はスモール・ステップだ。ひとつひとつの段階は実現可能なほどに小さいが、しかしそれ故にまるで進んでないかのよ
趣味は何ですか? と訊かれて「クラシック音楽鑑賞」と答える人は、無邪気な人だ。 まったくクラシックを聴かない人から「お高くとまっている」と思われていることも知らないし、クラシック音楽にどっぷり浸かっているクラシックマニアから「何も知らないくせに」と内心軽蔑されていることに気づいていない。だから、クラシックマニアは不用意に「趣味はクラシック」なんて答えない。 かくいう私は、「クラシックが趣味」と公言することの怖さが分かる程度の「クラシック憧れ人」だが、そんな私から見ると、クラシックファンにはスゴい人が多いのに驚く。 交響曲といえばまだベートーベンの「運命」と「第九」くらいしか知らない高校1年の夏、訪ねた友人の部屋にクラシックレコードが300枚も並んでいるのを見て、あ然としたことがある。また、会社の先輩の中には「フルトヴェングラーの現存する録音を全て集めるのが趣味」という猛者がいたし、「同じ曲
久しぶりにナイスな本に出会ったのでご紹介 人間交際術 (智恵の贈り物) 作者: アドルフ F.V.クニッゲ,服部千佳子出版社/メーカー: イースト・プレス発売日: 2010/05/20メディア: 単行本購入: 6人 クリック: 114回この商品を含むブログ (14件) を見る ドイツの貴族階級に生まれた作家、アドルフ・F・V・クニッゲさんが書いて 1788年 ( 222年前!)に初版がでてるんですが、上記は日本語への翻訳本です。 いわゆる“処世術”的なアドバイスがいくつかの大分類の下に列挙してあります。 見開きの右ページにひとこと、左ページにはそのちょっとした説明が掲載されているという体裁で、アドバイスは全体で 100項目以上あるかな。 字がでかくて読みやすいです。 翻訳なのでイマ一歩日本語がこなれてないところもありますが、アドバイスの内容がなかなかいい感じ。 森鴎外氏もこれを読んで感動し
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン はじめに~「出来損ない」のためのブックガイド 初めて外国を旅行するときは、誰だって24時間、緊張を強いられるだろう。 朝、目を覚ましても、ぼんやりとしてはいられない。すぐに頭の中で、その日これからの行動を予習し始める。話すべき外国語を組み立て、起こるであろうさまざまなことを想像する。よし、これで準備は完璧だ。そう思ってから、やっとシーツをはねのけ、まるで戦いに赴くかのような覚悟で一日を始めるのである。 ところでぼくは、どこにいても、いつもそういう感じだ。 ものごころついたときから、まるで外国旅行中のような緊張の中で生きている。根本的に異質な時空間に投げ込まれたワケのわからなさを感じ、頼りなく、不安と苛立ちに付きまとわれている。人々が何気なく、
『日本辺境論』の書評がだいぶ前の「赤旗」に出ていた(昨日、アダチさんがファックスしてくれた)。 いろいろな媒体に取り上げられたけれど、「赤旗」とはね・・・ 代々木の(けっこう)えらい党員知識人であるところのワルモノ先生と共著で『若者よ、マルクスを読もう!』(仮題)を執筆中であることは党本部のすでに知るところであろうから、「ウチダ本は代々木的には OK」というご判断がくだったのかも知れない。 私は右も左もなく、頼まれればほいほい寄稿する。 国民協会でも(ボツになっちゃったけど)、『第三文明』でも、『月刊・社民』でも、『赤旗』でも、身体が空いていれば、取材も寄稿も「いいすよ」と引き受ける。 私は政治イデオロギーによって人を差別しない。 人々が固有の政治イデオロギーを奉ずるに至るには、余人には窺い知れぬ個人的ご事情というものがあって、それはやはりできる限り配慮せねばならないと思うからである。 そ
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